TROMS〔27〕あたらしい高速道路

 東名高速道路の歴史って、これがまた私の年齢とさほど変わらないんですよね。

 1960年代の末。昭和40年台の前半ですので。

 新しかった頃の東名高速道路に遮音壁がなかったことは去年の当ブログにおいてもチラッと書いたんですが、私が住んでいるのは高さにして東名高速よりもちょっと上に位置していて、斜面ですから開けたところまで出ると東名高速を走っている車列が見える状態でした。

 特にやっぱり夜間はキレイ。

 本日のイラストでは、そんなようすを図化しました。

 カエルくんが完全に“飲みの態勢”に入っているのは気にしないでください。「イカ」と「とっくり」を持っていますけどね。

 それと上空にUFOも来ていますけど、こちらも気にしないでください。

 ウソですからね。

 私が子供の頃っていうのがもう大変なUFOブームだったんですけどそれらにつきましてはいずれ何かのカタチで書いたりするかもしれません。

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 引っ越す前に住んでいた、田子(たご)のあたりは「新幹線」の線路のすぐそばでしたけど、新幹線の開通も東名高速よりは早いとはいえ、数年程度です。

 新幹線の遮音壁も未設置だったのは以前に述べた通りです。騒音についての意識が低かったんですね。

 違う言い方をすると、交通と住宅が仕切られておらず、モロに新幹線も車列も観察できた時代。と言えそうです。

 私が生まれた頃の日本ってイキオイがありました。その余波が“公害”ってことになるのかな、と思うんですが。

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 私が地元で過ごした10代における小学校、中学校、高校ですけど、実はどれも創立数年。私は5期生とか6期生って感じだったと思います。どこも新設校でした。

 こうしてみると、交通インフラにしろ、学校にしろ、住んでいる地区が新しかったっていうお話も前回しましたが、いずれもが私が利用する数年前にできているっていう手回しの良さですよね。

 ヘドロで汚れたという例の「田子の浦港」。こちらも正式に開港したのは私が生まれたのと同年の昭和41年です。

 作ってすぐに汚しちゃったんだなってことなんですね。

 何やってんだか。

 ともあれそうした時期に私は成長したのでした。