運動場のイラストです。
運動場のトラックの内側の領域に芝生が植えてあったのを思い出して描きました。
私が小学校に入学した頃の話です。
芝生はところどころに生えている感じでしたけど、その部分だけは柔らかくて気持ちよかったです。芝生は素晴らしい。
本当は全面的に芝生を植えたいというつもりだったようです。
校長先生の運動場に対する愛情が深かったんだと思います。
みんなが裸足で気持ちよく運動できるようにしたかったんじゃないでしょうか。
小石を拾う活動もよくしていて、みんなで拾うこともありましたけど、校長先生が一人で小石を拾う姿もたまに見かけていました。
朝の訓話なんかでも1年生の私たちに対して「先輩のお兄さん、お姉さんが小石を拾ってくれて、ここまでの運動場になった」とか。運動場に関するお話は何度かされたと思います。
芝生は何度か植え直されたと思うんですけど、結局はすぐにはがれてしまって、うまくいきませんでした。無理があったのかもしれません。
しかしところどころに残っていた芝生の気持ちよさは記憶に残っています。というお話でした。
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下の画像は毎度おなじみ、富士市が発行する広報誌からの引用です。
昭和46(西暦1971)年3月5日号。
内容を見ますと校舎の完成が5月だったんですね。知りませんでした。
私が入学したのは校舎ができて3年目だったことを理解しました。これはまだ新築って言っても良いくらいですね。
上のお写真は昨日撮影してきたものです。広報誌に乗っているお写真と似たようなアングルを探して撮影しました。
上の画像は広報誌の一部分を抜き出したものです。
下の方を注目してください。プールが学校の敷地内に予定されていたことがわかります。
しかしここには第2校舎というか新校舎というか南校舎が建ちました。
きっと予想していなかったほどに生徒数が増えてしまったのではないでしょうか。(つづく)