上掲の音声プレーヤーで曲が聴けます。
これを録音した時には歌詞ができていなかったのでハナモゲラ語で歌ってあります。ひょっとすると20年くらい前に作った曲です。
今回、歌詞を新設しました。
「いつ歌詞がつくのかな?」って思ってましたけど、ついにできました。うれしいです。
今回発表している歌詞は、どれもだいたい今年の6月頃にできたものです。
クジラが心の中で思っていることと、クジラを見ているケルプ(海藻)が合唱するっていうような作りです。ケルプはたくさんの元気な子供たちというイメージです。
大きいものと小さいものの歌です。
新しく作ったという歌詞は下の通りです。
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空にさわり潜りチュウ
舞い乱れる流体をギュウ
遠き声聞く
アウワワワワワワワウ ワワワワワワ
底に着き戻る途中
やわらかい柱ギュウ
これはケルプだ
アウワワワワワワワウ ワワワワワワ
デュンデュ・デュン(茎)
デュンデュ・デュン(葉)
デュンデュ・デュン・デュデュデュ・デュデュデュデュン
(荒い波 耐え)
デュンデュ・デュン(岩)
デュンデュ・デュン(光)
デュンデュ・デュン・デュデュデュ・デュデュデュデュン
(いのちを繋ぐ)
アワイヨン(アワヨ)アワイヨン(アワ)
アワイ・アワイヨ・アワイヨン(アワワワワワワ)
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手前味噌なお話で恐縮ですが、すごく気に入っています。
後半は「帰ってきたヨッパライ」とか「はじめてのチュウ」みたいなよくあるオクターブ上げの変声になっています。
私が念頭に置いているのはジョー・ミークさんの歌世界です。「Joe Meek – Entry of the Globbots」とか「Joe Meek – March of the Dribcots」です。
非常に個人的な感覚になるんですが、「帰ってきたヨッパライ」などの日本産のものに比べて、ジョー・ミークさんのはもっと広い場所にいるというか、ハミ出しているというか、小さく収まってない印象を受けます。
私の自作曲「クジラとケルプがデュンデュンデュン」は国内産の雰囲気を少し脱却できたかなと思っておりまして、そこが気に入っている点のひとつです。
からだが小さいからといって声も小さいとかではなくて。たとえば幼児がビックリするくらいの大声を出す場面に遭遇することもしばしばあると思いますけど、そうしたむき出しの野生というか生命力とかを取り込みたくて。
映画「ミツバチのささやき」の一場面に「フランケンシュタイン」の映画を見た小さな姉妹が「ギャーッ」っていってる場面とかも好きなので、どこか自作曲に反映させたかったのですね。
それと歌詞中の「遠き声聞く」というのはクジラが超低音で歌を歌っているという研究があるそうで、地球の反対くらいにいる仲間の声を聞けるらしい、どうやら、ってことなんですけど、これもいつか何かで使いたかったので使えて満足というか気に入っている点のひとつです。
長々と書いちゃいまして失礼しました。
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日記的な記述になります。
私の体調などもかなり戻ってきて普通に暮らせるようになりました。
家の中のお片づけも少しずつですけど進んでいます。
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ラジオ日記です。
NHK・FM「世界の快適音楽セレクション」を聞きました。本日の番組テーマは「森」。選曲家は湯浅学さん。
中盤以降がとても楽しかったです。
「森は生きている – 気まぐれな朝」。初めて聞いたんですがドッキリしました。音楽的に豊かなひらめき、きらめきが多くある曲だと思いました。とても良かった。バンド「森は生きている」の中心人物の方は福生市のご出身だそうです。私は自動車の組立工をしていた時にお隣りの羽村市に1年だけ住んでいたことがあるんですけど、「森は生きている」の方の生年からすると当時は幼稚園とかに通っていたくらい。そんなに大きな市ではございませんので「ザックリいってあの辺に住んでいた人なんだな」って思いました。
「M.S. Subbulakshmi – Kinjan Bana Chhadi(深い森の中で)」これは良かったですね。ビックリしました。まぁブルースですよね。ペンタトニックなね。南インドの音楽であり、ちょっと調べただけですけど、どうやら中村とうようさん案件っぽいですね。世の中にはメチャクチャ音楽を聴いて知っている人がいるんですけど、中村さんがそんな人でした。湯浅さんもそうですけど。フィールドは違ってきますけど小泉文夫さんとかも。私自身が音楽を聴く時間には恵まれている方だと思いますけどちょっと格が違います。上掲した方達とは。今この文章を書きながら聞いているラジオ番組「クラシックの迷宮」の片山杜秀さんも恐ろしいくらい聞いてる。不思議なんですよね。普通そこまで聞けない。処理しきれないんじゃないかっていつも感じています。
「Lonesome Luke & His Farm Boys – Wild Hog In The Woods」。いなたいケイジャンって感じでとても良かった。チャーミングな曲でした。わりと超絶技巧の人が多い印象のある音楽ジャンルですけど、いい具合に脱力した仕上がりになってたと思います。
「坂本龍一 – 森の人」。非常に久しぶりに聞きました。当時のFMラジオ放送などにおいても良くかかっていたと思います。音源は持っていませんけど聴いていると先の展開が思い出せる曲。ちょっとディヴィド・シルヴィアン風味もありますかね。あらためて聞いてみて本当に驚いたというか発見があったんですけど、坂本さんのあまりうまくない歌唱をうまく処理してあるそのアレンジであったり曲本体もそうですけどあとは音の処理ね。英知のかたまりみたいな曲だと感じました。頭の良い人が作った、それを最高の技術を持った人がまとめたっていう曲だと思いました。そんなこと感じなくても単純に良い曲だなっていう素晴らしさもあると思います。もしもこれで坂本さんの歌唱力も素晴らしかったら、こういう曲はなかったのかもしれないです。勉強になる部分しかないって思いました。知力で歌唱力をカバーできるっていう証明になるような。つい熱弁しちゃいましたけど。
あとはゴンチチの三上さんとヴィブラフォン奏者のフジタマサヨシさんの共作を聞きました。「masahiko mikami+、masayoshi fujita – Breath Of Forest」です。なんともやさしくふくよかな音楽だと感じました。やわらかいコケが木の根っこにフワフワ生えていそうだと思いました。その前にかかった「David Sylvian – A Fire in the Forest」の世界観を引き継ぐような。曲順としてもきれいな組み立てになっていて、うっとりとしました。
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もう充分以上に長い文章になってしまってどなたも読んでないかもしれませんが書いておきましょう。私にとっての「森の音楽」。
いつもと違って、奇をてらうのではなくて割と王道選曲です。
「Robert Wyatt – Forest」。感動しますね。この曲が収められたアルバム「クックーランド」っていうのがまた名盤なんですが。もたれかかるようにして進行する音楽っていうのでしょうか。最高です。
あとは「Brian Eno – Events In Dense Fog」。リリカルな曲っていうんですかね。ちょっとクラスターのアルバムに入っていてもおかしくないような。「アフター・ザ・ヒート感」があるんではないかと思います。
またしてもイーノ曲「Brian Eno – Taking Tiger Mountain」です。これまた素晴らしい。
本日のラジオ番組「世界の快適音楽セレクション」内においてゴンチチおふたりのやりとりとして「トシをとって体内の水分が減って涙が出にくくなっているのではないか」なんていう局面がありました。
実は私、つい数日前に思うところありまして合わせ鏡を使って自分の頭頂部を確認したんですが、順調に髪が薄くなっておりまして。「ちょっと一時期のブライアン・イーノ感があるな」と思いました。それでイーノ曲をふたつ選んでみました。あるいはキリングジョークのユースさんも上のほうが寂しくなっていたことがあったと思いますけど。
私もイーノさんと同じく天然パーマでちょっと長めの髪がチョロっとしておりますので、イーノ感があるなと感じたんですけど、イーノさんの場合、前髪ががんばって残っている時もあったと思うんですが残念ながら私は前髪から始まって頭頂部があらかたいっちゃってるタイプですので「やはりオレはイーノにはなれなかったか………」とごく当然のことを思いました。
かなり変な感じですけど本日は以上です。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。