本日のイラストはマツモムシさんが池に落ちたコオロギさんに針状口吻(はりじょう・こうふん)を突き刺して、消化液をそそぎ込んでいるところです。
───────────────
以下は、日記的な記述です。
お昼に献血に行きました。
富士宮市にあるイオンの駐車場にて。
いつもは富士市の市役所の駐車場に行きます。
今日は初めて富士宮で献血しました。
6月でしたか、400ccの献血をしまして、それから4ヶ月が経ったので次の献血ができる日取りとなりました。
富士市役所での献血は少し先になるので今のうちに済ませておこうという考えです。
あまり詳しくなかったんですけど、つい先日に「献血は69歳までしかできない」と知りました。
私は来年に59歳になるのでもう意外と“あとがない”のだと知り、ギョッとしました。
1年に3回までしか献血できないので、最大30回ですよね。
今日まで8回献血しましたが、69歳までですと最大の合計で1.5リットルほど。1.5リットルくらいの血液で何ができるのか医療に詳しくないので全然わかりませんけど、まぁとにかく意外に少ないのでした。
献血が可能になるとメールでお知らせが来るんですけど、通知が来たらなるべく早く行くことにして、間隔が途切れないようにした方が良さそうです。
そんなわけで小雨が降ってましたのでカッパを着て自転車で富士宮へと意気込んで参りました。わりとすぐに雨は降り止みました。
富士宮のイオンに初めて入店したんですが人がたくさんいてビックリ。
「富士宮市民、許すまじ!」と固く誓いましてその後、献血をしました。
「どんどん出てますね~(血液が)」って感じで最初は良かったんですけど「流れが止まってしまったので、採血を中止します」と言われてビックリ。
しきりと「痛みがあったり、気分が悪かったりしませんか?」と問われましたが、体調は好調。ちょっと痛みはあったんですが、我慢できる程度でしたし、それが当たり前かなと思って黙っていたのがもしかしたら悪かったのかもしれません。
実は私はこういう体験が以前にも何度か献血のときにあったのです。
その時も「よく出てますよ」って言われたんですけど、その先がけっこう長くなってなかなか終わらない。言われてみれば看護師の方の表情が最初と最後で違っていた気がします。
次の献血のときには少し痛みがある程度でも申し出て「刺し直すことはできますか?」と尋ねてみることにします。
というのも、今日は280ccほどしか献血できなかったみたいなのです。
4ヶ月に1回しか献血できないのに全量に足らズというのはもったいないですよね。すごく残念です。
献血しはじめて知りましたけど、献血できる人というのは意外に少ない。私だって将来的にもしも大きな病気をした後ですともう難しいのだろうと思います。
できる時の献血を大事にしようと今日は思いました。
× × ×
帰りにスーパーマーケットに寄ってキャベツともやしを買ったんですけど、もしかしたら血液に良いかも、と思ってチョコレートも2枚購入しました。すぐに全量平らげました。おいしかったです。
× × ×
「輸血」と聞いて私が真っ先に想起しますのは「キース・リチャーズさんが重度の麻薬中毒から立ち直るときに身体中の血液を入れ替えた」というホントかウソかわからない伝説です。このあたりが昭和のロックファンである私の想像力の限界です。
献血するという行為にしたところで「生きてる価値のないクズみたいなバカどもの立ち直りを支援するためにオレの血液をくれてやる」くらいに思っていたんですけど、つまりクズみたいなロックファンって私にとっては生き別れの兄弟みたいな関係。面識ゼロの親友ですからね。互助会みたいなものなんでわりと健康な私からゴミクズみたいなパンクスどもに生きるチャンスを差し上げるみたいな発想ですけど、しかし意外や意外。輸血って普通の病気治療にもっていうかそっちの割合が多いと知って反省しました。麻薬中毒のロックバカジャンキーどもの総量はそんなに多くないんですね。
これはしたりですよ。
私もバカみたいなゴミクズどもとともに反省して今日からはマジメに生きていこうと思います。
よく今まで死なずに生きてきたねっていう仲間ですからね。生きてるのが不思議っていう。私の場合は貧困が主要因でしたけど。
下のお写真は前回に献血したときに頂いた印刷物です。
「献血がどのように使われているか」が書かれています。私はこれを見て衝撃を受けたというわけなのです。
下のお写真にはグラフが載っています。
「麻薬中毒者の立ち直りに使われます」っていう項目がないんですよね。意外でした。
あとは「ハートラちゃん ぬいぐるみ(大)」というのも気になります。正気を失うくらい可愛らしいですね。
───────────────
ラジオ日記です。
NHK・FM「現代の音楽」を聞きました。
今日はアレですよ。芥川也寸志サントリー作曲賞。年イチの。
針生裕也(はりゅう・ゆうや)さんの「「空を飛ぶために」打楽器とオーケストラのための」が最初にかかりました。
タイトルを素直に読んで聞きました。「空を飛ぶために」。打楽器が大活躍の曲でありまして、番組進行の白石冬美さんの解説によりますと打楽器奏者のお名前がひとりでしたので「全部これひとりで鳴らしてるんだ」と驚きました。
何パートかに分かれるんだと思います。
打楽器が「空を飛ぼうとしている主体」だと思うんですが最初は努力もむなしく空回りする感じ。
しかしその後にはうまく合一できたのか、空に浮かべたようだという筋立てを感じました。
次なる悩みがやってきて思索の谷で腰掛け思いを巡らす。
暖かくかすかな光を見てみたり、あまり高くないところでさまよってみる。色彩的には全体を通して「青い」っていう感じ。回転する空気の“うず”。地上をかけまわって飛躍しようと努力する。新たな空気の一団が加勢する。高く舞ったかなという感じ。かなり乱高下している印象。固唾をのむ展開に引き込まれる。最後にちょっと得意げな主体者の横顔を見た気がしておしまい。
以上のような感じでした。
白石さんが針生さんに尋ねてみたことがあるとのことでした。タイトルの表記には文字の他に記号が足されていたのはなぜでしょうか? 回答としては「ちょっと可愛らしくしたかった」というものだったということですので、やっぱり多少のホンワカした物語、そんな描写なのかなと思いました。
× × ×
次にかかった曲は、河島昌史(かわしま・まさし)さんの「e→eIV」。読み方としては「イー。イー・よん」という感じです。
非常に繰り返しの多い曲でした。私の今朝の体調とか精神状態が良かったのか、すんなりとリズムに乗れまして、非常に楽しい体験でした。
作曲者によるコメントが紹介されました。以下のような感じです。
キャンバスに描かれた円。干渉。多角性。
二つのセクションから成っている。
・空間素材。タテ軸。
・時間素材。ヨコ軸。
持続的時間の構築。時間構造。ということでした。
続きまして、以下は曲を聴いた私の感想です。
まずは交響楽団の鳴りが豊か。コクのある響きですよね。
「干渉」という作曲者の意図は私の感じたこととも近いのではないかと思います。
私は波打ち際に立って眺める、打ち寄せる波を思い描きました。波紋っていう感じですか。
だいたい同じような繰り返しですけども意外な変化もあったり、不意に起こる出来事が挟まれてみたり。
それと力強い律動。ゆるぎなく繰り返されるパワー。そのみなもと。
そんな体験、観察であるかなと思いました。
最初にも書きましたけど私はこれは好きです。聞き流すこともできるしどっぷりとも浸れるような。充実した響き、という音楽かなと思って聞きました。こちらはあえて申しますと色調としては金色かなって思います。
再聴してみたんですがやはり良い感じでした。次に聞く違う曲との出会いが楽しみです。
× × ×
今しがたネットの動画サイトで河島さんの自作に関するコメントを聞いたのですが、題名の「e→eIV」の“e”の意味がわかりました。
音名の“e”であって、つまり「ミの音」。“矢印”は「反復を意味する」。“IV”は4作目ということでありました。
読み方としては限定していなくて、むしろ視覚的なロゴマークのような受け止め方で構わない、みたいなそんな感じでした。なるほど。