巣穴から周囲を見張っているプレーリードッグさんのイラストです。
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「献血した後に自転車で富士市内(南部)をフラフラしてきた」シリーズは今回で終わりです。そろそろ陽が傾く頃にさしかかっているのです。
「ヘドロ公害」にまつわる周辺的風景についてちょっとだけ見てまいりましょう。
まずはこれ。JRの「吉原(よしわら)駅」の南口です。
原因企業の主たる存在であった当時の「大昭和製紙」の工場の近所でありまして、そこへ向けたデモ行進のお話なんですが。
「鈴川の歴史」っていう本を参考にしまして、集合場所はこの辺りになるのかな?って想像してお写真を撮影してまいりました。
ここは田子の浦港からも離れてはいません。建物があって見えませんが、西にほんの100メートルくらいです。
この日のデモは、陸上デモと海上デモの、ふたつあったみたいです。
下のイラストは「海上デモのようす」を私が想像で描いたものです。2年前に当ブログに掲載しました。
ネコのオジちゃんががんばってます。
話がそれました。
上掲お写真の広場みたいなところから東に400メートルくらい歩きまして、JR東海道線の踏切を渡ると「(旧)大昭和製紙の門」です。
この門をオーエス、オーエスとばかりに大人数で押して、あろうことか押し倒してなだれ込んだのだと。大勢の人たちが。
私の感想としては、やりすぎじゃないかって思いますけど、当時の感情としてはあったのかもしれません。そうした事態を引き起こすパワーが。
資料を読むにあまり大昭和製紙側の態度の誠実さにおいて豊富ではなかったという面も作用していたのかなと想像します。
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私は以上の人心のウネリ及び具体的行動を「昭和の富士における「Gate of Steel」事件」と位置付けております。
DEVOっていうバンドの楽曲に「Gate of Steel」っていうのがございまして。描かれているものとか全体にみなぎるパワーとか。似てるなって思います。
あくまで私が勝手に言っているだけですけど、鉄の門をツイスト・アウェイしちゃったワケなんですね。昭和の頃ってわりとこういうのあったのかもしれません。
もう操業していない。今は昔。ツワモノドモが夢の跡。
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昭和の富士市民に向かって「そのうち大昭和(略称)は無くなるだで(方言)」って言っても全く信じてもらえないと思います。
この私にしたところで「大昭和ヤバい」なんて全然思ってませんでした。
かなり真面目な話、富士市と大昭和製紙って一体というか、どうかすると富士市そのものって言っても過言じゃないような、そんな構造してましたからね。
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以上、数日に渡ってご紹介してまいりました。
富士市内の南側に点在する、昭和のアレやコレ。
そこから代表的なものを見て回ったお写真でした。
「全部見ちゃった」なんていう不幸な方がもしもおられましたら感謝の気持ちを送ります。ありがとうございました。
これにコりずにまた来てくださりますれば幸いです。人生幸朗ですよね。責任者出てこ~いっていうね。
空がきれい!!紙屋さんについては…、是非も無し…。何とも言いようもない。
京都市は、近年若い人々の流出に歯止めが効かない、大学出たら京都市から引っ越していく…、所帯持ったら、子どもが出来たら、京都市から郊外や他県に引っ越していく。しばらくこの京都離れは収まりそうもないようです。
コメント感謝!
京都でも若い人たちが流出しているとは知りませんでした。
きびしいですね。