きのうまで当ブログでは「ニワトリの描写の練習」をしていたんですが、しばらくイラストのお仕事で忙殺されておりまして。期間的に間があいちゃいまして。それで気持ちも変化したんで別のコトをしようと思います。
ニワトリの描写については、「まだまだだな」って思っておりますので、またどこかで始めると思います。
今日のイラストの説明なんですけど、「亡者を集めて連れてくるネコちゃん・シリーズ」の続きです。
どうくつにやってきました。「天の岩戸」ってありますよね。書いておきながら私は詳しくないんですけど。ラジオで聞いた知識なんですけど、どうやらその奥の方でヒトが腐っていくみたいです。生々しいお話です。改めて文章にするとビビりますね。
とにかく亡者たちが、どうくつの入り口に到着したよ。という場面をイラストにしてみました。明日に続きます。
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お仕事メモです。追加の分のラフを作成して送信しました。内容が軽かったので、比較的早くできました。ひと安心。
後日、仕上げ作業に入っても良いかの判断が下されるはずです。それまでにブログ用のイラストの備蓄を1枚でも多く仕上げておきたいです。
しかし何回か書いておりますけど、私が一番アタマを使うのはラフの段階ですので、心境的には仕上げ作業ともなるとちょっと楽です。
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ラジオ日記です。いつも聞いているNHKラジオ第1「らじるラボ」。リクエスト特集。テーマは「食」。
筋肉少女帯の「日本インド化計画」などを聞きました。
それと聞き逃しサービスで先週の金曜日の分を聞きました。サーバから消えてしまう前に。先週の金曜日には昭和の歌を愛する「さにー」さんのコーナーがあったのです。私が帰宅した時にちょうど終わるところでしたので、聞き逃せないな、と思ったのです。その日は自転車で重い物を運ぶ日だったんですよね。それで留守にしておりました。
そんなワケで「聞き逃しサービス」なんですが、聞いておどろいたのは、俳優でミュージシャンの六角精児さんのコーナーもあって、むしろそちらの方が時間的には長かったのでした。
六角さんのお好きな音楽家の曲を紹介する趣旨。フォーク・カントリー系音楽家のなぎら健壱さんのミニ特集。私が大嫌いな音楽家です。しかし嫌いな人ほど良く知る必要があるというワケでじっくりと監視しました。あの人間の手の内を知っておく必要があります。
途中、六角さんの所感として「カントリーにはワルツが合うね」という言葉あり。まったくその通りです。私の大好きなミュージシャンであるディック・ジャスティスさんの楽曲にも、非常にひなびた感じのワルツがあります。フィドルがヒコヒコいうヤツですね。ディック・ジャスティスさんは分類としては「カントリー・ブルース」にある人なんですけど。
私はそんな音楽を聴くと思うことがあります。以下にちょっと語ります。長いです。
今日は最後までこの調子ですので興味がない方はまた明日。ブログ用掲載のイラストを見に来てください。お待ちしております。
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戻しますよ。私がアメリカの戦前ブルース等を聞く時。そんな時はですね。
「ルーツ・ミュージックだなー」なんて、いっぱしのコトを思うんですが、実はこれは浅い見方なんですよね。
ホントに浅見短慮を地で行く話であって。もっとそれ以前に歴史がある。つまりブルースってバイオリンが発明されて以降の出来事。もっと言えば12音平均律。それ以降の音楽だという。なにしろフレットがついてるギターを使っちゃってますし、よくいわれるブルー・ノートね。連れられてきたアフリカ由来の人たちが持っていた音感と、ヨーロッパ由来の人たちの音律の間を埋めるもどかしい感じのどうにもできない音っていうか。これって人類の歴史を思えば比較的に最近の文化。異なる文化の出会いが発端となったミュージックなんですね。
自分の小ささ、生きている時間の短さをどうしようもなく迫られる思いです。もンのスゴくたくさんの人たちがブルースやカントリーという音楽を愛し、関わってきたのだという事実、積み重ねですね。気が遠くなりそうですけど。もちろんそこに思いを馳せずとも音楽を愛することはできる。充分可能。ンガしかし、その歴史を踏まえて忘れないでおくというのも同時にまた大切であろうと。
それなのに私なんかもう、やれエレキギターが入ってなきゃイヤだとかね。しかもヒズみが深ければ深いほどエラいとかね。シンセサイザー多様の打ち込み感が欲しいとか言いたい放題。反省はしませんけどあまりに近視眼的。もうちょっと昔の事にも目を向けたい。ンでね。
音楽評論家の高橋健太郎さん。この人のことを私が初めて知ったのは90年代の私がテクノミュージックとかに心酔している時分の「サウンド&レコーディング・マガジン」誌でしたけど、最近の高橋さんの研究で、みなさんご存知かどうか知りませんけど高橋さんは「アメリカーナ・ミュージック」に深い思い入れがあるそうです。「アメリカ」って付いているのに、実のところ「カナダ」も非常に大事で。しかも古いコトを言うと今のアメリカに昔あった「フランスが統治していたあたり」も重要。非常に広域的なんですね。扱う年代幅も広いんですけど。
ザ・バンドというこれまた私が必要以上に嫌うバンドを軸に、どこからあの手の音楽が来たかを解明する旅なんですけど。高橋さんのはね。
これまでいわれていたのとまたちょっと違ってフランスの湿地帯にあった音楽がニューオリンズの湿地帯で変化を遂げたっていう大まかなあらすじです。クレオールの人たちとか出てきますよ。どっちにしろ湿地帯っていう。この辺ニュー・カマーである人たちの宿命なのか、その辺は良くわかりませんけど。不思議な縁を感じます。
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つまり私が非常に愛しているロックンロールもその根っこから逃れることはできないんだなっていう愕然とした思いですよね。ブルースやカントリー。それとラテンミュージック。それらを内包したガチャガチャした楽しい音楽っていう認識でしたけど、またもや認識を改める必要がある。っていうかバラッドなんていう辛気クサくてイヤだなって思っていた音楽も関わりがあるみたいなんですよね。心境的には最悪ですよ。
私がもっと若いコロの凝り固まった、そして必要以上にロックンロールに幻想と有り余る愛を注いでいた時分であれば海に向かってバカヤロー的に疾走していたかもしれません。
しかし今の私は違っていて、「アメリカーナ・ミュージック」の範疇で言えばザ・ビー・グッド・タニヤズの音楽なんかも好む心境に変化しております。
一歩も二歩も引いた目で見ると若いコロ以上にですね。例えばイギー・ポップ氏。私の20代において神だった人ですけど、聞けば聞くほど古い音楽に彼らしい必要以上のパワーを注ぎ込むとああなるんだなとか。アメリカの音楽を下敷きにしてイギリスのビートルズとかニック・ロウさんが焼きなおすと、ああなるんだなとか、トシを取ると鈍感になるなんていう傾向もそれはそれで真実なんでしょうけど、しかしもう一面で、非常に鮮明に見えてくるものもあります。憑き物が落ちたみたいにね。
そんな具合でけっこう老化した私ですけど寿命はもう少しありそうですので、ポップミュージックにおける歴史的な脈略を見定める活動。これはまだそれなりに継続できるのかなって思います。
以上のような感じですね。
先週の金曜日のラジオで六角精児さんが表明されたちょっとした思いに端を発する私のまた別の思いでしたけど。長くなりまして申し訳ないです。
余談になりますけどネットの動画サイトで見ることのできる町山智浩さんのアメリカの昔(と今)を扱った番組。これがもうズバリその辺で非常に参考になります。私みたいな「ロックンロール。お前ってドコから来たの? なんかもう物心ついたコロから身近で不思議にも思わなかったけどさ…」っていうような漠然とした疑問を抱いてる方にはとても有益な情報だと思います。