ラフな帝国・クオッカワラビー〔53〕

 クオッカくんの骨格が気になってきました。しばらく練習しようと思います。

 参考写真としては「ワラビー」さんです。

 クオッカくんの骨格写真を見つけられませんでした。「たぶん近いだろう」と思ってワラビーさんにしました。

 観察してみますといろいろと発見があります。

 こうなっているんですね。

 本来であれば最初に骨格を確認しておくべきだったかなと思いますけど、まぁいいか。とも思います。

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 日記です。

 今朝は町内会のお仕事で会議に出席しました。

 「市道化委員会」です。

 町内に残る私道を市に移管する活動。

 大きな進展がありました。

 町内を貫く主要な経路に残っていた私道が解消されました。

 どうってことない小さな面積に権利者が10数名存在するという難しい案件でしたが、依頼した弁護士の先生ががんばってくださったのと、地権者のご協力が得られまして。

 現在は一時的に町内会の持ち物になっていますが、分筆と必要な補修工事を済ませれば市に移管できる見込みです。

 下水管の工事についての障害が解消されたということにもなります。

 市の下水課に伝えたところ安堵していたとか。待望していたみたいです。

 町内にしたところで下水管が通るのを待ちわびている人が少なからずおられますので、その方たちにも朗報になるのかなと思います。

 下水道の工事は市のスケジュールになりますが順次進んでいくのでしょう。

 市に道路を移管するについては、市の道路維持課と建設総務課の方に当該箇所を見にきてもらって必要な工事を明確にしたのち業者の方に見積もりをお願いして組長会議にかけて了承されますれば補修工事開始となると思います。

 まだちょっと時間はかかりますね。

 今年度中には市に移管できるかなと思いますけど安心するのはまだ早くて、今はただ見通しがついたっていうだけだと思います。

 あとは先の話ですけど、つまり来年度になるかもしれませんがもう1区画の問題が残っています。

 ここも難しくて今は存在しない会社の名義のエリアと個人の名義のエリアが混在しています。道路の状態は悪くありませんのでビックリするような工事金額は発生しないのかなって思いますけど。要するに町に寄付してもらわないといけないんですよね。どなたが今その権利を持っているんだか………。あるいは裁判を開いて休眠会社を(一時的に)起こすって手法なのかもしれません。

 これもおそらく弁護士の先生に依頼するしかないと思いますのでお金がかかります。つまり今年度の予算では難しいかもしれません。

 しかし私がこの「市道化委員会」のお仕事に加わってもう10年以上は経つと思いますが、たくさんいる地権者から土地を町内に寄付してもらうっていう作業が本当に可能なのかと信じられない思いでしたけど、今回なんとかなった区画では成功しました。良かったです。

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 ラジオ日記です。

 今日は会議があった影響でNHK・FM「世界の快適音楽セレクション」は少しだけ聞きました。

 ゴンチチ演奏による「ガラスの魚」という曲が良かったです。わりと短いものも多いゴンチチですが、3分超の曲。存分に展開しおもしろい風景を多く聴けました。

 今日のテーマは「ブレイクの音楽」。

 そこで私も選曲しましたよ。

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 まずは「音源としては発売されてないかもしれないけど聞かないのはもったいない」みたいな曲。

 これはネット上の動画サイトで知りました。アップロードされているタイトルをそのまま引用します。

 「Space-pop Electro “Broken Nights” synth-pop」です。

 クレジットとしては「Mr. Blackbird – Broken Nights」なんですけど、この文言で検索したところでビートルズの有名曲とかぶりますから埋もれちゃって出てきません。ミスター・ミスターにブロークン・ウイングって楽曲もあるみたいで余計に埋もれます。

 お勧めしたい客層としましてはアラン・パーソンズ・プロジェクトのヒット曲に見られるような寂寥感と同時に多幸感に包まれるような不思議に奥行きの感じられる曲想。ああいうのがお好き方。ぜひ聞いて欲しいです。ていうかこれアラン・パーソンズ・プロジェクトの曲じゃないかなって気もすごくします。私はベスト盤しか持ってないので確認できませんが。

 この曲は18年間にわたって2万回くらいそのネット上動画サイトでは聞かれてるんですが、誰も「アラン・パーソンズだよ!」ってコメントつけてる人もいなくて。しかしこの曲制作に関するこなれ方はかなりのプロフェッショナル仕事。う~ん。よくわかりません。

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 以下はおなじみ(?)「オール・ザ・ヤング・シンセポッパーズ in 80s」です。長文ですよ。ご興味ある方はお付き合い願いたいです。

 「Drinking Electricity – Breakout」。1982年の作品です。

 パンキッシュなニューウェイヴ兼シンセポップと申しますか。エジンバラ出身のバンド。ベイシティ・ローラーズと同郷ってことですか。

 どうやら売れゆき思ったほどかんばしくなかったみたいですけど私が聞いた感じ割と良曲多いバンドです。

 ご紹介いたしますと「Discord Dance」。No Way Outって歌詞がふくまれてますね。

 あとは「Subliminal」など。どの曲もごく小さな部分が似かよっているかなって感じますが、その中でバリエーションを生み出しして作曲しましたってことなのかなと拝察いたします。

 あとはカバーになりますが「Shaking all over」。元はJohnny Kidd & The Piratesの曲をインストに仕立てたもの。

 さてバンド「Drinking Electricity」の詳細に行きましょう。

 3人組ではあるものの実態としては主にヴォーカリストの女性とギタリストの男性のふたり組だったみたいです。

 このギタリストの人はDrinking Electricity以前にはマーティン・ロイドという方とともに録音作業を楽しんでいたようです。

 ネット上無料辞書からの情報です。

 精密に申しますと別に共同作業を解消したわけではなくて以降も録音をロイド氏が手がけた曲もあったみたいです。

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 実は今回、私が語りたいのはこのマーティン・ロイドさんにまつわるお話です。

 おそらく「Oppenheimer Analysis」というユニット名をご存知の方もおられるかと思うんですが、男性ふたり組のバンドです。その片方であったと。

 ロイド氏は主にシンセ類の演奏と録音を担当したみたいです。もうひとりの方が歌唱と作詞を担当したのだそうです。

 非常に重要なシンセポップのバンドであると私は思っています。メチャクチャかっこイイですよ。

 どうしても聞いていただきたいのは「Oppenheimer Analysis – Don’t Be Seen With Me」。こちらも82年の作なのです。

 スネアが非常に野生的ですね。

 私の耳にはヒズませてゲートで切ったように聞こえるんですが、パラアウトできるドラムマシンをお持ちだったんでしょうか。ちょっと私もそこまで詳しくありませんのでよくわからなくて想像でものを言っておりますが。

 彼らの当時のお写真を見ますと、ありましたね当時ね。科学雑誌「オムニ」。そのTシャツを着た男性の姿が映っております。

 それもそのはず、このおふたりはSF文化のファンミーティングみたいな場所で出会って意気投合。「バンドやろうぜ」ってことになったようです。

 要するに若きSFオタク同士で組んだシンセポップ・ユニットだったということみたいです。

 他の良曲としましては「Scorpions」。「Subterrenean Desire」。「The Devil’s Dancers」。まだ色々ございます。

 なんとなくですけど両名の創作力のピークもここにあったのかなって気がします。異常に噛み合わせが良かったのかな。しかしまだ調査の途中でありまして滅多なことは言えません。

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 いったんDrinking Electricityに戻したいんですが、ギタリストの人はヴォーカルの女性と共に設立したインディペンデント・レーベルで忙しくしていたみたいです。ティック&トックとかエディ&サンシャインとかアメリカの人ですけどリチャード・ボーンさんとか。

 まぁこのどうでしょう。1980年代前半からの動きその一端を目にしたわけなんですが、比較的扱いやすいシンセサイザーとしてのMiniMoogの発売が1970年でありまして。しだいにポップミュージックのフィールドに染み渡っていくんですが70年代も末の頃から若い人たちにも買えるような機種の発売が続き、頻発する音楽的交流、その結果としての作品群の誕生を目のあたりにするということなんですよね。素晴らしいと思います。

 私の掲げる「オール・ザ・ヤング・シンセポッパーズ in 80s」ですが、その意味するところを詳述したいのです。この機会に。

 本来であればシンセポップの重要作って70年代末に多いので、80sというよりは、70s末をも含めないといけないのです。

 しかし当ブログを見て長い人がもしいればの話ですが、ウスウス「ひじくろブログの人は「YMOをひたすら愛してそして死んでいくYMOおじさんタイプ」ではない」とお気付きかもしれません。正解です。

 どっちかっていうといやむしろあからさまに「パンク以降の初期衝動に突き動かされて気づいてみれば録音物が残ってた」あるいは「昨晩のライブハウスでの喧騒が耳の奥に残るヒリヒリとした若き日の日常」みたいなのが好きなヤカラであると。

 そうすると「80s」にこだわりたいっていう部分に理解が及んでくるかもって思います。

 シンセポップのオリジネーターを見て「とってもカッコいいな。オレもあんな風になりたい」っていう視野の狭い若い人たち、かつて存在していたウゾームゾー。すべての若きシンセポッパーどもが好きなんですよね。

 これはもしかしたら初期パンクを見て憧れて自分たちもバンドを始めたらなぜかハードコアパンクになってたっていうUK82な人たちと共通する構図かもしれません。

 とはいえ当ブログにおいては70年代も90年代以降も「良いな」っていう楽曲は書き連ねておりますが。

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 そろそろ読んでくださってる方も少ないかもしれませんが、再び「Oppenheimer Analysis」に戻しましょう。

 シンセ類および録音担当でしたロイド氏については少しご紹介しました。けっこう多弁な人だったみたいでネット上には良いインタビュー(英文)も残っておりますのでそちらもご覧ください。

 もう片方の人。歌唱と作詞担当のアンディ・オッペンハイマー氏ですよね。どうやら本名でありまして、「原子爆弾の父」ことロバート・オッペンハイマーと同姓なんですが別に血縁はないらしいです。ご職業はライターで編集者、核アナリストだそうです。すごいじゃないですか。

 ロバート・オッペンハイマー生誕100周年の集まりに参加した際に「あんたそっくりだな」と言われたくらい見た目も似ています。ちょっと出来過ぎてるんですけどね。

 Oppenheimer Analysisにおける作詞において歌われている題材はもうズバリでありまして原爆、冷戦、個人的な裏切りだったそうです。

 つい先日の当ブログにおいて、「この世の不条理を一身に受けて立つ、その姿勢」みたいなことを書きましたが図らずも、どストレートな実践者ですよね。80年代のニューウェイヴ、シンセポップにおける。

 その後のご職業もそうですが、戦争における科学のあり方について学び、博士論文は全体主義についてだったということでかなり真剣です。

 詳しくはこの方につきましても割と縦横無尽に語っているインタビューがございますので是非ご参照ください。

 まぁシンセサイザー主体のポップソングのバンドの存在を掘り進めるうちに出会えた当時の若者のうちでも特に生真面目にというか、「自分はこう思う」っていうだけではなく学問として修めて広い知見を得た人の加わった冷戦下の若者音楽の一例ってことなんですね。

 でありながら充分にポップで魅力的だっていうのが秀れた美点だと思うんですが。

 以上、本日の「オール・ザ・ヤング・シンセポッパーズ in 80s」でした。長かったですね。読んでいただいてありがとうございます。