クワガタムシ帝国〔03〕

 ラジオ日記です。

 きのうの夜にNHKラジオ第2「ニッポン時空旅」を聞きました。

 「飢饉の歌」というテーマで歌と解説を聞きました。

 千葉県は銚子の「じょうかんよう節」。福島県の相馬から「相馬二遍返し(そうまにへんがえし)」のふたつの民謡を聴きました。

 非常に大事なテーマでした。天明の飢饉の際の冷夏の様子などを学びました。あまり重くならないようにと劇団ヨーロッパ企画のおふたりが奮闘していました。

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 「ニッポン時空旅」の前に放送されている番組は「宗教の時間」なんですが、きのうは入浴をすませて万全の態勢で「時空旅」を聞くつもりでラジオを流しっぱなしにしていたところ、お風呂上がりに耳に飛び込んできたのが「宗教の時間」でした。

 テーマとしては「政治と宗教」という、最近の社会の関心事であると言って良いですね。私は以前から気になっているというか、私が子どもだった頃のアレやコレをまとめた連作の際にもちょっと書けているかなって思いますけど気になっています。

 小原克博さんのお話でした。同志社大学で神学を教えている先生だそうです。専門としては比較宗教学などなど。

 フランスにおける「セクト法」。注目が集まっていますけどそれにはフランスとしての歴史があるんだというお話。それとフランスの場合はまず憲法のわりと最初の方の条文に政教分離が書かれているんだという社会と宗教のあり方の差異っていうんですかね。国ごとに違うのだと。日本がそれを取り入れようとひらめいたからと言って軽はずみではいけないよみたいな慎重かつ精巧な態度を学びました。

 あるいはドイツのワイマール憲法。民主的な国のあり方であったのが第一次大戦の敗戦の後に強力な英雄の存在を欲した。ヒットラーの敷いた国づくりが宗教的な色彩を大きくしていたという整理だったと思います。

 日本であれば大日本帝国憲法における信教の自由のあり方。それがのちにどう運用されていったかのメカニズムについて学びました。ざっくりいって国家神道とかのお話ですね。

 私の場合だいたいイラストを描きながら聞くので、なかなか全部が頭に入らなくて、きのうと今日の合計3回ほど聞いて少しわかってきました。

 それにつけても大日本帝国憲法における信教の自由のあり方と、今般の自民党の打ち出した憲法改正案の似た匂いっていうんですかね。かなり危機感を感じています。

 小原さんのおっしゃる要旨としては、宗教を知り、そしてまた歴史を知ってみんなが話し合うべきだということでした。なにごとにつけ特効薬みたいな都合の良いものはないよという。全くその通りだと納得したのでした。

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 小原さんのお話をラジオで聞きながら思ったのは、先週にネットの動画サイトで聞いた片山杜秀さんのお話でした。いつもは音楽面の「クラシックの迷宮」でお世話になっているんですが、片山さんの政治思想史家としての面ですね。こちらも本当に聞くだにジリジリとしてきてしまうようなお話なんですが、いよいよこれはマズいと感じました。

 内容としては引用しますが「天皇なき愛国の時代に入り、民衆が愛国一枚岩の大運動としてのファシズム運動による新政権が誕生する基礎が整いつつある。その一里塚としての国葬だろう」という安倍晋三国葬儀に寄せる片山さんの見方なんですが。

 「天皇なき愛国」っていうのもよく理解できます。片山さんが例としてあげた事例としては天皇崩御の際の儀礼というか、殯(もがり)ですね。古い風習というか「ニッポン時空旅」を聞いていたら沖縄の方では近年まで残っていたと知って非常に驚きましたけど、ようするに亡くなった人のご遺体に付き従うという、それも長期間。やわらかめな表現を用いますけど。これは今に生きる多くの人にとったは心身ともにハードな状況ですけど、それを「軽くできないか」っていうご提案というかお気持ちの表明。それがさして大きく取り上げられることもなかった。私もあの時「こんなもんで良いのかな?」って疑問に思いました。大変な熟慮を重ねた上で届く人には届くっていうような思いだったんじゃないかと思ったんですけどしかし考えてみれば他の際に発せられるお言葉の真意っていうのが広く大衆の心に染み込んでその思いを汲もう。あるいは考え方、意識として活発にしていこうという雰囲気っていうのも最近を見るに薄いのかなって思うとちょっと残念なんですが。

 次の銃弾はもう装填されていて近々にも何かって思うと平常心ではいられないんですが、しかし不発ってこともあるわけですし、今までも危機とか緊張はあったので、なんとかできるものならしたい。それが知恵だと思います。私にも何かできることがあったらやりたいなと思います。

 片山杜秀さんの参加したシンポジウムの動画はもう一度見返そうと思います。