「公開・ヒトコマずつマンガ」カテゴリーアーカイブ

かえるボーイズ

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 以下、すべてラジオ日記です。
 NHKラジオ第1「すっぴん!」。リスナーの方からのリクエストで高田渡さんの歌を聞きました。曲名は忘れてしまいましたが良い歌でした。

 先週にひきつづき、火曜パーソナリティーを務めるユージさんが子供の頃に歌を教えてくださった先生のお話。詳しいトコロが明かされました。
 ベンチプレスをして胸が大きく開くようにするべきだと小学生だったユージさんにも軽いバーベルを上げさせていたというエピソードが紹介されました。
 先生ご自身は胸まわりが1メートルを超えていたそうです。

 まぁ実際、胸からドーンとストレスなく声が出る人がいますけど、聞いていて気持ちがいいですよね。天然でコンプレッサーがかかっているような人っていいますか。ロックにも非常に向いているんですけど。

 全体的におもしろいトーンで進みましたが、先生の音楽に対する愛情とか献身も伝わってきてとても良いお話だと感じました。ちょくちょく本場のイタリアに通っている先生だったのコトでしたので、おそらく日本人が欧米の人たちに伍して戦うにはどうしても基本的な体づくりが必要だと感じていたのかなと思いました。

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 FM放送の方のNHKのラジオ番組も聞きました、昨日に続いて「歌謡スクランブル – 郷愁の昭和歌謡集」その2、です。1960年代から70年代っていう感じだったと思います。もうかなり私にとっては耳なじみのある歌ばかり。
 とくに私は去年「昭和41年の歌謡曲」と題して町の公会堂で歌のギター伴奏をした関係で、この周辺を調べた経験があります。そんなワケで「なつかしい」というよりは「やっぱりよくできてる曲だよなぁ…」って感じに聞きました。
 美川憲一さんの「柳ケ瀬ブルース」なんかはシンプルな、まぁある意味、典型的な曲だっていう印象でしたけど、繰り返し弾いて歌を載せるのを繰り返してみたら、かなり味が感じられてきて驚いたものです。

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 NHKラジオ第2の「ニワトリはいつからニワにいたか」のレクチュア(再放送)も聞きました。

 前回までで「日本の人たちがニワトリに持っていたマジカルなイメージが転換したのはだいたい江戸時代」というコトがわかりました。私の疑問もひとまずは解けましたので、今日は割と気楽に聴いていたんですが、むしろ今までで一番興味深い内容でした。

 沖縄のニワトリの話題だったのですが、「琉球の古典音楽の歌い回しと、沖縄にいる「チャーン」という品種のニワトリの鳴き声が相似している」という内容でした。

 音楽の発展、あるいは発生に特定の動物が深く関与した例。と言えるかと思います。なんでも琉球王国時代には、闘鶏のあとに琉球古典音楽の演奏、踊りなどが行われていて、セットみたいな感じだったというコトですので、ニワトリのエモーショナルな鳴き声を大胆に取り込んだ音楽の発生というのは十分あり得る話かと納得しました。
 むろん厳密な正解を特定するのは今となってはとても難しいでしょうけど、私にとってインパクトの大きいお話でした。

おきあがりボーイ

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 本日より歯医者さんのお世話になっています。
 虫歯に詰めたモノが取れてしまって、そうとうの期間、放置していたんですけど、とうとうカンネンしたという次第です。かなり削っていただきました。

 次の予約日は来週の月曜日です。それまで様子を見て痛みがもし出たら「神経を抜く!」と宣告されました。今から気が重いです。

 それと私のコーヒー好きがいけないのですが、「あなたの歯は汚いのでキレイにさせていただく!」と宣言されたのち、処置をしていただきました。
 今しがた帰宅して鏡で確認してみたトコロびっくりするほど歯の根元がキレイになっていました。多少、元日ハム・ファイターズの新庄剛志に近づきましたかね。近づいてませんけどね。

 以下は、ラジオ日記なんですがNHKラジオ第1の朝の番組「すっぴん!」。宮沢章夫さんによる「スネークマン・ショー」の紹介&解説に耳を傾けました。
 宮沢さんはなんでもお仕事の関係で桑原茂一さんの作業を間近に見ていたコトがあるというおハナシで、大変に興味深い深部に迫ったその事情を披露してくださいました。
 いわく「もともと音楽畑の方たちなので、ギャグの作り方も音楽的であった」みたいな感じでしたかね。

 午後の番組「旅ラジ!」も聞きました。今週は福島県の町々をめぐるそうです。1発目は富岡町(とみおかちょう)からでした。
 東京ナンバーワン・ソウル・セットの方がご出演するというアナウンスに思わずそのままラジオを聴き続けたんですが、そもそも東京ナンバーワン・ソウル・セットのメンバーの方が福島のご出身とは全く思っておりませんでしたので、けっこうビックリしました。このラジオを聞いていなかったら、みなさん、東京のご出身なのかと思い込んだままの私でいるトコロでした。

 東京ナンバーワン・ソウル・セットについては全くの無知である私なんですが、メンバーの渡辺俊美さんのギター弾き語りはかなりの美声でよかったです。ボーカルをとるのはビッケさんだけだと思い込んでいたのでコレマタびっくり。本当に知らないコトだらけですよ。

 文章が長くなりましたが、NHK・FMにおいて「歌謡スクランブル – 郷愁の昭和歌謡集 -(1)」という番組も聞きました。
 本日は1930年代から50年代までの流行歌のまとめ。

 このところNHKラジオ第2の「アメリカン・ミュージックの系譜」を聴き続けている私ですが、先週でしたか、プレスリーが登場してポピュラーミュージックのスウセイがパッキリと変わるという。
 そういった転換点がやはり日本にもあったと思うんですが、本日の番組においては小坂一也さんあたりなのかなっていう感じでした。

 他には「二人は若い」とか「うちの女房にゃ髭がある」が流れました。昭和期における日曜お昼のテレビ番組「のど自慢」では定番だった2曲ですね。なつかしく聞きました。
 とくに「うちの女房〜髭」の歌詞の一節「パピプペポ」は米サーフ・バンドのトラッシュメンの「サーフィン・バード」の一節「ウママーマーママ、ウママーマー」に匹敵する好フレーズだなとの思いを新たにいたしました。

どうぶつにはげまされるボーイ

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 本日はラジオで唱歌の歴史に親しみました。NHKのラジオ第1「歌の日曜散歩」です。
 「おぼろ月夜」や「ふるさと」、「春の小川」を作詞した高野辰之さんの記念館の副館長の方が電話でご出演されました。
 やはり唱歌の中でも特に有名な曲ぞろい、ということでリスナーのみなさんの反応が良かったです。気持ちのこもったご感想が寄せられてました。

 高野辰之記念館は長野県の北のほうにあるそうです。中野市という所です。スゴいのは、童謡や叙情歌等で有名な作曲家の中山晋平さんもこの地のご出身だそうで、中山さんの記念館もまた近所にあるというご紹介でした。

 ネットにて、お二人の残した仕事のリストを拝見するだけでもずいぶんと楽しかったです。楽しい曲が多いですね。

 高野辰之さんのお仕事に戻しますが、「春の小川」。こちらの歌のモデルとなった“川”については、ひとつには渋谷へと流れる川だとも言われおりますようで、私もテレビで、今は暗渠になっているようすを視聴したことがあります。
 高野さんの東京のお住まいが代々木3丁目だったそうで、川の源流点もその近所だと今朝、ネットで調べていて知りました。

 私が東京で暮らしていたのは20年ほどなんですけど、実はこの一帯でほぼすべての生活が完結しておりましたので、この辺は記憶がいっぱいあります。ですが何しろ都心というのは小さな川であるとフタをかぶせちゃいますので、川のイメージは無いですね。いちどこのへんのちょっと谷になっているアタリにあるシンセサイザーを修理する工房に重いシンセを持ち込んだコトなんかもあるんですが。

 そのほか思いつくままに書きつらねると、アートネイチャーのビルの裏にあった工務店で何年かお世話になって建設現場で働いていたこととか、首都高の高架の下で千円札を拾って初台の交番まで届けたこととか、今さっき殴られましたっていう感じに目の周りがこんなにキレイに真っ黒くなるんだというようなアラブ系の男性に新宿駅の方向を教えたら感謝されて握手を求められ、握った手が肉厚で暖かかったものの手の皮がザラザラにささくれだっていて「うわぁ、こりゃ乱暴された際にアスファルトか何かの地面に手をついてるぞ、この人…。」という触覚情報に思わず「がんばって生きてくれ」と思ったことなど。
 そんなコトがまさにこの代々木3丁目と4丁目のさかい目付近の私の思い出ですが、どうにも童謡のインスピレーションの元にはなりにくい感じですね。
 ダメだこりゃ。って感じでしょうか。