「仕事」カテゴリーアーカイブ

びっくりキツネくん

 ───────────────

 ラジオで日本のギター・デュオであるゴンチチのライヴ演奏を聞きました。

 NHK・FM「世界の快適音楽セレクション」。

 1999年に東京サントリーホールで演奏されたもの。やはりあのホールは響きが良いのか、チチ松村さんよると「客席からの拍手の音もよく聞こえる」とか。確かにそうかもしれません。

 私の好きな「動物達集まる」も聞けて嬉しかったです。「UPC」をギター2台の最小編成で聴くとより細かく何を弾いているかがわかり良かったです。曲調が展開していく時のおふたりの息のあったところなどがつぶさに観察できました。

 5曲ほども聞けましたので、まるで演奏会そのものも堪能できたような心持ち。たいへんありがたかったです。感謝感謝。

 またゴンチチのおふたりがネットの動画サイトでやっている面白いお話ですが、面白い喫茶店の面白い店長さんのエピソード。とてもおもしろいです。全3回ですが続きが気になります。

 今日のラジオの方で聴いた音楽に戻します。

 遊佐未森さんがコメントを寄せて、何曲か紹介してくださいました。遊佐さんの肉声を初めて聞きました。年齢的にはさほど変わらないのではって思いますけど、私はこのあたりの音楽にまるで詳しくないので。紹介された曲の中ではジュリー・ホウリィーズさんのケルトなフォーキーな曲っていうんですかね。曲としても声質としても録音としても非常に良かったです。ちょっと私の好きなスパイロジャイラっていうかバーバラ・ガスキンさんっていうか、似ているのかなと思いましたが非常に良い音楽を紹介していただけたと喜んでおります。

 それと湯浅学さん。「枯葉」を何曲か流してくださいました。稲葉国光さんと中牟礼貞則さんの演奏は大変に素晴らしかった。ありがたいです。1975年の録音っておっしゃってたかなと思います。もう1曲、別の良かった曲としてはルーチャ・レジェスさんの「戻ってきて」という切ない曲。バックの演奏も非常に良かった。初めて知った人ですがペルーの人でずいぶん若くして亡くなったみたいです。

おどろきキツネくん

 ───────────────

 おとといのことになります。

 フライパンを買いに地元の商店街に行った帰りに、写真を撮ってきました。名所旧跡です。

 といっても非常に小さくて、60センチ四方くらいのこじんまりとした場所の写真です。

 写真中央にコップが並んでいます。そのすぐ上の目立ちにくい石。これが目的でした。

 これは「咳婆さん(せきばあさん)」と云うらしいのです。

 私の住んでいる場所からはちょっと遠いですけど、小学校の学区内であって、友達のご実家の近くでもあります。

 しかし私は「せきばあさん」の石碑については今年になるまで知りませんでした。

 ネットの地図で近所をボンヤリ眺めていた際に発見しました。

 「どこかに便利な抜け道がないものだろうか」と探していたのですが、道は見つからず、昔の信仰の跡が見つかったという次第であります。

 三角形の先端に位置する活用しにくい土地なんですね。小さい公園などにする場合もありますけど、ここはそれとも違う感じです。敷地の大きさとしては3~4メーターとか。小さいです。

 地名としては「石坂(いしざか)」という場所です。

 私が住んでいるあたりというのは新興住宅地が非常に多いのですけど、この「石坂」エリアに関しては昔から人が住んでいた場所です。昔からの土地だけあって道もクネクネしています。ですので私が知らない抜け道もあるんじゃないかと思ったんですよね。

 「ネットの地図での事情」について追記しておきます。今は「富士市 石坂」周辺を漠然と眺めていても「せきばあさん」は表示されないようです。

 「富士市 石坂 咳婆さん」で指名して検索すると出てきます。今現在は。

 近接した写真です。

 石碑としてはかなり小さいですよね。人の頭より少しだけ大きいくらいです。個人的に作って設置した、というようなサイズです。

 昔の道しるべなど、往来する人々に向けて作られた場合、今に残るものを見るとちゃんと人の注意をひく程度の大きさをしている場合が多いようですし。

 表面のようすに視点を移しましょう。何かが彫られているようです。しかしとても風化が激しい。近くで凝視しても何が何だかわかりませんでした。

 この点についても、昔の道しるべなんかは今でも立派に読める場合も多いですし、かすかにでも文字が判別できたりするので、やっぱりこの「せきばあさん」に関してはそういう公的な設置物とは違うんでしょうね。

 角度を変えて見てみたら、何か分かることもあるのではと期待しましたが、見えてくるものはありませんでした。

 裏側にまわってみても何もわからない。雑然とした印象です。

 全体像はこんな感じ。とても目立ちにくい。

 おそらくこの辺りの住人の方でも昔から住んでいる人じゃないと、「せきばあさん」の存在を知らない人もいるのでは、と思います。

 場所としてはスポーツジムの近くです。私は高校生の頃にこのジムに見学しに来たことがあります。友達が興味があったみたいで「ついてきて」みたいに誘われたんですよね。40年ぶりに来ました。道が迷路みたいですので特別な用事でもないと来ない場所なのです。私にとっては。

 ───────────────

 以下は「せきばあさん」についての説明です。興味がない方はまた明日、ブログに来てください。おまちしております。

 ───────────────

 「せきばあさん」。まぁおそらく「カゼを治してくれるんだな」みたいなことは想像がつきますね。よくあります。そういう民間信仰。

 とても小さな石碑ですから、近所の人だけで信じられているか、遠くの人が聞きつけて拝みに来たとしても数キロ四方。そんな感じではないのかと思います。

 ところが「せきばあさん」って、私は知らなかったんですけど、「地獄にいる奪衣婆(だつえば)に関係あるらしい」と、ネット上での検索に検索を重ねた結果、知ることになりました。意外。

 地獄の官吏(っぽいヒト)が、ナゼ昔の人たちの素朴な願望「病気を治したい」に寄り添うような存在に変化して行ったのか。

 それと「せきばあさん」っていうのが別にこの土地土着の考えではなく広く昔の日本のソコ&カシコに伝わっていて、それらが遠く静岡のこのあたりにまで伝わってきていた。というのも驚きです。

 ───────────────

 ガッカリさせてはいけませんので、以下はなるべく簡単に記述します。

 ただし「地獄についてのことがら」っていろんな説だったりそれぞれの地獄観、ストーリーがあるようですので、とりあえずこの文章では話のスジがつながるようにその一例に添いました。地獄ってすごく奥が深いようです。

 奪衣婆っていうのは地獄における番人みたいな役割で、「六文銭」ってありますよね。通行料みたいな。三途の川の。しかしお金が足りない場合ね。亡者さんの衣服を奪ってお金の代わりとする。そういうヒト。おじいさんもいて、夫婦なんですけど。

 他の役割としては、閻魔大王の裁きにかかる前の簡単な問診っていうか、私は医療におけるトリアージを思い出しましたけど、「この人はだいたいこれくらいの罪ですよ」っていう簡易な裁定を閻魔大王に申し送るといった、そういう機能も果たしている。というように考えられていたようです。

 それで昔の人たちの「地獄のイメージ」というのが大変に恐れられていて、なんとか地獄行きになったとしても楽に過ごしたい。苦しみたくないっていう気持ちが大きくあったみたいです。それでいきおい奪衣婆を拝んでおいて、罪を軽くすることを目論むというような。そんな姑息にして素朴で切ない動機があったみたいです。閻魔さん本体じゃなくてその前段に向かうところがいかにも民衆だなって感も大きくあります。言い方を悪くすれば「奪衣婆さんにとりいっておこうナンマンダブ」。そんな感じでしょうかね。

 最大のナゾの解明について記します。

 奪衣婆は「関の番人」。「関」が「咳」に転化して、いつしか「せきをしずめてくれるおばあさん」になったみたいです。

 ───────────────

 時代を隔てた遠く昔のコトって、今の人間にはわかりにくいですから、その脈絡が理解できた場合、「あぁ! そうか! うれしい!」ってなることも多いと思いますけど、「関」が「咳」。オヤジギャグ。私の感想としては非常に腹立たしいです。

 言っちゃなんですけど間違ってると思いますよ。

 単なる語呂合わせであって、病気のメカニズムや病理的なものと全然違いますからね。昔の時代に転生して最初にコレを思いついてイイ気分になっている多分オジさんに向けて言いとがめたい。言いさとしたい。イーサネットにつないで。イートン・ライフルズですよ。階級闘争。労働権の確認。話がそれましたけど、そんな衝動に駆られます。しかしそれはかなわないコトですのでね。

 老婆の霊性っていうか、ヤマンバとか、そういう不思議で超常的なイメージも重なって、地獄の住人っていうミステリアスなその存在とか。とにかく色々混じってしまって見かけ上は大きな説得力があるかのように感じられる。信じるに足る根拠になった。みたいです。もうイカにも民間信仰。冷静に考えたら絶対そんなワケないよってなるんですけど、それがそうは行かないっていうのがヒトとヒトとの集団における心理の有り様っていうか。手のほどこしようもないのですよね。

 以上のような感じでありまして、民衆による民衆のための存在。それが「せきばあさん」っていうのが私の理解なんですが、案外ちゃんとしたお寺でまつられている場合もあるようです。どうかしちゃってるんじゃないかって思いますけど、実在するものは仕方ないですよね。

 東京は新宿2丁目の北側の通り沿いにあるわりと大きなお寺。そこにあるみたいです。全然知りませんでしたけど。カラダが大きなオジさん向けの紳士服店の並びです。それとか昔はスジを挟んでお向かいのあたりに「KEY」っていう楽器店があったんですけど今はもう無いみたいでビックリしました。私が最初にエレキギターを買ったお店なんですけどね。

 ということはそこからちょっと奥の方に入っていったところに昔あったKEYの系列みたいなお店も無いんですね。音楽家の大友良英さんのご著書の中の記述によると、エルクっていう昔に存在したギターメーカーのお店の跡で、KEYとエルクが関連していたっていうことだったみたいです。私がウロウロしていた頃には中古楽器専門のあんまりやる気の無いお店になっていました。なんか床がジカに土間って感じの他に類を見ない内装だった記憶がウッスラとあります。

 ───────────────

 すっかり長くなってしまいました。読んでくれた方には感謝の言葉以外にございません。ガッカリさせていなければ良いのですけど。しかしマ、残る疑問としては当地「石坂のせきばあさんの碑」の表面の彫刻ですね。往時には一体どんな意匠がほどこされていたのか。あるいは最初っからツルッツルだったのが時を経るうちに何か意味ありげに侵食されていったのか。

 記録はおそらく無いと思いますので考えても仕方ないことかもしれませんが、気になります。

 見た感じから割と柔らかめの石材だと思うんですよね。昔の加工技術で何とかなりそうな。それも近所の小さな工房とかの製作物、あるいは完全な素人で手先が器用なおじさんが「ノミとトンカチ借りて来たど~」って言ってチョイチョイやって何とかなる程度。ナゾは深まりますけど、このあたりのイナカのことですし底は浅いんじゃないのかなと夢想しております。

 枝ぶりは妙に良いですよね。

キツネくんマラソン

 一生懸命走っていますけどバテてます。

 ───────────────

 今朝は自転車で重い荷物を運搬する作業をしました。

 午後はフライパンを新しく買ってきました。

 ちょっといそがしい1日でした。

 ラジオ日記としては北海道の留萌市(るもいし)についての話題を聞きました。北海道の西側、北の方に位置する海沿いの場所です。超高級食材であるカズノコについての情報をふんだんに知ることができました。NHKラジオ第1「らじるラボ」にて。

 留萌ご出身である音楽家の掟ポルシェさんの存在は黙殺されてそのままコーナーの終了となりました。というのも留萌市は高名な音楽家を多数輩出しているんですね。宮川泰さんなどもそのひとり。

 掟ポルシェさんはYAMAHA TX81Z界においてはとても大きな存在ですが、さすがに宮川泰、佐藤勝、森田公一といった諸氏。加えてダン池田さんなどにくらべると若干ほんのちょっとだけ苦しいことも事実。

 番組の後半では留萌の観光面についても触れられましたがここでも惜しくも掟さんのかつてのバンド仲間がオーナーである喫茶店の存在は黙殺されて終わりました。なんでもアザラシがあたりをウロウロする野趣あふれる立地だということなんですが。

 実はきのうのことですが、宮川泰さんのご長男である宮川彬良さんの動画をネットの動画サイトで見ました。

 作曲家のルロイ・アンダーソンさんの楽曲「プリンク・プレンク・プランク」の演奏。非常に楽しい趣向。であるだけでなく、楽器の編成もよくある感じとはまた違って管楽器が中域を支えて良い感じ。軽やかさを阻害するわけでもなく良い演奏。私が子供の頃は山本直純さんによる指揮でこの曲を知りましたが、今は宮川さんがいるんだなと理解しました。すごく適任だと感じました。

 ところでルロイ・アンダーソンさんですけど、呼び方としてはリロイ・アンダソンとする場合もあるみたいですね。実はNHKのラジオの聞き逃しサービスで日曜朝の番組「音楽の泉」を聞きました。奥田佳道さんの解説。はじめてこの番組を聞きました。リロイ・アンダソン特集ということで。時間的には「現代の音楽」とほぼ重なっているんでいつもは聞いていないのですけど楽しかったです。ありがたいですね。まとめて聴けて。

 最後に本日のラジオ番組「らじるラボ」に戻します。鉄道に関する「音の風景」を聞きました。今日は終電車の音世界。最初に聞いた音は1987年の首都圏での収録。87年といえば私も東京の市ヶ谷でサラリーマンをしていた頃です。もうほぼ毎日が終電という勤務でしたから懐かしかったです。私が「西新宿」とか「千駄ヶ谷」とかの極端な地域に住んでいたのも残業が長くて早く帰って寝たいという欲求からくるものでしたからね。

 寝込んじゃっている酔っ払いのおじさんが駅員さんに起こされる情景。くしゃみをするおじさんなどのサウンドが聞けて面白かったです。

 個人的に思い返すことといえば、私が新宿の駅の改札を出るのと同じタイミングで駆け込んでくるサラリーマンの人たちの姿など。どこかの終電の時刻に重なっていたんだと思います。新宿も特に西の改札はオフィス街に面してますからね。中でも私が目をつけているサラリーマン男性がおりまして。顔は全然見てないんですけどアタッシュケースですよね。たぶん西新宿のカシオに勤めている人で、当時の「RZ-1」とか「CZ」とか「FZ-1」とかのカシオが発売していた一連のシンセサイザー関連のステッカーがベタベタ貼ってあって目立つんですよ。シンセサイザーが好きな人限定ですけど。おそらく関係者なのではと思っておりました。この人は私が出勤時の駅に入るタイミングで出てくる姿というかアタッシュケースを見かけたことも数回。働き者ですね。私もそうでしたけど。そんな思い出でした。