運転手S氏には息子さんがおりまして、その子をイラスト化してみました。
1974年当時においくつであったかはわからないのですけど。私とほぼ同年代である線が濃厚と言わざるをえません。
同い年であっても不思議ではない。
いずれにしろ還暦前後でしょうか。
トシとりましたねぇ、私もですけど。
人生あっという間ですね。
(この文章は1週間ほど前に書いたものですので作曲家・西村朗さんのご逝去をうけた後では余計に重く感じられます。本当に惜しいというか引きずっています。予定にない人が亡くなってしまいました。)
それは良いんですけど、イラストでは可愛らしい犬の子にしました。
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脱線しますけど西村さんがねぇ………。7月には入院されたらしいんですけど、6月にはまだお元気というか会議か会合だかに出席するくらいには動けていたらしいんですよね。
ネットの短文SNSの情報によりますと会合の後に西村さんから握手を求められたとか。ちょっと泣けてきますね。覚悟があったんだと思います。
西村さんってけっこうファンキーな人で、「華開世界」の初演の後のお写真の表情なんかを見ると、作曲家として指揮者と楽団が自作を見事に鳴らしてくれた際には嬉しさをストレートに表現する人だったんだろうなと思います。サムズアップで満面の笑みでした。おそらく思うにコロナ渦という困難な時期にあって演奏者の一人一人が目標を見失わずに技量を保っていてくれたとか。それと指揮した杉山洋一さんの譜面を読み込み具現化する技量を褒めてらっしゃいました。
音を聞いているとネットで確認できる動画。久石譲さんとの対談でも言っていたと思いますけど、ひとつひとつの粒子の動き。それが群となった時のダイナミックな運動であるとかひとつところにとどまらない変容、生きているような様。それを描写したいみたいなことですね。そんなに熱心な聴衆の一人ってわけでもないんですけど、そこには非常な関心があって、1作ごとにそれらを捉えていたと感じます。
いやもう残念。残念無念。
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以下は日記的な記述です。
今日も1日スポーツ・フェスティバルの準備をしました。
毎日がんばっていますが、今日もなかなかがんばったと思います。
がんばったからといって別に誰に褒められるわけでもないんですが、そこがツラいところですね。
かえって文句つけられたりして報われない活動です。