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自由民権さぐり旅・第1回「三島の龍沢寺」

 龍沢寺(りゅうたくじ)ですね。

 龍澤寺とも表記されるみたいです。と申しますか、こちらが正式であるようです。看板の写真を見ますと。

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 不定期連載というか、ヒマがないと発生しませんが、私の住む富士市近隣に残る、政治的というか歴史的な旧跡なんかを訪れてみたいと。そうした気持ちに立脚した行動をつづるといった企画です。

 「自由民権さぐり旅」と名付けました。

 大ざっぱには、明治期における社会運動に学ぼうという意図、視点ですけどそれ以外の転換点ですね。敗戦後のことがらなんかも範疇に入れて、見たい、学びたいのです。

 まだよく知らないことだらけですので「手さぐり」っていう意味を合わせました。

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 初回は三島市。私が住む富士市から見ると奥の方。箱根の山の裾野っていう感じですけど、三島の駅までたどりつけば、そこからそんなに離れているわけでもないです。4キロくらいなのかな。

 三島の駅の北側は文教地区でありまして、緑の濃さも含めて雰囲気はかなり良いんですけど、そうした一角から自転車で坂を登っていくとスグでした。

 ホントはちょっと道に迷って県道21号線を北上しそうになったんですが、間違いに気づいて巻き戻しました。あやうく御殿場まで行くところでした。

 龍沢寺は禅寺でありまして、私が行った日にもそうした修行の最中でした。そのため、お庭に入ることはできませんでした。

門からのぞき込むようにして撮ったお写真です

 このお寺には昔、山本玄峰っていうお坊さんがいて、中興の祖っていう役割を龍沢寺において果たしたんですが、戦中戦後における日本のあり方にも影響を与えた存在なんだそうです。

 敗戦における昭和天皇の「玉音放送」ですね。いわく「耐え難きを。……タエ。」っていうよく知られた一節。そもそも山本さんが天皇に進言したという由来であるそうです。鈴木貫太郎内閣ですよ。

 戦中からそうした政府の要人たちが通う。あるいは山本さんが東京に行った際に集まる。そうした光景があったそうなんです。

門柱の上の方に狛犬さんみたいな動物の木像が生えていました

 またこの龍沢寺には田中清玄さんですね。共産党の活動をしていたのだが獄中で天皇主義へ転向した後ですね。山本玄峰さんの下で働いていたと。その後は右翼の大物っていうか政治的フィクサー。児玉誉士夫(よしお)さん以外にそうした人がいたんだって私はつい近年に知ったんですが、私が子供の頃にロッキード事件っていうのがございました。アメリカにもコーチャンっていう可愛らしい名前の人がいるんだと知った。あるいは政商と呼ばれる人の存在。そしてまた李承晩ラインにおける漁民の拿捕、解放とかね。日本と周囲の国々との関係を知っていく最中でした。田中清玄さんって非常に逸話が多い人ですけど終戦工作にも加わった。その一環が上記の「耐え難きを耐え」っていう言葉を含めるその進言を託され上奏したっていうまぁこれはごく内々のものだったようですが歴史的な一幕ですね。ワン・ノブ・昭和史ですよ。ラッパーの故ECD氏の言い回しを借りればね。日本の降伏についての素朴な感想を言えばかなり遅かったなって私は思いますけどソコはソレ。

 つまり龍沢寺は日本が降伏を受け入れる際においての鍵のひとつとなる地であったというわけで、一度は行っておきたいなという。ホントは去年の9月2日にでも行きたかったんですが、コロナのアレで行けませんで、ハンパな日にちですけど去る5月24日に行ってまいりました。

それなりに急峻な階段の上に門がありました

 門だけ見て帰ってきたという次第ですが、別に中を見たいというワケでもありませんでした。

 しかしコレだけはやっておきたいという活動が他にあったのです。

 共同通信社が発行した本で、「ポツダム宣言」や「降伏文書」、「カイロ宣言」、そして「玉音放送(終戦の詔書)」などを1冊にまとめたもので、特にカイロ宣言からポツダム宣言への接続、その大まかなところが理解できたのが収穫でした。私にとってはとても良い本ですけど、この本を自分で電子化しまして、スマホに入れて持参してきたんですね。

これがスマホに収めました当該書籍の画面。大変な名文だと思いますが悲しくもありますね。刀折れ矢尽きたって感じを私は受けるんですが。

 公園のベンチ等で終戦の詔書を再読しようじゃないか。三島の地において、という気持ちがあったのです。つきましては事前にネットで調べておきました。公園の選定です。

 龍沢寺からの帰路は下り坂で非常に爽やかなんですが2キロほど下った地点の大きな橋の手前に公園があります。小さな公園です。

 ここになんと「自由の女神像」が立っているという。サイズは小さいですけどね。

思い切ったことしますよね。三島市民。
背後の電柱の太さからもそのサイズが知れるかと思います。

 橋との関係がよくわかる構図。橋の下に位置しています。下のお写真の奥の下方には沢が流れていますがかなり深いようでした。

橋を見つめる女神

 ポツダム宣言は別名「米英支三国宣言」というそうですが、とりわけアメリカ。それを象徴するような女神像が、龍沢寺のそばに立っている。これにはおどろきました。

草がボウボウ。

 この公園は住宅地の奥に位置していています。おそらく三島市の人にもそれほどその存在を知られていないと思います。

 私の疑問としては、ナゼに自由の女神像をこしらえて据えちゃったか。その理由についてはネットでは判然としませんでした。

 現地にて碑文を参照し確認しましたが、これが気抜けすることに「大きな理由は特にない」というのが真相だったようです。少なくとも表向きには。

来歴らしきものが彫られていますがナゼ自由の女神なんだという説明は特にナシ。
こちらは技術的なクレジットといった趣き。私自身が石に写り込んでいますがマヌケで良いと思いますのでこのまま掲載いたします。自分で思いますが私も老いましたね……。わりと年齢不詳系で通してきたんですがさすがに50代後半ともなると今は昔ですよ。

 疑問に対する一応の解が得られたからには、この近所の人たちのみが使用すると思われる憩いの場。ココに私のような部外者が長居するのもいけません。

 手短に読んでしまいましょう。昭和20年8月15日に昭和天皇が国民に向けて何を語ったか。

 ところでこの日の私の足元をご覧ください。

足の動きを阻害しないようにという意図で上の方はゆるく結んでいます。

 ドクターマーチンの14ホール。真っ赤なロングブーツ。ミック・ロンソンもかくやってオモムキですよ。ロンブーはいてワウを踏むっていうね。若い頃に限定の所業。トシとってからだとああはいきません。

 ホントはロンソン氏の場合はロンドンブーツの文脈だと思いますので、労働者階級のシンボルみたいなドクターマーチンシューズとは違うんですけど、私自身がパンクな文脈の人なんでこっちだなっていうね。

 久しぶりに履きました。14ホールっていうと履きにくく脱ぎにくい。不便な靴。普段の私はもっぱら8ホールか10ホールを愛用していますが、こちら14ホールのロングブーツともなりますとね。あんまり買う人もいないので、しかもハデだしね。半ばお店の中のディスプレイって感じであって。いつから置いてあったのか知りませんが買った時からもう古びていましたけど、あんまりそういうのが気にならないタチです。意味はないんですが日本が降伏した際の鍵となる地に履いて行きたかったんですよね。この不便なブーツを。

 この時点で午後4時過ぎだったと思います。

 富士宮市から帰宅するのと事情が違って、大きな道沿いを辿りますので、別に帰宅が遅くなっても良いのですが、明るい内によく知っている地域に戻りたいのも事実。

 三島から富士までは平坦な道ですので差し支えない区域であれば自転車でも時速30キロ程度で走れますけどそれも明るいうちですよね。路面の大小のギャップを拾いたくないので明るいうちに通過したいです。

 上のお写真の時点でもう6時頃だったと思いますがまだ明るいですね。富士市内に戻ってきた後です。原田という地域の神社。私が昔に通っていた高校のすぐソバです。

 ちょっと休憩して自転車のライトを取り付けて、それと何か食べようということで、出かける際に近隣のお店で買っておいた「ほうじ茶ようかん」を食べました。富士市の最近の名物です。当ブログに登場するのは2回目です。

 思っていたよりもおなかが減っていたみたいで気がついたら1本まるごと無くなっていました。

 そんな1日でした。暗くなる前に帰宅できてよかったです。

TROMS〔b09〕グレート・ザ・防潮堤

 きのう掲載したお写真にもチラッと写っていますけど、堤防というか防潮堤というか防波堤のお話です。

草ボウボウの海岸に降り立った地点から見上げた堤防の姿です

 富士市から沼津市までつながっている長い堤防です。20kmあります。

 高さもかなりあって「日本一の堤防」とする向きもあるようです(後述)。

 構造的には上のイラストの通りでありまして、2段になっています。平らな部分はどちらも自動車が通れるくらいの幅があります。特に下の方は車がすれ違えるくらいの幅があると思います。場所により少し狭くなっているかもしれません。

 そんな感じですから基底部の幅はおそらく数十メートルの規模です。

 自動車で進入できるようになっていますけど、あくまで堤防の管理用の道でありまして。少し行くとチェーンで通行止めになっています。長くは走れません。自転車、あるいは徒歩。ランニングであれば通り抜け可能です。

 この道が私は好きです。前にチラッと書きましたけど井上陽水さんの「つめたい部屋の世界地図」っていう曲がよみがえってきます。「ピポー」っていうアナログシンセの音色なんですけど井上さんの若い頃の際立った声質には伸びやかなアナログシンセの音色が合うんだなと。そんな感想を持ちます。

 堤防の高さについてですが、富士市の領域においては海抜17メートル。

 沼津市ではもうちょっと低くなっているようですが、数メートルの違いです。この写真に写っている地点というのは富士市か沼津市か曖昧というか中間ですので、もう沼津市の高さに沿っているかもしれません。

 50センチの幅のコンクリートで覆ってあると市の発行物には記載されていました。時折補修工事をしていて強度を保持しているようです。

 この堤防はかなり古い構造物です。

 昭和30年代のものですね。

 経済的に余裕があった時期に作っておいてよかったのではと私個人は思っています。こんな長大なものはイキオイがないとムリですよね。

 ところが私が生まれた昭和41年の台風で富士市に被害が発生しまして。堤防を乗り越えて家というか集落が押し流されまして。

堤防の崩壊の様子を伝える当時の「広報ふじ」です。瓦解しておりますね。
合併直前の広報誌ですので誌名としては「よしわら」となっております。
非常に深刻な被害であったことがわかります。

 追加の対策として堤防のかさ上げが行われました。

 富士市だけ堤防の高さが沼津よりもちょっと高いというのは、おそらくこの追加工事に由来するのでは、と思います。

堤防の内陸側の姿です。こちらには人が歩けそうな段が設けてあります。
松の林がずっと続いているんですが、いわゆる「千本松」と呼ばれるもの。歌人 若山牧水が愛したっていうアレです。厳密には沼津の領域の呼称だと思うんですが連続しておりますのでマ、いいかなっていう。

 ご当地アイドルである「3776(みななろ)」の動画においても、この堤防のようすを見ることができます。殺風景なだけでなく女子分も欲しいじゃないか、という方は見てみてください。

 「【踊ってみた】Beethoven: Symphony No. 7, 4th movement – ベートーヴェン:交響曲第7番第4楽章 」という動画です。

 ベートーベンの交響曲に合わせて踊るという意欲的な内容。かなりアレンジされておりまして、興味深いと思います。明るい気持ちになれますよ。

 たくさんある3776動画ですが、他の富士市や富士宮市の良い場所が網羅されておりますので当地の紹介にはうってつけです。

 興味のある方は参照してください。

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 この日、去る5月30日ですが、気温は高かったですけど湿気は比較的低くて、お昼すぎであるにもかかわらず富士山が見えました。

 せっかくですのでお写真を数葉ご紹介して本日は終了といたします。ありがとうございました。

 年に数日、5月の末から6月初頭にかけてこんな日があります。富士山がお昼に見えてうれしいっていうのと、それと湿気が少なくて爽やかだっていう二重の喜びですね。

元吉原の区域、高台になっているところからの富士山です
柏原からの帰路。海岸から北上した感じ。住所的には富士市三新田のあたりからの富士山です
上のお写真と同じ場所からの別ショットです。これはかなり色調整しましたよ。アナログ製版的に申しますと赤を洗った感じ。
元吉原の高台よりの製紙工場の姿です。奥の山は愛鷹山(あしたかやま)です。

TROMS〔b08〕柏原(かしわばら)の海岸に行ってきました。

 ゲラティック号が浜に打ち上がった件について、こんなに回を重ねることとなろうとは思ってもおりませんでした。

 せっかくですので、久しぶりに現地を訪れてまいりました。

 今はどうなっているんであろうか。

 柏原という土地は、富士市のはじっこにありまして沼津市と接しています。

 5月のかなり気温が高い日に行ってまいりました。暑かったです。

 砂浜というよりも鶏卵大の石が多い印象でした。

 これが今現在の柏原なのかと、ちょっとビックリ。

 砂の部分も残っておりますが、かなりせまい領域。

 しかし私がこの件について参照した最近の「広報ふじ」上では、地元の人が「今は砂浜が狭くなったね」なんてことを言われておりますので、状態は変化しているのであろうなと思います。

 なにしろ40年以上前のことです。

 海岸と呼べる領域自体が狭くなっておりますので、もうここに大きな船が立つのはムリっぽいなと感じました。

 ゲラティック号の事件って砂が豊富にあった時代でしか起こりえなかったのだな。そんなことを思いました。

特別企画・すこし遠くの神社に行ってきました。先週。

 以下は先週のコトです。(長文。ジャンルとしては「レジャー」)

 金曜日のお昼に自転車で外出しました。
 めずらしく富士宮市(ふじのみやし)。そのちょっと奥にある神社に行きました。

 以前ですと私、自転車でフラリとヨソに行くというのをよくしていたんですが、地域のボランティアのお仕事とかですね。あれを始めてからかなり私的な時間が削られている状態で。まぁ仕方ないのかなとも思うんですが。

 それで今般のCovid-19のゴタゴタもひと段落しそうですし、そろそろ地域のお仕事も動き出すかもしれない。そうなると自由な時間も限られる。

 そんなワケで、たった数時間ですけど行ってきました。
 (あとで連絡が来まして、来年の1月まで地域の行事は中止なんだとか。残念。特に夏のお祭り。)

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 富士宮の幹線道路「国道139号線」に「登山道入口」という交差点があります。
 ココを北の方角に曲がると、その名の通り富士山を登ることになります。
 つまり車でなら5合目まで、徒歩ならその先へ行けます。
 今年の富士登山については富士宮の行政としては可能にしたいようなんですが不透明。余談でした。

 下のお写真がその交差点。「登山道入口」です。

富士山で〜す

 富士山がドーンとそびえていますのでわかりやすいですね。豊富な登山感。

 この時期のお昼過ぎ(午後1時半くらい)に、これほど山体アラワになるのは珍しいですよ。
 この日、湿気が少なかったんですよね。たぶんソレでだと思うんですが。
 写真の色調をかなりイジっていますが、でもだいたいこんな感じだと思ってください。

 まだ傾斜の角度としては、この地点ではまだユルいです。見ての通り、お店も多い地域。

 ちなみに「国道139号線としての本線」は、この写真でいう横向きの左右のラインです。そっちを行くと山梨の富士五湖なんかに通じています。この道はホントに主要な幹線です。地元的に言うと「大月線」って呼びます。

 交差点に戻しますが、このあたり。宿泊施設を兼ねた温泉があります。もしかしたらココに泊まる人も多いのかなって思うんですが、私は富士山を登った経験がないのでわかりません。

いわゆるスパセン

 上の写真で、ちょっと見えている「花の」っていうのがソレです。
 もう少し寄って撮りたかったんですけど人がいてカメラを出しにくかった。気後れしてしまって。

 ここは飲食店も非常に発達しています。お客さんが多いのかな。
 大きなパチンコ屋さんもありますよ。

パチンコ屋さん。デカい。

 しかし当ブログならではのコトを申しますと、私のマンガで出てきたお店のモデルがワキにあるんですよ。

修理工場

モル自動車工業

 かなりアレンジしてますけど、この修理工場が元になってます。「モルちゃんのおウチ」です。
 このマンガは現在停止中ですが、やめちゃうつもりはありませんので、気長にお待ちください。もし期待している方がいらっしゃれば。

 さて、先をいそぎましょう。
 しかし経路としてはシンプル。とにかくひたすら坂を登っていけば迷う心配もありません。

道すがらのサファリパーク

 途中でドラえもんやキリンの像も応援してくれています。
 ちょっとしたサファリ・パークですよね。
 本日のお写真はクリックしますと全て大きくなります。

とりい

 到着しました。
 「山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)」です。
 富士山が「世界遺産」になりましたけど、その際の「構成資産」のひとつです。

 いやー。ココまでくるのに大変でした。
 暑いし。
 保冷剤を3ヶ装着してがんばりました。背中の左右にひとつずつと、胸側にひとつ。
 熱中症は防げますけが、ヘトヘトになるのは変わりません。
 350gのパックなら3時間ほどは冷えています。

木の根っこ

 とても古い神社だそうでして、生えている木の根っこもスゴく太いですね。

入り口のところにある看板
石板

 参拝する人たちへの良質なイヤがらせとして古い石が道のド真ん中に置いてありました。

イラッとしますよね

 ちょっとおごそかな気持ちになってきますね。
 写真の文の説明を読んだ方はお分かりかもしれませんが、富士宮の繁華街にある浅間大社からココまでの道すがらにも石が置いてあったみたいなんですよね。マイルストーン的な。昔はね。
 一部まだ残っているみたいで、富士宮市が作ったPDF書類なんかも参照できます。
 いつか機会があれば、その辺をたどってみるのも面白そうだと思うんですが。

階段

 上の写真の丘を登ると遥拝所(ようはいじょ)があります。
 富士山っていうか、山岳信仰を今に伝える感じですか。

 いやしかしこの6月の植物のグリーン&グリーンな感じね。天気も良くて光線的に文句なし。湿気も少なめ。訪れるタイミングとしてはかなり良かったです。

溶岩などを利用した石の列

 上の写真が遥拝所のようすなんですが、柵がしてあって、立ち入れないようになってます。
 しかし柵越しに見るだけでも感動しました。

説明文

図表

 上の説明を見てド肝を抜かれるのが「別当・供僧石」の存在ですよね。
 現場写真ですと手前中央に映っている石の配列がソレだと思います。

 この古い石の配列にすでに神仏習合の痕跡がハッキリと示されてるんですね。
 知らずに来たものですからビックリしました。

 この神社自体がとても古く、本殿なんかを必要としない遥拝所システムであるんですが、同時にまた神仏習合システムも備えているというコトがわかりました。
 もう少しくわしく知る必要もあると思うんですが、とにかく時系列的な部分、そして成り立ちなど、もっと学びたいですね。実に興味深いと思わされました。

 つまり浅間大社が出来る前から神仏習合システムってあったのかなという驚きです。
 個人的には浅間大社を訪れた際に神仏習合の痕跡を感じたことはありません。私が気づいてないだけかもしれません。

祈りを捧げるキャットたち

 しかしね。別の神社になりますが、「村山浅間神社」がこの「山宮浅間神社」よりもう少し北の方にありまして、そこは修験者が身を清めたり、富士山に入山する場所なんですけど、今この地に住んでる人たちの中には昔からそうした修行をサポートする職にあった人の子孫が残っているんだそうで。
 そんな地域との密着具合も今の世にあって関係しているのかわかりませんけど、素人の私が見ても、ちょっと仏教仕立てだなっていう痕跡が発見できるんですね。
 なるほどね〜。昔は割と神社ってこんな感じだったのかな? なんて思うんです。

 しかし戻しますけど「山宮浅間神社」ですよ。
 このプリミティブな造りに神仏習合が顔を出しているのは意外でした。仏教が入ってきて、支持されて、あまり後ろめたい感じもなくなると同時に、合わさっちゃったというか政治的なシステム的にも組み込まれたんでしょうけど、もう少し詳しく時代を知りたいと思いますね。いずれにしろ。

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 ちなみに私が住む「富士市(ふじし)」における別当職といいますと、今は廃寺となり存在しない「東泉院(とうせんいん)」っていうお寺です。つい最近、建物としては復元されたんですけど、あくまで歴史的資料というか、お寺としての存在ではありませんよ、という。

 富士山の周辺にはやたらと「浅間神社」が多いんですけど、富士市のあたりは「下方5社」っていいます。確かに富士宮に比べると下の方にある。
 ンでその名の通り、5ヶの神社があるんですけど、それを束ねる存在が「東泉院」だったみたいなんですよね。密教だったみたいです。お寺の宗派っていうんですか。この場合は宗門? 私、知識が無くてこういう分類がわからないんですけど。

 地名でいうと「今泉(いまいずみ)」にありまして、今の実質ゴーストタウンな「吉原商店街」のちょっと北。丘の上にあったみたいです。
 どうやら文化的な中心も兼ねていたみたいで、つまり遠方よりの偉い人なんかの宿泊ですね。
 近所にちゃんとした「本陣」みたいな宿もあるんですけど、「東泉院」の方に泊まる人もいたみたいです。もちろん特別な人だと思いますが、それでそういう人が持っている情報ですね。そういうスペシャルなインフォメーションが集積する施設であったんだとか。
 その後の廃仏毀釈で廃れちゃって立ち行かなくなったのか割とアッサリ無くなっちゃったみたいなんですけどね。

 そんな栄枯盛衰はともかく当時の別当が果たしていた役割なんかを知るヨスガではあるワケです。私は富士宮における別当についてはまったく無知というかそもそも富士市にあるんなら富士宮にもあるんだろうっていう発想がありませんでした。盲点。しかしこれはちょっと意欲が湧いてきました。

 関係ないですけど、富士宮には民話や昔話もかなり保存されていますのでそっちももっと知りたいんですよね。実際これが良いのがあるんですよ。

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 長くなっちゃいましたが、山宮浅間神社の遥拝所のようすに戻したいと思います。
 富士山それ自体を祀る神社というコトで、遥拝所から真正面に富士山が見えます。

富士山。わかりますか?

 確かに富士山は見える。
 ソレは良くわかりました。
 しかしピンボケ物体が気にかかりますね。

よくある「たぬきケーキ」とはまた違った、あおむけポーズのたぬき

箱入りたぬきちゃん

 これは「たぬきケーキ」です。

 坂道の途中に「長崎屋」っていう洋菓子屋さんがありまして、ソコで買ってきました。

ケーキ屋さん

 ホントはこのケーキを買うのがこの日の目的だったというのは言い出しにくくなっちゃいましたね。神社の方にインパクトが大きくてね。

 長崎屋には初めて行ったんですけど、もうすこし坂を登るつもりでおりましたが、案外まだ余力が残ったんで、神社にも立ち寄った。というのがホントの所です。
 富士山がこの季節には珍しく良く見えたというのも要因のヒトツ。

 しかし予備知識を持たずに山宮浅間神社に行けたのは、むしろ良かったかもしれませんね。新鮮に驚きました。
 いやー。行って良かったです。
 私の他にはダレもいないその場所でかなり不思議な感覚に包まれました。

柵の前の表示板
トラ・クッキー
世界遺産・構成資産マップ
トラ・クッキー

 長崎屋さんで調達した「どうぶつクッキー」を添えて写真を撮りました。
 わざわざ今の時代にしつこくブログをやってるんですから、ココは私らしく「かわいらしさ」にコダわってみました。

石灯籠

 そんなワケで今日はおしまい。長くなりました。
 ここまで読んでくださった方には感謝の気持ちにたえません。

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 もしかしたらもっと知りたい人がいらっしゃるかも、ってワケで付け加えておきますか。
 この山宮浅間神社の立地なんですが。
 昔に富士山が噴火した際の溶岩。そのドロドロした灼熱がピタリと止まった位置だそうです。

 富士市にもやはり同じくらいの標高的な高さになるかもしれないんですが、「今宮(いまみや)浅間神社」っていうのがありまして、比較的小さいですが。
 ここもやっぱり溶岩が止まった位置に建てられてるらしいんです。

 標高がどうっていうより傾斜が変わるというか、ちょっとユルくなるところで溶岩が止まったんだと思います。粘度の関係で。

 傾斜については自転車に乗る人間は実感としてつかみやすいんで納得する部分大です。
 山宮浅間神社にしろ今宮浅間神社にしろ、その先を自転車でっていうのはかなり覚悟を決めないと登りたくありません。
 すんごいツラいんですよ。行って行けないコトは無いんですけど。

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 この日は久しぶりに長い時間、自転車に乗りましたんでペース配分を失敗しました。かなりバテました。

 しかしまぁ神社の立地ですけど、意味があるんですね。
 富士山から噴き出た真髄っていうかマグマね。
 それを祀った的な。
 自然のパワーを畏怖するココロっていうかね。
 色々と考えちゃいますよ。

 「神社建立3001」みたいなね。これはロマンポルシェ。っていう日本のテクノミュージックなユニットの曲名ですけど。
 完全に蛇足ですが、モノはついで。