朝に重い荷物の運搬作業をしたほかは、「スポーツ・フェスティバル」の準備作業をして過ごした1日となりました。
まちづくり協議会のメンバー数人で準備作業をしているのですが、その過程で書類のやりとりをすることなどがあります。
私はずっとひとりで仕事をしていた関係で、こういうのがすごく新鮮です。PDF書類にコメントを付ける方法を知りました。
きのうは表計算ソフトを使って表組みを作る方法を学びました。おもしろいです。
私は1990年に独立しました。これはいうまでもなく「ウインドウズ95」の前でして。つまり私はウインドウズパソコンが動いているところをあまり見ないまま数十年を過ごした人間なんですね。もう90年代なんて言ったらほぼ誰とも話さないでひたすら音楽を聴きながらイラストを描いていました。
銭湯の帰りに知らない車が止まって「(エロい)ビデオありますけど買いませんか」っていう大胆にしてピンポイントな営業を受けたことがあります。夜の西新宿で。具体的には5丁目で。
ところが私は当時の若い独身男性にしては珍しくビデオデッキというものを持っていなかったんですね。貧乏というのもあるんですけどイラストが描けてシンセサイザーとかサンプラーがあれば人生楽しいっていうバランスの悪い生き方でした。
そんなわけで現代の働く人たちの間では必須とも言えるかもしれない表計算ソフト。取り残されちゃいましたけど、今その溝を埋める作業をしているのかもしれません。
もう夜になってきて資料を眺めていると頭がボーっとしてくる状態です。今日はもう寝たほうが良いみたいです。
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今日もNHKラジオ第1午前の番組「名曲ヒットパレード」を聞きました。
外出(重い物の運搬)していた関係で「聞き逃しサービス」で聞きました。
9時台の選曲では、山本志保アナウンサーがアニメ作品をたくさんかけていました。
「北斗の拳」の歌を聞きました。
私は「ユー・アー・ショック!」以降はあまり聞いたことがなかったので新鮮。クリスタルキングの方の素晴らしい歌唱力に惚れ惚れとしました。
たぶんフル尺は初めて聞いたと思います。
10時台の選曲は、中谷文彦(なかやふみひこ)アナウンサーによる80年代歌謡曲をたくさん聞きました。
八神純子さんの「パープル・タウン」。名曲。久しぶりに聞きました。しかしこの曲って80年代だったんですね。調べてみると1980年の7月の曲なんだそうです。なるほど。まだ80年代に切り替わった直後だったんですね。
その他、田原俊彦さんの「抱きしめてTonight」を聞きました。「80年代の歌はダンス色が強くなりますね」とのコメント。エリマキトカゲのお話もあり。荻野目洋子さんの「ダンシング・ヒーロー」なども聞きました。
中谷アナと山本アナが同期で同い年ということで古い話も飛び出して楽しい時間でした。
91年入局とのことでした。
私が建設現場で日々労働していた頃ですね。ビルの建設なんかは数年前から動き出すので建設現場での仕事はたくさんあったんだろうなって思います。ですけどニュースなんかでは地上げで焦げ付いた土地の報道なんかを見ていた時期だったかもしれません。
私の記憶だと求人誌に「即戦力求む」みたいな語句が氾濫してきたのがこの頃だったんじゃないかって思います。読むにつけ何だか挑戦的な攻めたイメージもあるように感じられるのですが、そんな良いものじゃなくて私は人材育成するのを企業が嫌がり出したころじゃないかって思っています。
専門学校時代の友達が、その学校に就職して講師をしていたんですけど、個展をやるってことで遊びに行ったことがあります。設営の手伝いをしてくれたという卒業生の子たちを連れての打ち上げの飲み会について行ったんですけど、そのうちの一人が就職が決まってなくてバイトをしていると言ったんですね。
詳細を知らないのでなんとも言えませんけど、すごくその時私は驚きました。
デザインの現場なんかは常に若い人を求めているイメージがあったので。
言い方は悪いですけど若いパワーを食いつぶして進んでいくような部分がありますからね。
しかし今思いますと私が退職してすぐにパソコンでデザイン業務をするようになったその切り替えの時期とも言えるので「マック使える子じゃなきゃダメ」みたいな時期だったのかもしれません。
マとにかく当時の日本人は「景気なんてすぐにまた良くなる」とか思っていたんですよね。
それとはウラハラにビブラストーンというラップのバンドの歌詞には「最低あと50年地味なままらしいぞー」っていうのがあったんですけどあの曲はもう90年代も2~3年進んだ頃でしたか。そうするとあと20年ほどで喪が開けるっていう計算ですね。がんばりましょう。
私はもうその頃には77歳。SY-77ですね。これがまた私が退職した直後くらいに発売されたシンセサイザーなんですよね。全然関係ないですね。