自由民権さぐり旅・第1回「三島の龍沢寺」

 龍沢寺(りゅうたくじ)ですね。

 龍澤寺とも表記されるみたいです。と申しますか、こちらが正式であるようです。看板の写真を見ますと。

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 不定期連載というか、ヒマがないと発生しませんが、私の住む富士市近隣に残る、政治的というか歴史的な旧跡なんかを訪れてみたいと。そうした気持ちに立脚した行動をつづるといった企画です。

 「自由民権さぐり旅」と名付けました。

 大ざっぱには、明治期における社会運動に学ぼうという意図、視点ですけどそれ以外の転換点ですね。敗戦後のことがらなんかも範疇に入れて、見たい、学びたいのです。

 まだよく知らないことだらけですので「手さぐり」っていう意味を合わせました。

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 初回は三島市。私が住む富士市から見ると奥の方。箱根の山の裾野っていう感じですけど、三島の駅までたどりつけば、そこからそんなに離れているわけでもないです。4キロくらいなのかな。

 三島の駅の北側は文教地区でありまして、緑の濃さも含めて雰囲気はかなり良いんですけど、そうした一角から自転車で坂を登っていくとスグでした。

 ホントはちょっと道に迷って県道21号線を北上しそうになったんですが、間違いに気づいて巻き戻しました。あやうく御殿場まで行くところでした。

 龍沢寺は禅寺でありまして、私が行った日にもそうした修行の最中でした。そのため、お庭に入ることはできませんでした。

門からのぞき込むようにして撮ったお写真です

 このお寺には昔、山本玄峰っていうお坊さんがいて、中興の祖っていう役割を龍沢寺において果たしたんですが、戦中戦後における日本のあり方にも影響を与えた存在なんだそうです。

 敗戦における昭和天皇の「玉音放送」ですね。いわく「耐え難きを。……タエ。」っていうよく知られた一節。そもそも山本さんが天皇に進言したという由来であるそうです。鈴木貫太郎内閣ですよ。

 戦中からそうした政府の要人たちが通う。あるいは山本さんが東京に行った際に集まる。そうした光景があったそうなんです。

門柱の上の方に狛犬さんみたいな動物の木像が生えていました

 またこの龍沢寺には田中清玄さんですね。共産党の活動をしていたのだが獄中で天皇主義へ転向した後ですね。山本玄峰さんの下で働いていたと。その後は右翼の大物っていうか政治的フィクサー。児玉誉士夫(よしお)さん以外にそうした人がいたんだって私はつい近年に知ったんですが、私が子供の頃にロッキード事件っていうのがございました。アメリカにもコーチャンっていう可愛らしい名前の人がいるんだと知った。あるいは政商と呼ばれる人の存在。そしてまた李承晩ラインにおける漁民の拿捕、解放とかね。日本と周囲の国々との関係を知っていく最中でした。田中清玄さんって非常に逸話が多い人ですけど終戦工作にも加わった。その一環が上記の「耐え難きを耐え」っていう言葉を含めるその進言を託され上奏したっていうまぁこれはごく内々のものだったようですが歴史的な一幕ですね。ワン・ノブ・昭和史ですよ。ラッパーの故ECD氏の言い回しを借りればね。日本の降伏についての素朴な感想を言えばかなり遅かったなって私は思いますけどソコはソレ。

 つまり龍沢寺は日本が降伏を受け入れる際においての鍵のひとつとなる地であったというわけで、一度は行っておきたいなという。ホントは去年の9月2日にでも行きたかったんですが、コロナのアレで行けませんで、ハンパな日にちですけど去る5月24日に行ってまいりました。

それなりに急峻な階段の上に門がありました

 門だけ見て帰ってきたという次第ですが、別に中を見たいというワケでもありませんでした。

 しかしコレだけはやっておきたいという活動が他にあったのです。

 共同通信社が発行した本で、「ポツダム宣言」や「降伏文書」、「カイロ宣言」、そして「玉音放送(終戦の詔書)」などを1冊にまとめたもので、特にカイロ宣言からポツダム宣言への接続、その大まかなところが理解できたのが収穫でした。私にとってはとても良い本ですけど、この本を自分で電子化しまして、スマホに入れて持参してきたんですね。

これがスマホに収めました当該書籍の画面。大変な名文だと思いますが悲しくもありますね。刀折れ矢尽きたって感じを私は受けるんですが。

 公園のベンチ等で終戦の詔書を再読しようじゃないか。三島の地において、という気持ちがあったのです。つきましては事前にネットで調べておきました。公園の選定です。

 龍沢寺からの帰路は下り坂で非常に爽やかなんですが2キロほど下った地点の大きな橋の手前に公園があります。小さな公園です。

 ここになんと「自由の女神像」が立っているという。サイズは小さいですけどね。

思い切ったことしますよね。三島市民。
背後の電柱の太さからもそのサイズが知れるかと思います。

 橋との関係がよくわかる構図。橋の下に位置しています。下のお写真の奥の下方には沢が流れていますがかなり深いようでした。

橋を見つめる女神

 ポツダム宣言は別名「米英支三国宣言」というそうですが、とりわけアメリカ。それを象徴するような女神像が、龍沢寺のそばに立っている。これにはおどろきました。

草がボウボウ。

 この公園は住宅地の奥に位置していています。おそらく三島市の人にもそれほどその存在を知られていないと思います。

 私の疑問としては、ナゼに自由の女神像をこしらえて据えちゃったか。その理由についてはネットでは判然としませんでした。

 現地にて碑文を参照し確認しましたが、これが気抜けすることに「大きな理由は特にない」というのが真相だったようです。少なくとも表向きには。

来歴らしきものが彫られていますがナゼ自由の女神なんだという説明は特にナシ。
こちらは技術的なクレジットといった趣き。私自身が石に写り込んでいますがマヌケで良いと思いますのでこのまま掲載いたします。自分で思いますが私も老いましたね……。わりと年齢不詳系で通してきたんですがさすがに50代後半ともなると今は昔ですよ。

 疑問に対する一応の解が得られたからには、この近所の人たちのみが使用すると思われる憩いの場。ココに私のような部外者が長居するのもいけません。

 手短に読んでしまいましょう。昭和20年8月15日に昭和天皇が国民に向けて何を語ったか。

 ところでこの日の私の足元をご覧ください。

足の動きを阻害しないようにという意図で上の方はゆるく結んでいます。

 ドクターマーチンの14ホール。真っ赤なロングブーツ。ミック・ロンソンもかくやってオモムキですよ。ロンブーはいてワウを踏むっていうね。若い頃に限定の所業。トシとってからだとああはいきません。

 ホントはロンソン氏の場合はロンドンブーツの文脈だと思いますので、労働者階級のシンボルみたいなドクターマーチンシューズとは違うんですけど、私自身がパンクな文脈の人なんでこっちだなっていうね。

 久しぶりに履きました。14ホールっていうと履きにくく脱ぎにくい。不便な靴。普段の私はもっぱら8ホールか10ホールを愛用していますが、こちら14ホールのロングブーツともなりますとね。あんまり買う人もいないので、しかもハデだしね。半ばお店の中のディスプレイって感じであって。いつから置いてあったのか知りませんが買った時からもう古びていましたけど、あんまりそういうのが気にならないタチです。意味はないんですが日本が降伏した際の鍵となる地に履いて行きたかったんですよね。この不便なブーツを。

 この時点で午後4時過ぎだったと思います。

 富士宮市から帰宅するのと事情が違って、大きな道沿いを辿りますので、別に帰宅が遅くなっても良いのですが、明るい内によく知っている地域に戻りたいのも事実。

 三島から富士までは平坦な道ですので差し支えない区域であれば自転車でも時速30キロ程度で走れますけどそれも明るいうちですよね。路面の大小のギャップを拾いたくないので明るいうちに通過したいです。

 上のお写真の時点でもう6時頃だったと思いますがまだ明るいですね。富士市内に戻ってきた後です。原田という地域の神社。私が昔に通っていた高校のすぐソバです。

 ちょっと休憩して自転車のライトを取り付けて、それと何か食べようということで、出かける際に近隣のお店で買っておいた「ほうじ茶ようかん」を食べました。富士市の最近の名物です。当ブログに登場するのは2回目です。

 思っていたよりもおなかが減っていたみたいで気がついたら1本まるごと無くなっていました。

 そんな1日でした。暗くなる前に帰宅できてよかったです。