【曽我物語シリーズ】トラ御前・悲しみロード「分岐点である私のこの地元」

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 鎌倉街道は総称であって、各地を結ぶ道路網だというコトです。

 静岡の先であれば、名古屋とか京都。しかし北のほうに折れて山梨や長野をつなぐ機能もまた重要だったハズ。

 その分岐地点。ソレが、割と私が住んでるこのあたりだったようです。
 具体的にいうと東名高速道路の「富士インターチェンジ」のちょっと東。

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 上の地図は、だいたい今の富士市の大部分でもあります。
 ちょっと説明しますと、クネクネした道が根方街道。愛鷹山という山すそに沿う感じの道です。

 その下の沼地。これはかなり広大だったようなんですが、今は無いです。ほぼ全域が田んぼになっています。
 一部は自然公園として、往時のようすを学べる場所、主に植生など、になっています。
 地盤が悪くて宅地に転用できる区画は少ないようです。

 この沼地の西側エリアで「富士川の戦い」があったみたいなんですけど、それはまた別の機会に。

 その下の点線ラインは、後の東海道ですね。
 主幹な幹線ではなかったのかもしれませんけど、道としては存在していただろうなって思うんですが。

 水に浸かっている怪獣みたいなのはゴジラさんです。

 昭和の時代に田子の浦港の公害がヒドくなった時にやってきたんですよね。

 私はこの公害問題についてはリアルタイムですんで当時の港の様子なんかも語れるんですが、そちらもまた別の機会に。

 あとはだいたい見ての通りでしょうか。地図としては。
 ちょっとスミっこになっちゃってますけど、「トラ悲しみロード」の位置。
 コレが一番お伝えしたい部分です。

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 まとめますと、「トラ悲しみロード」は、鎌倉街道が名古屋・関西方面と山梨方面に枝分かれして割とスグに位置するようなのです。

 そう思うと私も日常的に通るこの地味な道が今までとは違って見えてきます。

 ところで「鎌倉街道」は総称であるのなら、具体的にこの道はなんて呼ばれていたのかなって調べたんですけど、「甲州(こうしゅう)街道」だったらしいのです。
 これはビックリ。

 現在、普通に甲州街道って言ったら東京から西側にずっと行くと山梨に抜けるっていう道だと思います。

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 新宿あたりに20年ほど住んでいた個人的な思い出でいうと新宿追分のイチゴ大福がおいしかったとか。
 世界堂(画材店)メチャクチャ利用したとか。

 その他、私が好きなロック系エピソードでいうと仲井戸麗一さんが生まれて初めてのエレキギターを買って帰る際に意気揚々とバス乗り場を目指した的な。そんな道ですよ。私このエピソードがメチャクチャ好きで。
 あんまり詳しくないのですけど、この時に入手したギターが後のRCサクセション電化の際に役立ったのかな、とか思います。

 まぁ音楽に対して過剰に愛が大きい人の初めてギターを買った際のお話っていうのは、だいたいイイんですけどね。有名無名を問わず。涙を禁じえませんよ。

 戻しますけど「甲州街道」。
 当時はソレで通じていた、通用していたのだと思いますのでイイんでしょうね。

 ちゃんと読んだワケじゃないですけど御殿場の方から山梨のほうにつなぐ道もそんな感じで呼ばれていたとか。

 ザックリと甲州につながる場合、それぞれの地元としては「甲州街道」だったのかな?
 要領を得ないおハナシですみません。また明日です。