甲府星人帝国〔17〕

 UFOに乗って空を飛んでいる甲府星人ご一行のイラストです。

 最近は「UFO」とは言わず、「UAP」と称する場合もあるのだそうです。

 「未確認飛行物体」と「未確認空中現象」の違いなんだとか………。なるほどねぇと感じました。それはともかく。

 今のUFOはデザインもずいぶんと変わっています。

 昭和の時代から相当な時間が経過しているので無理もないのかもしれません。

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 ラジオ日記です。

 NHK・FM「音楽遊覧飛行」を聞きました。

 フォーク・グループであるダ・カーポの榊原広子さんの番組。デビュー50周年ということで榊原まさとしさんもゲスト出演。先月の番組で予告がありましたので楽しみにしていましたが、聞き逃さずに済んで安心しています。

 おふたり揃ったということで、きのうと今日は番組の最後で生演奏あり。歌といいギターといい安定感のある演奏が素晴らしかったです。明日はダ・カーポのメンバーで娘さんも一緒に演奏に加わってくれるそうで楽しみです。

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 先週に富士宮市の図書館に出かけて、戦中に富士宮の白糸の滝の近くにあった「少年戦車兵」の資料を集めてきたんですが、それらを解析しています。関係ありそうなものをあまり深く考えずにババッと取りまとめただけだったんですが。

 富士宮市の歴史好きの人たちが発行していると思われる冊子「月の輪」の割と最近の号の記述が面白かったです。

 実際に現地を訪れて、遺構を見て回るという、割と他でもやられている。戦車とかの軍事物件の好きな方はたくさんいますからね。しかしやっぱり地元の人の視点ですので、私なんかの見方と共通している部分が発見できて共感しました。

 つまり「エリア的に言って広すぎないか?」ということです。

 富士山の裾野で演習していたよってことはちょっと詳しい人ならよくご存知だろうと思います。写真も残っているので印象的です。

 しかしそうした西富士の演習場。今ですと牛さんが草を食べているあたりですけど、そこと、校舎や倉庫なんかがあった敷地。上井出(かみいで)っていうんですけど、けっこうな距離ですよね。

 「月の輪」紙面では「演習場のエリア自体が広大だった。見て回ることで得心がいった」みたいな結びでした。確かにね。って私も思います。思わざるをえないんですよね。そういうことだったんだな……という。

 くどいようですけど、昔のデコボコ道を戦車というそんなに居住性が良くない車両で移動して行ったんだなぁと思うとそれだけでも、からだのアチコチが痛くなってきそうです。

 別の話題ですけど、井の頭中学校の敷地が払い下げ地であって、戦中は軍馬さんたちが生活していたであるとか、兵学校の講堂は富士市の富士見高校に移築されたとかの初めて知ることもありました。

 井の頭中学はキツくてなかなか長い坂の途中あたりにあるんですけど、私が朝霧高原に自転車で行こうとする時には小休止する場所です。「でっちり坂」っていうちいさな石碑が立っています。

 また別の書籍になりますけど「富士とともに」という本の一部分を読んでみました。

 まさに当時の道路事情が書かれていて、そこを戦車で通る際の困難さが書かれていました。

 やっぱり大変だったんだなとわかり安心しました。

 具体的な訓練の内容も書かれていて良かったです。こちらは当時の在校生の書かれた本ですので描写が細かく具体的でした。

 以前にネットの動画サイトで静岡のテレビ局制作の当時の戦車兵の方の述懐をまとめた動画を見ました。そこで語られていた「毛無山(けなしやま)の方に向かって射撃訓練をした」というものでしたけど、そうした訓練が確かにあったという記述も見つけられました。

 さらに別の本になりますけど、なんと第三文明社の発行、創価学会青年部反戦出版委員会による「おくにのためにとおくられて」という本も押さえておいたんですけど、これも良かったです。まさか私が第三文明社の本を手に取るのみならず熟読する日がこようとは。

 関係ありそうな部分だけしかチェックしてきませんでしたけどもっと広範囲に押さえておくべき本だったかもしれません。いやマジで。

 当時の人たちの話し言葉とか感情の発露を知ることができて生き生きとしたその情景に接しました。これは確か80年代は中頃の本だと思いますけど戦中の人が書いているので実感があります。

 とくに地元中の地元っていうか上野村の杉浦さんとおっしゃる方の手記は良かったです。戦車兵の学校まで10キロ足らずという距離ではないか。上野村って「富士宮の“村八分”事件」が起きた場所なんですけどそれはまた別の話。

 満州開拓青少年義勇軍のポスターに感化されて「満州に行く! 五族協和だ!」というと両親に反対された。「満州まで行って百姓する馬鹿がどこにいる!」ということだったらしいです。さすが農業のプロ。確かにあんな寒いところに行っても苦労するだけです。

 杉浦さんの体験としては後に軍属として兵学校に属することになったそうです。働く間、しきりに入学を勧められたがそれは断ったそうです。キビしい現実を見たからだという経緯のようです。そんなに良いものじゃないなと。さらに徴兵についても軍属であるという立場上、入営を免れたのだとか。

 卒業していく生徒たちをどこに送るかの会議に立ち会う機会もあったということなんですけど描写がけっこうリアルでした。佐官が時には笑いながら「こいつは東北出身だから北だな」とか、わりと簡単に決めていたということでした。

 その時に南方に配属になった人たちは潜水艦の攻撃にあい亡くなってしまったそうで、杉浦さんのご友人も含まれていたそうで割り切れないものを感じたとか。そんなお話でした。

 早朝の集合のつらさ、みたいなものも読みました。

 これは今週に聞いたラジオ番組で、ジャズピアニストの穐吉敏子(あきよしとしこ)さん。92歳。も番組中でおっしゃっていました。「靴を履いて寝た」とか。そうでないと間に合わない、だそうで。

 この穐吉さんのお話がまたとても良かったです。上の方で決まった戦争の中でなぜ平民が命を落とさなければいけないのかというような要旨であったと思います。

 また水俣病などの問題にも取り組む。そちらも国策の下に犠牲になった普通の人たちの無念を明らかにしたいというようなお気持ちなんだと知りました。

 番組は穐吉さんのご自宅にジャズピアニストの小曽根真さんが訪ねて行ってお話を伺うというつくりでした。

 ジャズ嫌いの私にとっては小曽根さんなどはもう悪の権化のような人と思い込んでいましたが話を聞いていると案外良い人でガッカリしました。

 渡辺貞夫さんのお話を大友良英さんが聞く。という番組も聞いたんですけど、その時の穐吉さんのピアノから入る曲のテンポが早くてビックリしました。渡辺さん自ら「早いね」っていっているのが面白かったです。