
葉っぱを食べるクオッカくんの後ろ姿です。
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ラジオ日記です。NHKラジオ第1「ふんわり」を聞きました。
11時台のリクエストコーナーで伍代夏子さんの「いのちの砂時計」を聞きました。番組スタッフ一同からのリクエストで水曜パーソナリティの伍代さんに送るというもの。番組が新年度を迎え、伍代さんへのお祝いみたいな意味合いだったようです。
稲垣秀人アナウンサーと伍代さんの口からこの曲ができたきっかけなどを伝えていただきました。番組に作曲家の林哲司さんが訪れた際に話がはずんで、そこからということだったのだそうです。
私はこの1週間ほどでネット上の動画サイトで林哲司さんのお話をいくつか聞いていましたので好タイミング。放送作家の植竹公和さんとの対談の中で林さんは自らの作曲活動の好調について話されていました。
なんでも最近とみに心技体のバランスが定まり、自分で納得のいくような作曲ができているとのこと。
「いのちの砂時計」もそうした好調期の中で生まれたのかなと想像しました。とても自然に大きく盛り上がっていく良い曲だと思います。
この対談の中では林さんが作曲に関わる上での信念なども語られておりますので興味のある方にはぜひおすすめしたいです。
以前に私が耳にした中で「ヒット曲はいろいろあるけど自分が一番試したかったことが果たせたのは男性アーティストとの関係でできたものに多い」とのことだったのですがその詳細についても知ることができました。大衆文化と芸術の接合点を豊かにしたいという林さんの願いが聞けて非常に興味深いです。
しかし長い作曲家活動を経た中でさらに新しいメロディーが湧いてくるというのは凄いことだと思います。
凄いと言えば林さんは私の住んでいる富士市のご出身であり、私が生まれた頃には高校生であって学校でギターを弾きつつ歌う活動に喜びを感じていたらしいのですが、しかし上級生が卒業していきバンドがなくなると。そこで熱中したのがテープレコーダーに自作曲を録音する活動だったということでした。
卒業までに200曲ほど作ったということですから要するにおそらく林さんは10代の頃から今にに至るまで途切れずに創作しているんじゃないかと思います。知って驚きました。
サッカーの部活を終えて帰宅後に作曲をしていたというので体力も相当です。
別にご自分の富士市時代のことは隠すこともなくフランクにお話しされてましたが、高校への通学方法は特に触れられておらずちょっと気になります。
最近のネット上のニュースサイトで林さんが創作を語るインタビュー記事を読んだのですが、ご実家はどうやら富士岡のあたりであるようです。
林さんが通われていた高校とは平地ですけどちょっとだけ遠いんですよね。もしも自転車だった場合大変かなと感じました。
ともかく私が生まれた頃にはやっぱり富士市でもベンチャーズ並びにビートルズを演奏する若者が存在していて、その中から後年「真夜中のドア」を作曲してしまう人が出たのだと知れて大変に有意義でした。
富士岡という土地は新幹線と富士山とレンゲ畑が一緒に写っているお写真などでよく知られていると思います。晴れた正午頃には影のない晴れ晴れとした富士山が臨める場所です。林さんの洋楽的な世界をはぐくんだのがもっとも日本的といっても差し支えない富士山のふもとだったというのも興味深いです。

ちょうど「広報ふじ」の最新号が非常に良いお写真でしたのでご紹介いたします。
下の方に「富士岡南」と書かれていますのでご確認ください。間違いありません。
これは良い写真ですよね。
鉄道ファンのみならずね。
富士市の素晴らしい風景であり日常です。
さらにこの「子育てに最適である!」という厳然たる実態までもを雄弁に物語る一葉でありまして、これは静岡県に移住をお考えの方は迷わずに「富士市!」に移り住むしかございません。
楽曲「いのちの砂時計」のお話から大幅に逸脱してしまいましたけど本日は以上です。ありがとうございます。
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もしもこの文章を読みつつ松原みきさんの「真夜中のドア」を例えばネットの動画サイト等で聞いてしまって、それでいきおいがついちゃって「もっと聞きたい」となった場合におすすめしたいのはインコグニートがアレンジした「真夜中のドア」です。検索ワード的には「Stay With Me Incognito」です。これは林哲司さんご本人をして「聞いてすごく良くて自腹で僕も買いました」とおっしゃるくらい。実際めちゃくちゃカッコいい。天衣無縫なエレピの連なりがたまりませんのでぜひどうぞ。