きのうのフラフラの詳細です。本日の写真もクリックすると少し大きくなりますので、気になった写真はどうぞおタシカかめ下さい。
現在、旧石器時代のマンガ制作のために情報収集をしています。今まで我が富士市より東方を見て来ましたが、今回は西方です。
芝川(しばかわ)と言う地区にやって来ました。流れている川は「富士川(ふじかわ)」です。
コンビニ店内に、この地の「ゆるキャラ」のポスターが貼ってありました。
このキャラクターは良いですね。地域の特徴が盛り込んであります。タケノコや竹の産地です。そして富士山。たすきに清流の魚が描かれています。
厳密に言うと川の向こう側、西岸にある内房地区のキャラクターだそうですが、その研究心に感心しました。
写真の奥が富士川で、手前からの芝川が合流する地点です(芝川と言う名前は地区の名前でもあり、同名の川もあるのでお話が少しヤヤコシクなります)。
上の写真の右奥に映る、山の基礎に注目していきましょう。
岩ですね。
先月の黄瀬川(きせがわ)と同様に、これも富士山からの溶岩だそうです。
このあたりは、以前から私の好きな場所で、昔話に出て来そうなコンモリした山があって、いつか絵にしたいと思っていました。
旧石器時代のマンガを実現できれば、都合良くこのあたりの風景も盛り込めそうだな、と考えているのです。
と言うのも、石器の材料が、この川の上流から伝わって来たらしいのです。
長野県の諏訪湖(すわこ)の近くの斜面から、黒曜石(こくようせき)と言う石が出ます。
黒曜石と言うのは火山活動の高熱によって生まれる天然のガラスです。黒くキラキラ光る感じの石です。鋭く加工できるので便利だったみたいです。
それが下の写真で言うと左奥。山梨県側から運ばれて来たようです。
ちなみに奥の山がハゲて地滑りを起こしているように見えますが、どうやらここもまた採石場であるようです。何の石が採れるのかは分かりませんが。
下の写真の左奥に頭がちょっぴり見えるのが富士山です。手前は溶岩がゴロゴロ。
黄瀬川調査の時にも同じ事を思いましたが、良くここまで溶岩が流れて来たな、と思います。富士山の溶岩がかなりサラサラした性質である事が、遠く広く広がった要因だそうですが、ご覧の通り、ヒトヤマ越えないとたどり着きませんので、そのパワーにはタダタダ凄いと感心するばかりです。
階段を下りて、川岸に近づいてみましょう。
岩の感じは、やはり黄瀬川の物に似ているようです。
船で通る事を考えると危なそうです。
しかし戦前くらいまでは富士川を船で資材を運搬するという事は行われていたようです。
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富士宮の北部を目指して、芝川地区を後にしました。
サクラの名所があると言うので、ソコを目指すつもりだったんですが、県道75号線を進む途中に「富士山・縄文の里・大鹿館(おおしかかん)」という看板が出ていたので、寄り道しました。国指定史跡の「大鹿窪遺跡」だそうです。
ここもサクラがキレイです。奥のオレンジ色っぽい建物が大鹿館なんですが、特に縄文時代の展示がしてあると言うワケでは無いようでした。たくさんのご老人が集っていて、何かの集会があったのかと思います。
すこし離れた所に川が流れています。芝川です。
この水がかなりキレイで驚きました。
富士山もキレイです。この手前に広がる土地に縄文時代の集落があったという事なのです。
清流となだらかな土地。気温は縄文時代には現代よりも高かった時期もあるそうなので、楽園のようだったのかも知れません。
縄文時代には積極的な農業は存在しなかったという事なのですが、こういう地形を見ると、クリの木などを植えて収穫を待つという事くらいなら、していそうに思えてなりません。
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寄り道をしたので、目的地を近くに変更しました。
たぶん富士宮で一番広いお寺の「大石寺(たいせきじ)」です。ここは昔から、中に入っちゃイケナイ雰囲気があるので、外側だけです。
どうやら写真愛好家には有名な拠点であるようです。カメラを持った人がたくさん居ました。
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お寺の後は神社です。ですが神社自体の写真を撮るのは忘れてしまいました。
ここは浅間大社の、すぐ脇にある池です。湧き水の源泉ですので、ココも水は非常にキレイです。
かなりドバドバと気前良く水が湧いているようで、ココはいつ来ても水量が豊富ですね。
きのうも下の1枚と似た写真を載せましたが、そんな感じの1日でした。
ココまでおつきあいいただき深く感謝申し上げます。おつかれさまでした。
しかしまぁ平日でしたが、ふしぎに多くの人の姿を見ました。富士宮・市民の休日だったんでしょうか。そんな事は無いと思うんですが。