TROMS〔17〕工場正門のトビラを打ち破る

 ネコのオジさんが暴れるアニメを作ってみました。

 ヘドロ除去を求める暴動のようすです。

 製紙工場の入り口に漁民の人たち、あるいは近隣住民が押しかけて鉄の扉を押し倒したという事件でありました。

 「鉄の扉」。「ゲート・オブ・スチール」ですよ。ブランニュー・ダンス。DEVOというバンドの曲ですけどね。違いますけどね。

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 ことのイキサツを記したいんですが、1970年の8月に2回ほど海上デモと、陸上における決起集会があったみたいです。

 参加した人数としては初回が2,000人。2回目が5,000人だったと伝わっています。海上と陸上の合計人数だそうです。

 漁民の人達の当時の状況というのは、海洋汚染が及ぼす漁獲高の減少だったり、何よりも食の安全性を脅かす事態に大変な危機感があったみたいで、当時はよく連帯する行動が見られたようです。この件を調べる上で久しぶりにPCB汚染という言葉を発見して懐かしい思いにかられました。

 デモのようすに戻しましょう。

 場所としては、海上は田子の浦港。陸上の方はJRの吉原駅周辺。

 集会の後に行進して大昭和製紙の鈴川工場まで行ったようです。

 距離的にはすぐソコなのでアッという間に終わる行進です。

 行進にまで参加した人はかなり少なかったみたいです。

 全体的なトーンとしてもわりあいに静かだったようで。これは意外でした。

 しかし初回の時にどうやら若い学生さんが50人から60人程度いて、かなり暴れたと書いてありました。たぶんこの時でしょうね。扉っていうか門を倒してしまったのはね。

かんたんな地図

 ちなみに「歩く」を土地の言葉では「あるって行く」。短くして「あるってく」って言ったりします。

 もっと戦慄する言い方としては「やんでく」って言います。これはわからないですよね。

 しかし「歩く」を「あゆむ」って言い表すことを思うと「あゆんでいく」が「やんでく」に変質したのだとご納得いただけるのではないでしょうか。

 使用法としては「これからどうすんの?」「やんできゃーるラ(歩いて帰りますよ)」みたいな感じです。

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 話が異様な響きの当地の方言についてソレましたけど再度戻しますよ。

 デモがあるのだと事前に大昭和製紙側も知っているので扉を閉めて警備の人員も置いて守っていたらしいのです。

 しかし多勢に無勢。扉が倒される。そんな象徴的な活動があったのでした。

 それ以上の発展はなかったみたいです。

 イラストとしては、そのくだりを図にしました。

 扉を倒してヤイノヤイノ言ってる感じですね。

 ツイスト・アウェイ。ツイスト・アンド・シャウトですよ。もしかしたらDEVOの人たちはこの騒動を知っていて、この一件を「ゲート・オブ・スチール」という歌にしたのでは?って思いますけど、もちろん私が考えたウソです。

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 申し遅れました。実は今回ですね。この「鈴川地区」の歴史を知るために市の図書館に行って本を読んできました。

 その名も「鈴川の歴史」。

 鈴木富男さんって方が書いた1981年発行の本です。地元の「鈴川区管理委員会」が出版したものです。

 鈴川の地において新しく大昭和の工場を建設した際のエピソードも載っていました。昭和7年のことだったそうです。

 意外に土地の買収は困難というほどのものでもなかったとか。つまり「土地に産業が欲しい」という気持ちが地主その他にあったのではという推測でした。

 地元の人たちの職場なんですよね。ちょっと前の当ブログの記述とも関連しますけど。

 水俣病におけるチッソという企業のその立ち位置とも同じで、公害のメカニズムってどこもこうした非常に切ない事情が多くを占めていたんだなって思います。

 公害が及ぼす騒動、その罪深さっていう構図かなと思います。地域の分断、家庭のひび割れですよね(サムラ・ママス・マンナというバンドのアルバムタイトルです)。