本日のブログ用イラストの説明をします。
これは千駄ヶ谷にあった不動産店です。
私が千駄ヶ谷のアパート(というよりも“下宿”って言った方がノリとしては近い)を契約する時の仲介をしてくださったお店です。
当ブログで最近まで連載していたマンガ「あしなめキャット」。あれの最終話の後に、このイラストは掲載するべきでしたね。関連する事項ですので。
順番としてはね。
ちょっとチグハグな展開になってしまいました。すみません。
それで外観なんですけどね。お店の。
ほとんど忘れちゃいました。おぼえてない。
小さくて、古いお店だった。というコトだけ覚えているんで、その辺だけおさえてあとは自由に描きました。
どうせ覚えてないんだから、というコトでオドロオドロしく、そしてオバケのネコやイヌを通行人として描きました。
絵としてはイヌ・ネコのオバケの方がメインな扱いになっちゃってますけど。
古い民家と全然コワくないオバケを描くのが楽しくてしょうがないんですね。
────────────────────
お店のあった場所ですが、代々木のJRの駅を降りて左手方向っていうか東ですね。
駅前の道がかなり放射状に別れてるんで迷うところですが、要は共産党本部のビルの方角ですよ。
実のところ、共産党のビルのお向かいさんだったんですよね。お店は。
今はもう無いんですけどね。
お店の人としては、けっこう年齢の進んだ、おじいちゃんみたいな感じだったと思います。ご夫婦だった気もします。
下の画像が契約するときに受け取った書類です。
お部屋の整理の過程で出てきました。最近。
30数年前の紙がペロッて出てくるトコロがヤバいですよね。
こんなものも捨てずにいたという。
自分に対して呆れますけどね。
住所的には千駄ヶ谷4丁目ってなってます。
そうなんですよ。
私は主張したいんですが、共産党を指して言う時にどうやら「代々木」とか「代々木派」みたいなコトを言われるようですが、違和感があるんですよね。
元・千駄ヶ谷の住人としては。
つまりアソコは千駄ヶ谷ですよっていう主張なんですが、ナゼなんでしょうね。
仮に「千駄ヶ谷派」って呼ぶと、となりの信濃町にある公明党と混ざりそうになるので避けたんでしょうか。いやたぶんソレはない。
であれば他に歴史的なイキサツとかがあったのでしょうか?
しかし歴史で言ったら平民社があったという新宿南口の近辺まで、昔は千駄ヶ谷と呼ばれるエリアだったみたいなので、それならますます共産党も千駄ヶ谷って呼ばれて、しかるべきだと思うんですが…。
まぁさして詳しくない私のコトですのでココでウダウダ言っていてもラチがあきません。
ごく単純に最寄りの駅が代々木だからってコトなんでしょうか。
でもこっちはこっちでねぇ。私の思うに千葉方面の人なら千駄ヶ谷で降りてテクテク歩いてもそんなに歩く距離は変わらないような気がします。それに加えて、見える景色、街並みと言ったものは千駄ヶ谷で降りた方がイイっていうのが私の持論なんですが。
特に首都高の高架沿いの歩道ですよ。
前にも当ブログで書きましたけど、イチョウ並木ね。
秋はもう大変に素晴らしい。
はやくハッパ落ちないかな、なんて思って過ごしてました。
まるごと余談みたいな本日の内容ですのでさらに流れていきますよ。
東京・流れ者ね。渡哲也さんの若い頃の映画。違うんですよ。近田春夫さんの楽曲の話をしたいんですよ。
私にとっての東京のイメージって、音の面では、ほぼその全てが近田春夫さんなんですけど、イチョウ並木とか見ると「真夜中のピアニスト」なんですよね。いやおうもなく。
昭和のテレビで見たダーバンのコートを着たアラン・ドロンがイチョウ並木みたいな、そんな安直なだけのイメージが私にとっての「オトナ。そして東京」だったのかな。
マそのへん歩きながら「夜が始まる♪あと5分で♪」なんていうような音楽につないでいたりしました。「プラスチック・ムーン」ですね。
おぉ! そうだ! 長くなったので、もうかなり限られた人しか読んでないと思われますんで、相当に細かい話いきましょう。
近田さんの70年代の曲で「秘密のハイウェイ」ね。これ、前にネットでちょっと検索した感じ、たぶん他にドナタも言ってないと思うんですが、元ネタはラジオ・バードマンの「ラブ・キルズ」ですよね。中盤の長いピアノ・ソロといい。たぶん。
もちろんファンであれば近田さんは「元ネタありの人」って心得ていると思うんですが。
いつか書きたいと思っていましたが、書けてうれしい。そんな感じの文章です。本日は。