「公開・ヒトコマずつマンガ」カテゴリーアーカイブ

タマゴ&トリ

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 ラジオで作家・高橋源一郎さんがブレイディみかこさんのご著書の紹介をされてました。託児所のことがらに関して。NHKラジオ第1「すっぴん!」8時台後半のコーナーです。
 ブレイディさんはイギリスで託児のお仕事とかされている方で、そしてまた私のようなイギリスの初期パンクからニューウェーブとか大好きだぜっていう人にも知られた方です。ネットで読める文章においても初期パンクとかをモロにかぶった人々のその後、現在の姿みたいなものが読めたりして、私にしてみれば生き別れの兄弟のその後を知る…みたいな心境になったりします。みんなおっちゃん、おばちゃんだよ、今や、って感じでしょうか。昔、ラフィンノーズのチャーミー氏が、「パンクロックが好きな人って、音楽ファンっていうより、そういう人種みたいね。」なんて感じの事をおっしゃっていたように記憶するんですが、まさにそういう人って死ぬまでパンク。ブレイディさんの書いたものを読むときって「パンクスの明日はどっちだ」って思いがタビタビよぎる私です。
 ま、それはともかく。ラジオでの内容は、保育士ひとりに対して幼児はどれくらい受け持てるものなのか、適正なのかという事が紹介されていたように思います。かなり感動的なエピソードも朗読されました。

 「ひるのいこい」で木村好夫さんのギターで「兄弟仁義」を聞きました。
 「ひるのいこい」には一番最後に「文芸コーナー」がありまして、だいたいホノボノとしたイイ歌が詠まれる事が多いです。今週ですと「陽が落ちてカエルの声がひびく夜になったよ」みたいな感じですけど。ごくまれに規格外のびっくりするような歌も紹介されます。
 土曜の「文芸選評」であれば、その道の先生による解釈だったり歌から見えてくる光景について話がひろがるんですが「ひるのいこい」は良い意味でも悪い意味でも詠みっぱなし。油断ができません。
 本日の歌は「監視カメラ」に映った「人」が「5時間あまりをかけて歩いて帰宅した」というような内容でした。私の解釈に誤りがなければ。
 確たる手がかりは歌に詠まれていないのですけれど「人」とは「徘徊老人」でしょうか。あるいはそう誤解されてもおかしくない高齢の方なのか。

 2010年代の“今”を写し取りつつも決して冷たい印象があるワケでも無いっていう一句だったかなと思うのでした。そんな次第でして聞き逃せないんですよね。10日に1回くらいは「えぇっ!?」っていうのが来る印象です。1週間に10日来いですよ。ぜんぜん違いますけどね。

ぼうえんきょうボーイ

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 本日はラジオで美樹克彦さん歌唱による「回転禁止の青春さ」を聞きました。爽快でした。お昼のNHKラジオ第1「ひるのいこい」。北原じゅん氏追悼企画の4日目です。2曲目はギターインスト「骨まで愛して」寺内タケシによる太いファズのかかった歌メロを味わいました。ビブラートしてアーミングって感じでしたか。最後はアーミングアップを混ぜたように聞こえました。

 「すっぴん!」においてはザ・イエロー・モンキーズの曲名は忘れてしまいましたが、かっこいい曲を聞きました。
 それとアイスーT氏のラップ。コールド何とかって曲だったと思います。ジェイムス・ブラウン氏の声サンプル使用のようでしたが、あれはひょっとしたら「コールド・スゥエット」からの引用だったのでしょうか。ちょっと良く分かりませんけど、本日は番組テーマが「凍りついた思い出」でしたので、それにちなんだ曲がかかっていたようです。

おとこのこ3人組

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 本日のNHKラジオ第1「すっぴん!」の冒頭はオールマン・ブラザーズ・バンド「ウェステッド・ワーズ」。グレッグ・オールマン逝去の報を受けての追悼ナンバーでした。私にはオールマン・ブラザーズはシブすぎて全く詳しくは知らないんですが、まぁともあれロックのフィールドにおける伝説的な人物の訃報が続く昨今です。

 ダイアモンド✡ユカイ氏による「ロン・ウッド氏との上着交換未遂事件」の全貌を私は初めて知って豪気だなと感じました。しかしロン・ウッドさんって本当に言われている通り、ヒトと打ちとけやすい人なんだなっていう感想ですね。それかテツ山内氏との交流を経て「日本人はわりかし話が通じるぞ」って感じだったんでしょうか。

 8時台後半のクラシック系作曲家の人とナリを学ぶコーナー。本日はヘンデル氏。「ハ〜レルヤ!」というオペラの曲で有名な方だというお話でした。
 バロック期の社会の仕組みが、ほの見えてきたのが有益でした。ヘンデル氏はけっこうムチャした人生だったようですが、ありあまる才能でなんとか切り抜けたっていう印象です。

 10時からは「アメリカン・ミュージックの系譜」の再放送。先週の夜の本放送も聞いておいたのですが、時代はついにエルヴィス登場というトコロまできました。個人的にはエルヴィス氏よりもエディ・コクラン派の私なんですが、そんなコトはどうでも良いのです。やはりポピュラー・ミュージックは「エルヴィス以前」と「エルヴィス以降」に分かれます。
 つまり「若者文化の誕生」ということみたいなんですけど。

 「ジャンプ・ブルース」についても触れられました。実は私、放送が始まる前からルイ・ジョーダン氏の音楽を聴きながらスタンバイ・オーケーな感じに整えていたんですけど、やはり疑問は「なぜ現在ジャンプ・ブルースが忘れ去られた位置に追いやられているか」です。
 当時は非常に人気があったそうです。これは私にも実感としてあって、所有する5枚組のCDはとにかく曲が多い。当時はおそらくシングル盤の時代ですから感覚としては月に複数枚のリリースとかだったんじゃないでしょうか。けっこうなモンですよ。おそらくですけど。

 アルバム志向ではないためか、わりとよく似た曲が大量にあるんですが、かといって粗製乱造というわけでもなくて、個別に音楽的なアイディアが封じ込められているのが聞いていて伝わります。かなりのキレ者なんですけど。つまり、質も伴っている。ついでに言えば録音も良くて、保存状態も良い。後世まできちんと保存されていたんだなってこともわかります。
 まぁ、較べちゃいけないですけど同時期の日本の音源の状態を思うと、差が歴然としていて若干の悲しさがあるんですけど。

 ジャズ・ミュージックがなぜジャンプ・ブルースを割とすみっこの方に追いやり、即興演奏をムネとするビバップの流れを大きく活用することにしたか。ココについては非常に大きな興味がありますので個人的な課題にしたいです。レクチュアにあった説明だけでなく、他の説も知って、もう少し立体的に自分の中で捉えたい。
 まぁ私は別に誰かに話して教えたりする立場ではありませんので、何となく自分の中でだけのリアルな流れをカタチ作れればいいなっていうだけなんですが。

 ジャンプ・ブルースについてもうひとつ。
 私のようにガチャガチャした音楽が好きな人にとって重要なのは「チャック・ベリー氏の発想のミナモトである」っていう点ですよね。何しろボ・ディドリー氏もルイ・ジョーダン的な音楽に憧れていたってお話ですから彼の音楽がロックン・ロールの元になったのは間違いないところです。つまりジャズにおいては若干、扱いが悪いジャンプ・ブルースですけどオールド・スクールなロックン・ロールにおいては今でも全然、血脈として続いてますよ!っていう事でもあるのかなと思います。実は本日、古いギター雑誌の切り抜きをスキャンしておきましたので、ご興味のある方はクリックするなりして読んでみてください。チャック・ベリー氏、80年代中頃のインタビューです。ずっと保存してあったんですけど、見返したのは20年ぶりくらいです。

 先週でしたか、ラジオで聞いたチャーリー・クリスチャン氏のギター・ソロ。スゲぇなオイ。みたいな素朴な感想を書いてしまった私なんですが、上のインタビューを読むと、ベリー氏もチャーリー・クリスチャンには入れ込んでいたことがわかります。やっぱり私もこんな音楽ばかり数十年も聞いてきただけあって多少はカンが備わってきたのか、とちょっとだけ見直した次第なんですが、それはともかく、ベリー氏が雑多な要素を吸収していったことも読んで取れますね。音楽的な好奇心が強い方だったと。ハバナ・ムーンみたいな曲もやってますからね。私は妙にあの曲が好きなんですけど。

 レクチュアの内容としては、そのほか、ASCAPに対してBMIの設立経緯などの著作権周辺のお話。実演家団体の設立のお話などなど、知っておくと理解が進むかなっていう情報もありました。

 この先の放送の内容は、徐々に暗い世情がポップミュージックに反映されていく…。楽しいばかりの音楽では無くなっていくのかなって予感もありますが、ソレはソレ。この機会に振り返りつつ、自分の中でまとめていきつつ、って感じですかね。

 それと「ひるのいこい」において「まんが日本むかし話」のテーマが2番までかかりました。びっくりしましたよ。

きりかえの風景(空と雲)

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 NHKラジオ第1「すっぴん!」にてパバロッティ氏歌唱による「オー・ソレ・ミヨ」を聞きました。火曜パーソナリティー・ユージさんのご選曲。大変なオペラファンである歌の先生に指導を受けた際の思い出の曲なのだそうです。

 2日続きでオペラの話題が続いた「すっぴん!」なのですが、やはりあの強烈な世界にノメり込むと人柄まで素晴らしくなってしまうのか、先生はレッスンに入る前のあいさつからして「オハヨ〜〜〜!」みたいな感じの美声だったという、とても楽しいエピソードでした。
 マンガの登場人物としてそのまま出ても、埋もれずに輝きそうですね。

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 ラジオ第2の「ニワトリのレクチュア」はかなり時代も現代に近づいてきて江戸時代まで来た感じです。チャボが大変に可愛がられてたという紹介などもありつつでした。
 ここにきてようやく「夜と昼を分かつ象徴的な存在」みたいなものから割と普通のトリ・ポジションになってきたみたいです。かなり長くかかった印象です。
 このレクチュアを聞き始めてから個人的な関心は「現代人のもつニワトリ・イメージ」と「昔の(霊的?)イメージを象徴していたニワトリさん」。この両者のさかい目は、どの辺にあるのかな?ってことだったんですが、江戸時代まで来ました。
 どうも先生のお話によると品種改良でニワトリが華美になったあたりと重なるのかなって感じですけど、まぁそれ以外にも科学的な知識が広まってきて宗教観に変化が生じた…なんて要素もあるのかもしれないです。

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 NHKラジオのウェブ・サイトが根本的にリニューアルして、聞き逃した内容、その多くがさかのぼって聞けるようになっています。

 先週金曜日に社会学者の岸政彦先生と、小説家の高橋源一郎さんの対談を聞きました。
 実は昨日も聞きまして、非常に楽しい内容だったんですが、ラストの7分間くらいが個人的に非常に興味深い内容でしたので、本日改めてメモを取りながら聞きました。

 だいたいの内容は、個人の体験を聞き取りする時に現れる現象についてです。かなり過去の体験、しかし非常に過酷な体験。それを語るときに「今」と「当事」が錯綜して折り重なるようにして語られることがあるというコトでした。
 記憶が溶けてゴッチャになっているんじゃないかってお話なんですけど、いやそうじゃないと。一連のセンテンスに時間系が全部入っている。これを高橋さんは「豊かな語り」と呼び、岸先生は「実存を感じる」とおっしゃってました。
 歴史を整理する時に、ともすれば冷たい感じになってしまう場合があるのだけど、それを血の通ったものにしようとするならば、そうした「語り」も添えるべきじゃないか、というお話だったかな、と解釈しましたけど、私の理解ですのであやしいですよ。

 しかし考えるに、時間軸が行ったり来たりアッチ・コッチ・デッチな感じというのは例えば歌の歌詞ですね。あれなどは割と行単位でバラバラであっても成立しますので取り入れやすい。
 小説でいうと私の好きな世界でいうと安部公房さんの「箱男」でしょうか。何べん読んでもよくわからないんですけど。

 岸先生と高橋さんの対談で語られていたのはそうした芸術のフィールドだけじゃなしに極私的な体験に根ざした記憶の語りにもそれが顔を出す。みたいなお話だと思うのですが、私を惹きつけてやまないのは首尾一貫していないように聞こえて、実はひとつながりっていう部分です。
 まぁ要するに私が描いているマンガにそういうものを取り入れたい。しかし私のような未熟な人がそれをやると単にバカなお話になりそうではあります。

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 大変に長くなって申し訳ありません。お詫びのシルシに私が本日撮影してきた富士山のお写真を添えておきます。
 季節も夏に向かいつつあり、「そろそろ富士山の雪は見納めかな………」って感じの今日この頃です。
 いつも通りに「色彩においては」だいぶ写真に手を加えて富士山をグレートに見せてみましたが、雪の残っている感じなんかはそのままです。クリックしますと少し大きくなります。

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