火星の荒野を更新する3人のイラストです。
よく考えたワケでもないんですが、ちょっと前に聞いた「クラシックの迷宮」で聞いた言葉を思い出しています。
うろ覚えになりますけど「エキゾチシズムには蔑視の視点が含まれている」というような感じだったと思います。ハッとしました。ただし全然違っていたらごめんなさい。
どこか特定の国だったり地域、そこにある文化、そこに住む人たち。実相としては多様な人が住み、いろんなことを言っているわけですけど、エキゾチシズムの枠に入った途端に戯画化される、あるいはステレオタイプにはめ込まれてしまう。
「こういうもんだろう」ってことですね。
これが難しいのは悪意というのはそんなに無いのですね。
それじゃ一体どうすれば良いんだってことなんですけど、それはやっぱり知っていくことじゃないかなと思います。いろんな人が住んでるんだなみたいな実感ですかね。
まさに「クラシックの迷宮」なんかで語られる作曲家の人生。思いますね。単にソ連の作曲家っていうだけでもいろんなタイプの人生を送った人たちが居たんだなっていうのがわかります。
そんなワケで本日のイラストは「オレたちはオレたちだ」と宣言して歩いているような宇宙星人さんたちを描きました。
電気グルーヴの楽曲に「ウィアー(We’re)」って曲がありますけどね。
楽曲ってことで申しますと、数年前にNHKのラジオ番組「すっぴん」で六文銭の「てんでばらばら~山羊汁の未練~」を聞きました。
これを聞いた私は小室等さんのことだから市民運動であるとか左翼運動におけるジレンマみたいなことを言っているんだろうかと思っていたんですが、それは違ってました。
佐々木幹郎さんという詩人の人が書いた詩なんだそうです。ちょっと読んだだけの失礼な触れ方ですけど、どうやら韓国における光州事件のことみたいですね。
歴史上の大きな事件であります。わりとよくいろんな角度から描かれているんじゃないかと思いますけど、さらに細かく庶民の生活の場からの視点みたいなことなのかなと感じました。詩におけるカットアップな手法って言いますか。詳しくないのでこれ以上掘り下げることはしませんけど。
思いますのは、すっごい時代の転換点であるとかの場面においても、例えば何かを食べて「うまい!」とか「まずい!」とか言っている人たちもいるんだなってことでしょうか。もちろん何が起きているかを正確に射抜いている人だっているわけですが。いろいろですね。