子&その他どうぶつ帝国〔21〕

 龍が困っているイラストです。

 髪の毛を生やしてみました。

 「龍」とひとくちに申しましても様々な様式がございますね。

 この際ですので色々と試してみようと思っています。

 ───────────────

 ブログの更新が遅くなりました。

 本日は先ほどまで会議に出席していました。

 小学校区の「まちづくり協議会」の関係です。

 今年の夏祭りについて、大まかな枠組みについて話し合いました。

 もしかしたらだいたいの構成は見えてきたのかもしれません。

 今後のこの地域で、できそうなことなども勘案して持続可能な形態を念頭に話し合いました。

 現段階においては「山車(だし)」を出せそうな雰囲気です。それも2周ほどの引き回しはできそう。

 ぜひやる気にあふれた子供達に参加して欲しいという、これは私の個人的な思いですけど、マ何にせよ実現させたいものです。

 ───────────────

 ラジオ日記的には、先週の「世界の快適音楽セレクション」から「これは気になるな」っていうものを録音しました。この週の選曲家は湯浅学さんでした。

 寺内タケシさん作曲の「会津喜多方青年会「組曲「会津喜多方蔵太鼓」から「乱調乱れ太鼓」前半」」は良かったです。

 ちょっと切腹ピストルズみたいでした。歴史的な順序が逆ですけどね。昭和50年台中盤のものだというご紹介だったと思います。

 他にはマーク・リボーさんの曲。これは5拍子なんでしょうか。複雑な感情を掻き立てる曲でした。おもしろかったです。

 あとはLol Creme&Kevin Godley(つまりゴドレイ&クレームだと思いますが)の曲、が良かったです。番組を進行するゴンチチのお二人の弁から推測するにどうやら曲の冒頭に「ギズモトロン」が使われていたのかもしれません。

 変なエフェクターとして有名な存在ですけど、私は初めて聞きました。そうなるとまだ1例目の出会いですので、ギズモトロンについて何も確定的なことを言える段階にはありません。曲的にはこれも大変におもしろい凝った曲構成でしたが「スッ」と終わる歯切れの良い一瞬の旋風のような曲でした。

 ゴドレイ&クレームのおふたりというのは言うまでもなくバンド「10cc」の元メンバーなんですけど、そのバンドにはグレアム・グールドマンって方もいらして、その人はバンド以前には職業的に楽曲提供を行う作家をしていてホリーズの「バス・ストップ」なんかが有名。そのあたりは以前の「快適音楽セレクション」においても湯浅学さんによる言及がありました。

 湯浅さんといえば評論家の中でも相当によく聞いておられる方ですんで私が自分の身に引き寄せて何か言えるような人物では無いんですけど、中村とうよう亡き後って水準の人なんですが。しかし私はその放送を聞いて「湯浅さんのくちからもグレアム・グールドマンといえば「バス・ストップ」なんだな」と思いました。クドいようですが私に湯浅さんの真意は推しはかれません。ンガしかしですよ。「バス・ストップ」ね。これはおそらくギュッと凝縮したポップソングが好きな方なら特別の思いで聞く1曲では無いかと思います。私なんかもう大好き。

 しかしこの先の私の文章がちょっとあやしくなっていくことをお許し願いたい。というのもホリーズの「バス・ストップ」は、私の中においては英パンクバンド「ダムド」の楽曲「1 of 2」であるとか「Fan Club」、「See Her Tonite」なんかと直結してるんですよね。英国のエモいポップソング臭って申しますかね。最近の言い回しをお借りするならばね。

 私の中ではダムドのメンバーってパンク以前の曲をよく聞いて研究しているって感が濃厚なんですけど、私がまだかなり若い頃に「ダムドのスピード感なりは私の中ではビートルズの「She Loves You」と直結している。と当時のお友達に向けて独自の論の展開をいたしましたらこれが非常に反応が悪くてですね。「そんなハズがない」「何をバカなことを言い出すのか」と。私も若い時分でしたからガッカリしたんですが、今でも私は自分の感覚が間違いだとは思えないんですよね。どうなんでしょうか。

 ネットの動画サイト上において日本においての「追い詰められたようなやぶれかぶれなドラム演奏」の第一人者だと私が思っている元ギターウルフで現ラフィンのトオルさんがリンゴ・スターについてはかなり褒めてらっしゃったので、あの人がああいうんなら私の論もさして間違っていないのではないかと考えています。「Run Wolf Run」なんかの演奏を聞くにつけですね。そういえばトオルさんにおかれては確かラット・スキャビーズさんも相当にお好きっていうかドラムを始めた時の目標の一人だったとかの文を読んだ記憶があります。察するにおそらく彼の中でもラットとリンゴって矛盾しないと思うんですよね。

 つい最近の当ブログ内の記述において「私にとってのパンクロック観は「ロッケンロール・ルネッサンス」にかなり傾斜している」そんな自覚を申し上げたのですけど、「パンクロック」と「(とりわけ初期の)ビートルズ」って私の中ではけっこう近い場所に置いてあるワケなのです。

 長々と何かに拘泥しているような書き方になってしまいましたが私もひとりで音楽を聴いている時間がかなり長くなってしまったせいか、別に持論と違う、または持論が受け入れられないその局面に直面したとしてもさほど気にならないというか、他人なんだから感覚が違うのは当然みたいな心境に至っておりまして、自分と似た感覚の方がいればそれはそれで嬉しいですけど、全然違う場合もまたおもしろい。みたいな感じですね。

 長くなっちゃってすみません。今日は以上です。

 ホントはホリーズの「バス・ストップ」から平浩二さんの「バス・ストップ」につなげ、昭和の歌謡曲において多く見られる「耐える女、待つ女」みたいなね。ラッパーの故ECD氏が「俺はああいうの嫌い」だったか、もしかしたら「聞かない」くらいのことはおっしゃっていて、それを知った私は「ECD氏。一貫してるな」って驚いた。私はもうあそこまでいくと、そんな女の人いないっていうような一種のSFみたいな気持ちで接しておりましたが反省するとともに、でも私はこの手の曲ずっとこれからも聞いちゃうなぁ。みたいなお話に接続しようと思っていたんですけど長くなるのでやめました。