試験的にドッグくんとプレーリードッグさんを並べてみました。
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数日あきましたが、「献血した後に自転車で富士市内(南部)をフラフラしてきた」の続きです。
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「富士飛行場の建設に関わる慰霊碑」から少し東に行きますと「田子の浦港(たごのうらこう)」があります。
上のお写真がその港。の一部分です。
本来であれば右奥に富士山が見える位置ですが、雲があって全く見えません。夏はこんな感じです。
この一角に新しくベンチなどが整備されたと知りまして、やってきたのです。
けっこう良いなと感じました。
設置の意図としては「古い倉庫を撤去し、市民や観光客がゆっくりできる場所を作りたい」というような。
去年の11月に市内で行われた「行政懇談会」における富士市長のお話によるとそんな感じだったと思います。
以前のようすは下のお写真をご覧ください。
漁網などを保管しておく倉庫だったそうです。
倉庫とベンチを比べますとずいぶん印象が変わるなって思いました。
広々としました。
ベンチのデザインは少し富士山っぽいです。
材料としては「富士ひのき」。良いですね。立派なものです。
手すりにQRコードが貼られていて情報発信としても万全。これは半年に1回くらい貼り直したほうがよさそうですけど。
全体的な印象としてはそんなにお金をかけないでイイもの作ったなと感じました。
夏場は日傘持参で行くのが良いでしょうね。
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上のお写真はベンチが並ぶその先に見える風景です。
石油タンクですね。
感じ方は様々だと思いますけど、これはですね。昭和の特撮ファンにはけっこうオススメなんですよ。
「スペクトルマン」っていう作品に石油タンクをナメる感じで怪獣と戦う画像を目にしたことがあるぞって方がおられるかもしれません。ココですね。モチーフとしては。
つまり「田子のヘドロと、それにまつわる怪獣が出てくる映像作品のモロモロ」。それらヨスガを感じられるイイ場所。それがこのベンチ所在地なのです。
簡単に付加情報をお伝えしましょう。
単に「スペクトルマンの宣伝材料としての画像に登場しただけではないのだ。この石油タンク」みたいな内容になります。
この石油タンクというか「油槽所(ゆそうじょ)」と言いますけど、田子の浦埠頭株式会社の管理にあるんですが、できた当時の社長さんは齊藤了英(りょうえい)さんでした。
了英さんは「大昭和製紙」の社長の息子さんでありまして、お父さんが亡くなり、経営を継いだのが昭和36年。これは油槽所の営業開始とほぼ同じ。その後、昭和40年代に「田子のヘドロ公害」がさかんに言われるようになります。
「大昭和製紙」はヘドロ公害の原因企業のひとつとされる会社です。汚染の3割において責任があると認定されておりました。
以上のような感じでありまして、港がコンクリートで固められて、今の様子になったのと、油槽所の建設と、大昭和製紙の社長に了英さんがなったのと、それぞれだいたい時期が一緒ですってお話でした。
ちなみに言い方としては通りが良いので「石油タンク」って書きましたが、保管しているのは重油とガソリンだそうです。
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以上のような具合でありまして、まぁこの風景。単に「いなかの小さな港の日当たりの良い場所」ではありますが、「ヘドラとかヘドロンとかの起点の起点を眺めてゆっくりできる場所」でもあるんですね。
田子のヘドロ公害を理解する上で、今も残る物件として有意義である。みたいな感じです。
ぜひヘドラとかヘドロンとかのソフビ人形持参で撮影がてら寄っていただけたらなと思います。
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以下は特撮関係の話題から離れまして普通な記述です。
撮影映えする仕掛けがいくつか設置されていました。
上の写真に小さく写る後ろの建築物が気になるゾって方もおられるかもしれませんので拡大したお写真で補足します。
これは仏舎利です。港の対岸ですね。緑の多い公園でありまして、展望台もあります。
小さなタンカーが出港するタイミングでした。狙いすまして撮影したお写真です。やや中央の赤白の小さくうつる煙突の上あたりに富士山が隠れている感じです。
この日は天気が良いのと空がキレイっていうか発色が良くて撮影日和でした。
冬の季節に撮影したお写真も載せておきます。今年の1月。富士山が見えています。
やっぱり富士市には冬に来るのがオススメです。