今日も地元の農業用水施設である「かけどい(掛樋)」です。
ここで1冊の本が出てくるんですよ。
「目で見る富士市の歴史」。40年以上前の本。
地元の歴史を広範囲にわたり取り上げた一冊です。
子供のコロから家にあったんですけど、案外、トシをとった今の方が読んでいて面白いですね。
今も残る旧跡において、現在よく見る写真とは違うものが掲載されていたりして、そんな点からも時代の流れを感じます。
かつて昭和の世において「富士市民必携の一冊」とまで呼ばれたこの本ですが、出版したのは富士宮市の会社。
善良な富士市民がこの本を買うと、遠く富士宮の方角から「チャリン、チャリン」と小銭が落ちる音が聞こえてくるのです。絶対に許せません。
富士市民にとっては屈辱の書。生き恥。裏切りの書物ですよ。
レネゲイド・サウンドウェイヴもしくはレネゲイズ・オブ・ファンク。タイム・ゾーンでいうまさにワールド・ディストラクション。
ナッショナーリティ・ズァ・ファイティン・グイチ・アザ! フゥンー!っていうね。
ちょっと思うんですけどアメリカにはアフリカ・バンバーターさんのそっくり芸人さんとかいないんですかね。いてもおかしくないように思うんですが。
戻しますが、この「目で見る富士市の歴史」。
もちろん「かけどい」のコトも書いてあります。引用いたしましょう。
分流する構造なんかはそのままですけど、かなりサマ変わりしてますね。きのう掲載した現在のようすに比べると。
実に興味深いです。
この当時ですと、私が思い返すに、電柱なんかはまだ木製のものが多かったかな。そんな記憶ですけど。
それと年代的には、この施設が作られた年代。それはまさに鎌倉時代の起こりと時を同じくしていたコトがわかります。別に記念したとかじゃなくて、たまたまタイミングが合っただけかと思いますが。
書かれているように山梨から移植してきた人たちとか、農業する人が増えたとかそういう機運があったんでしょうか。
ちょっと調べただけですけど、この時代に甲斐源氏のひとたちに対する粛清の動きがあったみたいですので、それで逃れてきたのかも、と思います。
富士のあたりと山梨ってかなり距離はありますけど集団で移住してきたっていうのは他にも例があります。
富士市の割と高いところで古い地域の桑崎(かざき)なんかも前にちょっと調べた時にそうだったと思います。今の富士吉田市の山中からだったかと思います。
武田氏の勢いが衰えた時だったかな。アヤフヤですみません。
行政的な区分けとして山梨と静岡が同一だった時代があったみたいで。全域ってワケじゃ無かったと思いますが。マしかし移住するにおいて便宜があったんでしょうかね。わかりませんけどビックリします。
静岡の平野部は積雪と無縁ですから、そういう点で北に位置する山梨であるとかの人にとって希望の持てるポイントだったのかもしれません。