クロゴキブリさんを巨大ロボットとして扱ったイラストです。
ゴキブリとかのムシには体に“節”があります。元からロボット感があるので違和感は少ないかなと思います。
このイラストでは「胸の部分」がリング状に個別に動くと想定してポーズを作ってみました。3段構成です。
全体的な状況としては特に元ネタはありません。しいていえば私のオリジナルです。
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今朝は重い荷物を運搬する作業をしました。
ラジオ日記的には「吹奏楽のひびき」をほぼ丸ごと聞けました。「現代の音楽」は途中まで聞きました。
夜からは「ニッポン時空旅」を聞こうと思います。
この文章を書いている今の時点では甲斐説宗さんの「ヴァイオリンとピアノのための音楽 ’67」を聞いています。ヴァイオリン演奏は甲斐史子さん。ネットの動画サイトです。
私の甲斐さんの音楽への印象って、思い切った抽象性みたいなところに置いてあったのですが、この曲ではかなり衝動的なくだりもあります。ピアノとヴァイオリンが絡み合う、ねじれ合うという感じではないかと思います。
抽象といえば、つい最近にネットの動画サイトにアップロードされた、作曲家同士の対談。西村朗さんと久石譲さんのそれには衝撃を受けました。特に久石さんが求めるミニマルのあり方について。
いわく政治性とか思想みたいなものから出発するのではなく、純粋に音の運動として作りたいみたいな感じだったと思います。
バッハの作曲に近いかと問われれば、まぁ近いかな。みたいな感じだったでしょうか。
久石さんといえば非常に作風が広いというか、さらに大変に多くの人に聞かれているスーパーマンみたいな方ですが、ことミニマルに関してなのかはわかりませんけど、音を音として解体していきたいみたいな、そこまでお考えとは初めて知りました。
番組「現代の音楽」で以前に語ったところによると学生の頃にテリー・ライリーの「レインボー〜」に出会ってその衝撃で寝込んだ。みたいな述懐もあった久石さんですから昔からのテーマであるのかもしれませんが、ご本人の口から聞けて、聞いてみるものだなと思いました。
私個人はもうあからさまにパンクロックに本籍があるみたいな人間ですのでむしろ政治的なもの大歓迎ではあるんですが、いったんそれらを取り払って再度、音を音として並べてみましょうというのは興味のひかれるところです。純粋なコンポジションっていう感じですかね。
対する西村さんとしては粒子の総体としてのカオス。その運動とか振る舞いを音にしたいとかそんな感じだったと思います。西村さんの諸作というのは、ラジオ番組も通して折々に聞けているかなと思いますけど、そうした聞き手たる私からもそれは伝わってきます。
トランペット・ソロでオーロラの様子を描いた曲なんかはもしかしたらそうした興味から生まれたのかな、なんて思った次第です。