「ブログのリスくん」カテゴリーアーカイブ

クマのツメ(こわい)

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 NHKラジオ第1「すっぴん!」を聞きました。
 朝8時台後半のコーナーで小説家の高橋源一郎さんが「誤植読本」という本を紹介されておりました。
 単なるミスによる誤植というより「笑ってしまうような変な誤植」「別の意味になってしまっている誤植」などでした。

 「簡単でわかりやすい文章であれば誤植は生まれにくくなるね」みたいなことを高橋さんはおっしゃっておりました。深くうなづかされました。

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 ここで突然に、しかも内容は少し変わりますけど私自身のおハナシをさせていただこうかと思います。
 私は本名を「ひらがな」にして活動しております。
 当然やはり、ひらがなであれば誤植は生まれにくい。ですが別に自分の先見性をほめようとかそういうおハナシじゃありません。

 私が活動名をひらがなにしたのは理由がいくつかあります。
 ひとつは「本当は“ひじ”と読まない文字(肬)を“ひじ”と読ませている」ということ。
 もうひとつは「(肬)っていう文字はほとんど使われない文字ですので、自分の名前が活字になる際に現場のオペレーターの方に余計な労働を強いることになるので遠慮した」。代表的にはこんな感じです。

 まぁそもそも今の時代のようにネット検索でズバリ身元がわかってしまう事態が予測できたなら、私ももっとペンネームっぽい名義を選んだかもしれないんですが、私が「イラストレータですよ」と言いはりはじめた1990年1月1日の時点ではネット検索なんて思いもしなかったのです。
 調べてみると1説にはネット検索の基本的な技術が立ち上がったのがちょうど90年頃みたいです。私はご存知の通りの特徴的な名前をしておりますので誰かが私のことを思い出して検索なんかされると1発なんですよね。失敗したなと思います。しかしもうおそい。

 それともうひとつの90年当時の事情があります。
 印刷業界はまだデジタル化直前。アナログな書体のことを称して“写植(しゃしょく)”って言います。そうした業種のコトを印刷業界のどなたもおそらく「写植屋さん」とか言ってたと思うんですが。
 つまり文字を扱うのは、それ専門の業者さんがいたんですね。たくさん。
 文字を打ち出したシート状の紙を作ってくれる会社と言ったらイメージできますでしょうか。

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 私がデザイナーをしていた80年代末のとある土曜日の午後、東京は原宿の画廊にスージー甘金さんの個展を見に行きました。
 甘金さんの画風をご存知の方も多いと思うんですが、個展とはいえマンガのページ原稿なんかも展示してあるのです。「マンガでありながらイラストとしても成立する作風」っていうのが甘金さんのやってらっしゃるコトなんですけど。

 マンガの内容がもう大変に面白くて原画を前にしながら私は笑いをこらえるのが大変でした。
 ところが都合の悪いコトにその日は土曜だったせいか、作者の甘金さんと思われる方が在廊されていたのです。ご本人が数メートル先にいる状況で笑いをこらえるのは非常に大変でした。

 甘金さんは電話中でした。とても困ってらっしゃる様子でした。「いまから写植頼んで、月曜にもらえるところ知らないかなぁ」。だいたいこんなようすで、同じ内容を何回か繰り返されていたと思います。
 当時は週休1日って感じの世の中。まだ明るい時間でした。写植屋さんの多くはまだ営業しているところも多かったと思います。
 気候的にはとても良く、誰もが仕事なんかやめて遊びに行きたくなるような気持ちのいい午後でした。原宿とはいえ周囲は緑がチラホラしていて、窓や開け放たれた扉の外の景色は、緑色と黄色って感じの明るい色調が記憶の中にあります。

 私の他にもお客としてその画廊にはデザイン関係者がいたかもしれませんけど、仮にそうだったとしても絶対に名乗り出るコトはしなかったと思います。
 「土曜のこの時間に原稿なんか頼んだら絶対にうらまれる」「仮にそれで写植屋さんのオペさんとの関係がこじれたら、次に自分の仕事が絶体絶命になった時に泣きの一手で押し切るコトも難しくなる」。

 長くなっちゃいましたけど、私が仕事で用いる名前を全部ひらがなにしたのは「写植屋さんをうやまおう!」っていうのと当時のアナログな時代状況が大きく作用した。そんなおハナシでした。いやーどれも古い事情がからみますので、説明なんかも合わせてついこんな文の量に。申しワケないです。

 実はもうひとつ「あんまり表に名前が出るようなタイプのイラストレーターを目指していなかった…」という大変にココロザシの低い動機ってのもあるんですけど、さらに長くなりますし、完全に間違った考えでして、その反省をもつづらざるをえませんのでまた別の機会に吐露させていただこうかと思います。

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 ラジオ番組「ひるのいこい」にて白木みのるさんの「銭ドル・ソング」を聞きました。今週の平日の「ひるのいこい」は、お金関係の歌で突っ走りましたね。
 どれも楽しい曲ばかりでした。

そうぜんとするじめんのした

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 NHKラジオ「ひるのいこい」にて、二村定一(ふたむらていいち)さんのナンセンス小唄「百萬圓」を聞きました。
 とても楽しいノンキな歌でした。
 少し調べてみましたが、二村さんは大正時代の浅草オペラの方で、きのうのラジオ番組「すっぴん!」で学びましたヴェルディさんのオペラも数曲にわたり手がけていたそうです。その他、ラジオ出演。流行歌のレコード録音。クルーナー唱法の会得と、いずれも先がけて行っており、器用で先進的な人物だったようです。こんな方がいたんですね。勉強になりました。

ひっかきクマ

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 NHKラジオ「ひるのいこい」にてフランク永井氏の美声ソングを聞きました。「1万3千800円」という曲です。サビの歌詞は♪1万3千800円、たまにゃ1パイ飲〜めるじゃないか♪というものでした。世の中にはたくさんの楽しい曲があるものです。
 ジェイムス・テイラー・カルテットの「ザ・マネー・スパイダー」というインスト曲も聞きました。私もたまたま「ブロウ・アップ」というアルバムを持っているユニットですが本日の曲は初めて聞きました。オルガンを弾いてる人が中心人物であるらしいんですけど、本日の曲はエレキギターが主役の曲でした。

 毎日聞いているラジオ第1の「すっぴん!」。
 作曲家の方たちの人生その他を紹介するコーナー。本日はベルディさん。イタリアの人たちの心のヒーロー。イタリアのサッカーの試合で勝った時に歌われる歌なんだとか。オペラ曲だそうですが、そういう歌を歌うなんてイタリアの方たちは歌がウマいんですね。第2の国歌的なポジションであるとか。おそろしく長い間うたいつがれているのですね…。
 同世代の天才の人たちに比べると遅いスタート。受験に失敗。お子さんや奥さんの不幸を乗り越えた不屈の人という紹介でした。

 ゲストは上間綾乃(うえまあやの)さん。沖縄の唄者さんだそうです。三線を弾きながら歌を歌うスタイル。本日はじめて聞きました。とても素晴らしかったです。

れいせいではないクマ

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 NHKラジオ「ひるのいこい」にて、都はるみさんの「10円ぽっちでごめんなさい」を聞きました。面白い歌でした。ノベルティ・ソングと言って良いではないかと思いました。
 「♪あら悪いわね 10円ぽっちでごめんなさいのサイ・サイ♪」というようなサビでした。

 「くらしの文芸」は電動アシスト自転車で通学風景を詠んだ句でした。

 ラジオ第2の「ニワトリ」のレクチュア。
 多くの日本人が心情的な理由でニワトリを食べる気になれなかったことを示す実例がいくつか紹介されていました。
 私の住む富士市にも近い、富士宮は白糸の滝(しらいとのたき)の付近でのエピソードも出てきてびっくりしました。「食べるなんてとんでもニャーだよ!」とか言われたのかしら、という感じです。
 要するにニワトリがかなりペット的な存在に近かったようです。現在の白色レグホンとはまた違って色彩的に豊かですし個体別に微妙に色合いが違っていたりすることから「ウチのトリ!」みたいな感じの愛着が生まれやすかったのかな、とも思いました。
 あんまり気にしないでパクパク食べていた人もいたのでしょうけど。

 いつも楽しみにしているラジオ第1の「すっぴん!」。ユージさんが思い出とともに好きな歌を紹介するコーナー。本日は映画のお話でした。
 80年代前半の「スカー・フェイス」という映画。子供時代のユージさんが、その地にちょうど住まわれていたということで、マブタの故郷の様子が記録されているという、特別な想いのある映画だということでした。
 最近ふと見返してみたら最初に見た時と随分見方が変わっていて驚いたそうです。自分が成長したことを映画に教えられるといいますか、そういうのってありますね。

 私の場合は「フランスの思い出」っていう夏休みに男の子が田舎の方でひと夏過ごすっていう映画です。
 かなり久しぶりに見たら見方が全く変わってしまっていてガクゼンとしました。
 最初に見た時、ハタチそこそこだったのに、私の心情が男の子サイドにあったのがそもそも間違いだったのかなとも思います。