本日のイラストで「千駄ヶ谷にかつて存在したギター・ショップ「エスペランサ」総力特集」は終わりなんですよ。
どなたが見てくれているかわからない当ブログではあるんですが、何かの役に立ちましたかね。
まぁ、「実用」って意味ではかなり薄いですけどね。
当ブログのどの記事も。
マダム・ギター長見順さんの楽曲に「私の役割ってやっぱり周囲を明るくするコトだと思うの」っていう、スーパー・オバちゃんロードな名曲があるんですけどね。
私のブログもそういった存在でありたいですね。
そんな意味では私がつのらせているピーター・バラカンさんへの異常なレベルにまで達した本気の悪意なんかも控えていこうかなと思っておりますが。
人畜無害ってね。ソレが果たしておもしろいのか?
私の場合、イラストがかなりそっち寄りなんで、文章では相当に毒分ふくんでいてもいいんじゃないかって思いますが、中には繊細で悪意にまみれた文を目にするだけで神経にさわるって方も。
もしかしたらいるのかもしれません。
説明に入りますが、これは「想像」ではなく「実際に見かけた光景」なのです。
正確には「通り過ぎる際に垣間見た」。なんですけどね。
この千駄ヶ谷っていうエリアが私がよくフラフラしていた地区だというのは、コレちゃんとは言ってませんでしたね。
ですがそうなんですよ。
スケボーとかもしてましたし、会社の帰り道としても四谷4丁目の角を曲がって大京町のワキを南下するみたいなね。
確かそんな「帰り道」。「夕方」だったと思います。
ちょっと今、大京町を思い出したところで交番のちょい北側にあった「デイヴィー・ジョーンズ」っていうモンキーズ由来のおそらくそんな店名のお店のイラストをこの際描いておくべきじゃないかと思ったんですが、シャッターが下りているところしか見たことが無いんでやめました。
ンでね。ギター屋さんなんですけど。
表のドア越しに3人くらいのおじさんがギターを演奏しているのが見えたんですね。
「ホウ! こんな!」。「そうなんだ! やっぱりね!」っていう。かなりうれしかったんですが、チラッと見ただけですよ。
そんなに広いお店じゃなかったのでもう印象としてパンパンでドンパン節だったんですけど、非常に良い光景でした。印象に残っています。
ヒザをつき合わせてっていう感じ。モロにそれですね。
正確に言うと通りの方に背を向けていて私には背中しか見えなかったんですが。
このイラストが描けてうれしいです。
だれかに伝えたかった。
もうこのお店は無いんですけど。
要するに不渡り2回出しちゃって債権者様向けの張り紙がオモテに貼ってあるところを見たっていうコトなんですが。
それでも私の20年ほどの東京在住期間をいろどってくれた楽しい夢のある存在でした。
私の中では今でも終わるコトない演奏会・イン・お店が続いているってコトにしたいです。
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ラジオ日記なんですが、寝坊をしまして「世界の快適音楽セレクション」の冒頭10分ほどは聞けず。
今日は番組のテーマが「液体」だったんですが、ラヴェルさん作曲の素晴らしい曲を聴きました。
ピアノの曲だったと思います。
実によく水の性質を写し取っていると思いましたが、静かな状態の水の様相ではなく、動いている際の水を表現しているように聞こえました。
琉球交響楽団の演奏が最後に聴けました。大友直人さんの指揮。
沖縄っぽい感じもふくんだ素敵な曲でした。
大友さんってNHKラジオ第1の「すっぴん!」にゲストとして来てくださったように思います。去年くらいでしたか。
それで初めて琉球交響楽団について知ったのでした。
ゲスト当日は確か数人の楽団員の方が幼稚園に出張コンサートに行かれたというご紹介だったと思います。
大切な活動だと思います。
私も小学生の頃に山本直純さんの「オーケストラがやってきた」を富士市民文化センターで聴きました。
意味も価値もわかりませんでしたが、スゴい響き。ふくらみ。そしてツヤ。みたいな部分は忘れずにあります。
そのあとの話になりますが高校の時の文化鑑賞活動みたいなのでも東京の楽団の方たちが来てくださって。
良い演奏だと思いました。感激しましたね。
学校の吹奏楽の部長が大変な音楽好きで、オレも音楽大学目指してるから聞きたいみたいな感じで彼が率先して企画を希望として出したんじゃなかったかと思います。
演奏後に出てきた楽団の人になんか聞いてましたけどね。
私は高校3年間、応援団みたいな活動をしていた関係でブラスバンドと夏は連携しておりまして、割に近い関係だったんで、がんばれよみたいに思っていました。
ラジオの話題に戻るんですが、山田耕筰さんの大正10年台半ばの活動を振り返ったご自身によるエッセイの朗読を聞きました。先日。
そこで「交響楽運動」みたいな言葉を聞きました。
なんのコトかなと思って調べてみたら要するに交響楽団を組織したいという、日本における最初の一歩という意味だったみたいです。
かなり苦労したみたいで。
軍楽隊はともかく、管弦楽にはあまり政府として関心がなかったみたいで、結果、民間がなんとかしないといけない構図があったみたいです。それで大正までかかったんですね。きっと。
たしかに「ニッポン時空旅」でも軍楽隊のコトは聞いたんですが。
当時の日本にはやるコトがたくさんあったんですね。
ネットでダウンロードできるPDFにまとまった論考みたいなものも参照するに今でも運営には苦労している楽団が多くあるそうで。いやはや大変だなって感想を持ちました。
最後ちょっとグダグダで要領を得ませんが、今日はこの辺で。