うれしそうな少年のイラストです。
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今日は1日じゅうイラストを描きながらラジオを聴いて過ごしました。
ブログ用イラストの制作が快調でありまして、日記的な記述を書く余裕がありませんでした。
もうこのまま寝てしまおうと思っていたのですけど、なんと報道によりますと音楽家の坂本龍一さんが亡くなってしまったと知りました。悲しいです。もう当ブログにおいて悪口も書けません。
主に私の場合は「パンクロック観の相違」の一点において嫌っていたのですが、それ以外の点。例えば社会的な発言においては何ひとつ間違っていると感じたことのない。同意できる。あるいは学ぶべきことばかりという考えを持った人でした。
「パンクロック観」にしろ、どちらかというと坂本さんの見方の方が正しいという自覚もありまして。単に私にとってのパンク解釈が「ロッケンロール・ルネサンス」に傾きすぎているというだけの話です。ポストモダンとか脱構築からの観点というのがより総体を言い当てているんだろうなっていうのは頭ではわかっているんですけど、私の場合、古いロッケンロールとかへの愛情がうわずっていることもあって認めたくない気持ちが強いんですよね。
その他で申しますと近代フランスのクラシック音楽であるとかアントニオ・カルロス・ジョビンさんへの愛情ですとか。素直な話、私にとっては身近と言っても良いほどのそんな感覚を持った人でした。
つい最近というか、きのうの午後のことなんですけど、私が憎んでやまないYMOの諸作品を聞き返したばかりでありまして、くすんだ音色使いに見られる坂本さんらしさ。ゲートの強くかかったスネアのはずむというより前段を切断して「置く」っていうような意志。みなぎる坂本さんらしさを感じるスネアの使われ方なんかを堪能したばかりでありました。思えば私も長い時間をそうした坂本・音世界と共に過ごしてきました。
ついに力尽きてしまった。美しい音楽としての骨格の主人がこの世を去ったんだなと思います。
しかし残したものは大きい。学んでつないでいくべきだ。確かにそうなんですけど今はそう書くのも何か当然のことすぎて坂本龍一さんという個性人格がもういないという事実の前に言葉を失うっていう方が相応しいのかって思います。
何かいうことがあるのだとすれば感謝とお疲れ様でしたっていうことですかね。
悲しいですね。