私が4歳か5歳くらいの時分に聞いた記憶がある唯一のレコードについて記述します。
それは富士山の写真がついているシングルレコードでした。
「富士市民歌」という音盤です。
(イラストは実際のレコードジャケットとはかなり違います。自由に描いちゃいました。)
今回あらためて調べてみたら「ソノシート」と呼ばれる普通のアナログレコードよりも薄くてペラペラで向こうが透けて見える種類のアナログレコードでした。ネットで情報を得ました。確かにそうだったような記憶です。
ソノシートは耐久性が低く、寿命は短いですけど安価に製造できますから大量配布には向いているのだと思います。
曲としての聴いた感想ですけど、ほとんどピンときませんでした。
よくわかりませんでした。
ですけどプレーヤーから音と声が出てくるのは面白くてそれなりに聞き返したと思います。お父さんかお母さんに頼んで聞かせてもらいました。
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以前に「私の年齢は、富士市の市政施行と同年齢だ」みたいなことを書きました。
2つの市と、ひとつの町が合併して「新しい富士市」になったのが昭和41年。
「富士市民歌」が作られたのは市政施行の翌年です。
昭和42年の3月。
どうやら当時、広く市民に配布されたようすです。
町内会を通してもらったのかな。
でなかったとしても私の家族なんか、妹が42年の9月生まれですので、市役所に行く用事もあったでしょうから「おめでとうございます。ハイ、コレ」っていう状況も考えられると思います。
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「富士市民歌」の作風について簡易な説明を加えておこうと思います。私が勝手に。
大人になった後で聞いてみて、やっと“良さ”がわかりました。
これがですね。リズム歌謡などにも呼応するような割と良い曲です。リズムの音形を崩さずに自然にして大きな盛り上がりを呼び込むといった冴えた手腕の発揮された音楽でして。宇野誠一郎さんのイイ仕事だと思います。
詩の内容は「先端技術で前進する明るい富士市」っていう感じ。
当時の高度経済成長の雰囲気がいやおうもなく迫ってくる思い。それらが男女の歌唱の掛け合わせで構成されるのです。すばらしいです。
作詞は柴田忠夫さん。柴田さんのお名前は初めて知ったんですけど、この方も歌謡曲のフィールドでいろんな歌を手がけていたみたいです。石原裕次郎さんとかの。