ローラースケートをして遊ぶ男の子ふたりのイラストです。
このイラストは実際にあったことに近いです。甲府事件のあらましにおいて。
なんでも甲府星人に肩を叩かれる前にローラースケートで遊んでいたらしいのです。
近所の団地にローラースケートで滑る際に便利なコンクリート製のちょっとした空間があったのだそうです。
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この団地の性格というか位置付けなんですが、ネット上で得られる情報によりますと「雇用促進住宅」だったようです。
「住宅」という名称ですが、そのほとんどはアパートだったのだとか。つまり団地ですね。
山梨県は甲府に新しく転入してきた人たち、労働者。彼らの住居。その一群が存在していたということなのです。
実は私が住んでいる地域、きのうも文化祭でたくさんの人たちが訪れてくれましたけど、この地区にも「雇用促進住宅」はありました。その他に市営の団地、県営のもの、こちらは現在もあるようです。私が住んでいるあたりは戸建てばっかりなので少し様相が違うんですけど。この地区を語る上において団地の存在というのはとても大きいです。
つまり甲府事件の男の子ふたりと私は似た年齢ですけど、過ごしていた環境としても似ていたんですね。日本の産業構造に変化が生じて、それにあわせた生活様式の組み替えが起きていた時期と言えるのかもしれません。
上のお写真は、小学校の隣にあった「勤労青少年会館」。それが完成したことを伝える富士市の広報誌、その名も「広報ふじ」の紙面です。1967年です。
素晴らしいですね。
ちょっと専門的なことを申しますと、手書きのレタリングでタイトルを作ってますね。当時の富士市役所の編集部には器用な人がいたんでしょうか。かなり意欲的な紙面ですよ。この文字間のツメの具合といい、直線のみならず曲線も無難にこなしているカラスぐちの使いっぷりといい、なかなかのもの。かなり年季を積んだ人じゃないとこうはいきません。おそらくこういう人のカラスぐちは使いやすく調整してあります。違う人が使うと使いにくいかもしれません。そういうものなんですね。
戻しますけどこの「勤労青少年会館」。若い人たちが住んでいたり様々な活動をしていたようです。小学校を下校するときにチラッと玄関に並んだ掲示板が見えるんですけど「ギターサークル」は存在していた気がします。
夏になると「おばけ屋敷」を企画してくれて、私たち小学生の間では「勤労青少年会館のお化け屋敷に行くか、行かないか」、それが夏休みの大きな話題でした。
私は怖いものがとても苦手ですので、行こうと思ったことすらないんですけど、みんな楽しんでいたようです。
話がそれました。いつもですけど。とにかくやっぱり転入してきた人たちの居場所、そうした施設があったと。
今はもうないんですけどね。
若い人向けの施設の他には、距離的にはちょっと離れていますが高齢者向けの施設もあって、そちらもほぼ同時期にできたものです。ここも閉鎖になる予定です。だいたい50年前に新しくできた私の住む地区ですけど、今また変わろうとしているんだなと思います。
以上のような感じでありまして、「甲府事件の子が履いていたズボンに見覚えがある」とかをこの数日のエントリにおいて記述しましたけど、住んでいた周辺の景色も似ていたのかな、方言も近いしね。みたいなお話でした。
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ところで上掲画像の下の方に、「防潮堤の工事」の記事がございます。
興味がある方は読み進めてください。
台風で壊れてしまったのを直しているところです。
富士市と隣の沼津市をつなぐ形で長い防潮堤がありまして、高さにしろ規模にしろおそらく未だに国内では一番なのかなって思いますけど、富士市の方だけ高さが2メートルくらい高くなっています。記事を読みますとやはりこの時の補修工事に伴う高さの見直しがあったみたいですね。
下の画像は、台風の後に壊れてしまった状態を伝える広報誌の紙面です。
合併直前なので「よしわら」の広報誌ということになります。私が生まれた年です。