それを見つめるニワトリ氏〔01〕

 ビックリするニワトリさんのお顔を描きました。

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 日記めもです。

 お墓をキレイにしてきました。

 今日はわりと天気が良かったです。

 下のお写真は今朝の富士山です。

 冠雪していますね。うっすらと。

 お昼になったら、くもってきてしまって、山頂のようすは分からなくなりました。

 お墓の話題に戻します。

 我が家のお墓は標高200メートルくらいのところにございまして、たどりつくにも難儀いたします。発汗いたしました。

 お墓に雑巾がけゴシゴシ。その最中に聴いた音楽としてはストゥージスの「コック・イン・マイ・パキット」「ギブ・ミー・デンジャー」「デス・トリップ」など。お墓で何を聞いているんだろうという選曲ですが、たまたま選択したフォルダの中身がそんなであったというワケなのです。マ、私の母親もガチャガチャした音楽は好きだったですけど、過度に騒々しかったかもしれないと反省。次は母親フェイバリットのジャン・ミシェル・ジャールをかけようと思います。これは静かなシンセサイザーミュージックなんですけどね。

 その後、標高数メートルの低い場所まで降りて生活用品の買い物を済ませまして。帰りは標高100メートルほどの位置まで戻ってきました。

 大変ですね。もう今から眠いです。

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 ラジオ日記ですけど、きのうに続いて今日も「わらべうた」を聞きました。ありがたい。1960年のお正月の放送であったらしいです。私が生まれる数年前ですか。

 今日は静岡で歌われていた「わらべうた」の、その一端が聞けました。

 番組でも語られておりましたが、とにかく“冬の静岡の子供たちのあこがれ”と言えば「雪」、「積雪」です。

 私も自分が幼児の頃から高校生の頃まで、いつ地元に積雪したかは克明に覚えております。3回ほどしかございませんので間違えようがないんですけど。幼稚園の時に1回。高校生の時に2回です。わりと80年代なかごろまでに雪の積もりやすい気象条件が到来したみたいで。たしか私が19の頃に3月末に、その頃にはもう東京におりましたが大雪になりましてね。あれはビックリしました。

 「わらべうた」に戻しますけど、今日の放送で聞いた「静岡のわらべうた」。私は初めて聞きました。おそらく「静岡市、その周辺」で歌われていたものなのかな、と思います。私が住んでいる静岡の東部とは距離的に言って、遠くはないものの、しかしけっこうあるな。っていう微妙なところ。

 文化的な伝搬の限界を物語る意味でも興味を惹かれる当時の録音でした。おそらく由比のあたりでギュっと人が住める区域が狭まるんで、文化が遮断される効果もあるのでは? なんてなことを想像ベースですけど思ってみたりでした。