地下の虫さん〔20〕

 ナガワラジムシさんと、オビヤスデ氏がおしゃべりしている場面を描きました。

 以下はラジオ日記です。

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 NHK・FM午前の番組「快適音楽セレクション」を聞きました。

 今週の番組テーマは「ピーとプーの音楽」。

 タイトルに「ピー」の文字が使われていたり、はたまた作曲者のお名前に「プー」がふくまれていたりする的な森羅万象の音楽が放送されましたが、なんせ「ピーとプー」ですから漠然としています。よくこれが番組の企画会議に通ったなと思いますけど、内容はいつもながら良かったです。もしかしたらテーマは何でも良いのではという気もしてくるほどです。

 1曲目はゴンチチさんの「はじめてのシャンプー」。歌ものでしたけど、三上さんのリードの転がるような軽やかさがすごかったです。

 以下、私が良いなと感じた曲を列挙しようと思います。

 青山ミチさんの歌。「恋のピーラッタ」。

 強いボーカル。愉快な伴奏。肯定的な雰囲気の曲でした。口琴の音が愉快な風景を描いていたと思います。

 それとザ・ピーナッツの「大阪の女」。言葉を大切に歌っているというゴンチチのお二人のコメント。全くその通りだと思いました。この曲は私もベスト盤のCDで持っております。

 個人的には最近ラジオで太田裕美さんの歌を聞いた際の感想として、非常に1音1音をとても大切に歌っているのに気づきまして、ハッとしました。子供の頃から何度となく聞いた「木綿のハンカチーフ」だったと思いますけど。以前に「快適音楽」で別の太田さんの曲を聴いた際に「太田裕美が鳴り響いているな」という感想を持ったんですが、あれも別に漫然と歌ってはああはならないのだと今更ながらに気づいたという次第です。一番良い音を届けようと懸命なのだなと思いました。美しいなと思いました。

 番組の内容に戻りますが、思わぬ収穫。フランシス・プーランクさん。

 クラシックの作曲家ですがオネゲルさんなどとともに活動した方。つまり最近の方。フランス6人組に属する方だそうです。

 ロシア5人組っていうのなら私も知ってはいるんですが。

 親しみやすい音の流れながら後ろの和音が凝っていて多面的に聞ける音楽だなと思いました。

 それと「スプーンフル」を聞きました。ブルース曲です。ウィリー・ディクソンさんの作曲とベース演奏。

 ウィリー・ディクソン氏の名前を知らない人はこの界隈ではモグリ扱いされるんですよ。イロハの“イ”っていうくらいでして偉大な作曲者、演奏家であるだけでなく、才能がありそうな若者をピックアップしていった功績もあるワケです。この辺は私も得意分野ですから多少のことは存じております。

 今日はハウリン・ウルフ氏の歌唱で聞きました。素晴らしい演奏。全員の曲解釈がハッキリと定まっている。どっしりとしたリズム。四隅をすみずみまでカドをギューギュー押し出すような演奏。いいノリでした。名人揃いですね。ウルフ氏の振る舞いにブレがないので周囲も合わせやすかったのかなっていう気もしますが。

 この曲もさすがに私は持っております。ベスト盤。

 書いてて思い出しましたけど、番組では流れなかったものの、ドイツのカンっていうバンドの「スプーン」っていう曲も良いです。こちらも最高でして。私が持っているのはBBCのライブ盤だけなんですが。

 再度、番組に戻しますが、後半。日本のバンド、ヒカシューの曲がかかりました。

 エストニアに去年の事ですがバンドで訪れた際にコロナ渦であるため予定が崩れ、空いた時間で音源を残したというような藤川パパQさんのご解説でした。

 即興演奏の曲でした。私はポップスを演奏するヒカシューの方が好きですが、楽しく聴けました。

 そしてここで静岡県民としてはヒカシューのボーカルの巻上公一さんに対して「大岡信賞」のご受賞おめでとうございます! と言っておかなければなりません。大岡信さんは三島のご出身であり、巻上さんは熱海の人ですからね。受賞されたのは去年のことなんですが。

 まぁしかし“熱海の人”と申しましても巻上さんは高校ご進学の際に静岡県内ではなく、あろうことか小田原くんだりに通って偽りの関東人的な振る舞いに熱中されていた過去をお持ちですので、静岡に対してどれほどの帰属意識をお持ちなのかはわかりません。

 私は昼下がりの三島駅から乗車した帰宅の途にあると思われる制服姿の高校生諸氏が電車に乗り込み、函南(かんなみ)、あるいは来宮(きのみや)、熱海(あたみ)で下車する姿を確認しております。その辺から通っている子もいるんですよ。

 本日の甲子園で熱戦の上、惜しくも敗退した三島南高校などは函南駅から坂をしばらく下ってすぐの場所にありますから熱海から小田原に通うよりも近いワケですよ。巻上さんはそうしたひたむきに青春時代を送る静岡県の若人たちに対して恥ずかしくないのかと思います。しかし、よほど偽りの関東人として振舞いたかった、言うに言われぬご事情があったのかもしれませんのでこれくらいにしようと思います。

 巻上さんの詩作について少し言及しておこうと思います。

 といってもごく表層的な部分についてですが。

 ヒカシューのフロントマンとして数十年のキャリア。よくこの長期間にわたりバンドを運営しているなという感想。尊敬あるいは畏敬ですよね。

 しかし「グローバルシティの憂鬱」という曲の中に「ニッチもサッチもいかぬコトでも何とかかんとか切り抜けて」「ウンともスンとも行かぬ事でもエッチラオッチラ押してみる」という一節を発見して、「もしかしたらバンド運営、あるいは氏の人生もそうなのかもしれない」と思うに至りました。

 巻上さんがホーミーの大会に出るためモンゴルに行った際の道中。確立されていない行程にわけ入っていく感じにも見られますけど、「結局、必死でやってきたんだよ」と、もしかしたらおっしゃっているのかなと思います。

 つまるところやっぱり尊敬しかないワケなんですけど巻上さんが静岡県民としてどれほどの帰属意識を持っているかの見極めとともに今後のご活動についても注視していきたい所存です。

 おぉそうだ。大切なことを。「20世紀の終わりに」ですよ。

 「声をあげて」「頭を使って」「求めるのは何?」。この歌詞、私はもう40年ほど自らの頭の中で繰り返し再生しておりますけど、近年ますます重要だなと感じています。自由民権運動について調べたり知っていったりする時もそうなんですけど。

 特に「頭を使って」という部分は大切だと思います。

 私は過去の民衆運動に学ぶことの大切さ、と解釈しています。今現在の心境としてのお話で、若い頃には毛頭思いませんでしたけどね。

 同じ失敗、ありがちな失敗を繰り返してはならない、過去に学べ。そのために当時の人が書き残した文書あるいは記録がある。そんなことを思うに至った50代の私。

 最初にヒカシューを知った時は中学生だったんですけどね。長いですね。