ネコ怪獣ギャメラ帝国〔09〕

 ギャメラちゃんが火炎放射しているイラストです。

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 この文章を書いているのはもう夜も10時を回っておりまして、ねむくて仕方がありません。

 もう寝てしまおうかと思ったんですが、そうするとブログの更新ができない。それはいけないのでは。ということで目をシバシバさせながら、がんばろうと思います。

 ラジオ日記を手短に記述しようと思います。

 今日は「吹奏楽のひびき」から始めました。最近の国内作曲家の作品。中には一般のお仕事をしながらの作品も混じっていましたか。どれも吹奏楽の持ち味、良い部分を表現していたと思います。

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 「現代の音楽」を聞きました。こちらもNHK・FM。自宅にいながらにして現代音楽のアレやコレを知ることができるのって考えてみれば幸せなことですよね。今日は4月からのシリーズ企画「現代音楽の100年のレガシー」。スクリャービンさんを取り上げた回でした。

 スクリャービンさん。去年でしたか。片山杜秀さんの番組「クラシックの迷宮」で知ったばかりです。あの回は個人的にとても良くて数回聞き直しました。本日は改めて西村朗さんによるご紹介に耳を傾けました。

 ただし大事な点としてスクリャービンさんは、この「100年」という射程に収めるには無理があってちょっと前の人だよっていう注釈あり。

 戻しますけど考えてみれば「宗教的法悦」については西村さんなんかまさに一家言あるわけで、限られた時間内でしたが、学生時代にスクリャービンさんのピアノ曲をオーケストラ編曲する試みに時間を費やしたことなどのエピソードを交えてのお話。そしてまたスクリャービンさんの人生をザッと眺めながら、その転換点。そこに何があったのかに思いをはせるというような運びだったかなと思います。

 片山さんの放送も聞いているわけですけど、そしてまた別の見方も混ぜると、もう少し近づけるような気がしますね。

 肝心の「今日、聞いた曲」なんですが、ホロヴィッツさんのピアノ演奏。それとオーケストラ(合唱付)。あわせて3曲聴きました。どれも良かったですね。やっぱり魔的な魅力があります。神智学とかに出会って以降の作品ということになるんですが。

 わりとこう「蝶よ花よ」と扱われていって素直に成長していった人が、何らかの思想に触れて大爆発した以降の。そしてまたあまり世間ズレしていなかった人であるだけにもう本当に純粋に傾倒して、結果的に出来た作品は「神の境地に至る人間」みたいなすごい境地を表現するに何の躊躇もないという、その心持ちからして市井の人間とはちょっと違うかなっていう、まぁレアケース中のレアを見た思いでした。

 内容も演奏も良かったので録音しておいたものを聞き返して再度うなるって感じの午後でした。

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 「子ども科学電話相談」を聞きました。

 いろいろあるんですけど、一番の驚きは「シマリスのしっぽが抜けやすい」という事実についてですね。あまり接続が強固ではなくて、身の危険をかわすためには、しっぽを犠牲にする覚悟がシマリス諸氏にはあるっていうことなんですが、初めて知りました。

 しかし「リスのしっぽ」というのは非常に大事な部位だと思います。かわいい。という意味においてですね。

 地球上のすべてのリス諸氏のしっぽが終生無事でありますようにと祈らずにはいられません。

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 伊集院光さんの番組「百年ラヂオ」を聞きました。なにかトラブルがあったようで先週はお休みでしたが元気に再開。顔じゅうに絆創膏を貼った磯野祐子アナと両手の拳に包帯グルグル巻きという伊集院光さんでしたが和解されたようです。この番組もこの先長くはないかもしれません。

 本日は小説家の坂口安吾さんの肉声を収めた音源を聴きました。坂口さんの頭の中で起きていることその内容が伝わる良い内容だったと思います。戦中から戦後に切り替わるときのようすであるとか、ひとの心持ちの変化も滲み出ていたように思います。坂口さんのエッセイの朗読というのはまさにそんな感じで、人の死をどう感じるかでさえ戦争中は変わってしまうのだという冷酷な現実のありさまに言葉を失うばかりです。おそろしいですね。

 また以前の放送の内容になりますが、「国民歌謡」について聴きました。これは大変にまた内容が良くて、ラジオの放送のあり方なんかにも踏み込んだ内容だったかなと思います。伊集院さんいわく「制作側としてはあくまでリスナーの要望に答えているつもりであったとしても、時を置いて振りかえってみると戦争に協力し殺戮の片棒を担いでいたという構図もあるのかもしれない」そんなことをおっしゃっていたように思います。これは過去にふたつの大きなラジオ放送局との関係を悪化させたご経験のある伊集院さんだからこそ出てくる自省と責任感からくる言葉ではないかと思いました。

 思うところあって、過去に録音しておいた「ニッポン時空旅」の数本を聞き返しました。「国民合唱(国民歌謡の後継番組)」「鼓笛隊(軍楽隊ではあるのだけど地域に根ざした音楽のあり方)」。そしてまた時代がキナ臭くなってきた折に人々が求めるちょっとエロい歌のあり方ってことで「松井須磨子さんの「カチューシャの歌」」を取り上げた回ですね。

 できたらいつの時代においてもエロい歌を「アハハ」と楽しむような世相であってほしいと思うんですけど、実のところそんなに甘い話でもなくて、人々が過去の歴史に学び「こうなったら世の中はヤバいよ」っていう一線であったり政治との関わり方を忘れるととても良くないんだなと最近あらためて思います。

 ただしこうしたのって特効薬はないんですよね。地味な積み重ねであるのかなって思います。先週の「クラシックの迷宮」と「現代の音楽」は奇しくもナチスドイツにあらがった作曲家の試みというのが重なった内容であったのかと思います。とくに「迷宮」で聞いたアイスラーさんの楽曲「塹壕」は赤心の情から発せられたせつせつとした訴えであって、胸打たれました。ですけど思いむなしくドイツの国情はナチスに傾いてしまう。これはやっぱり多くの人の胸の奥にヤバさを感知するセンサーがないといけないのかもしれません。それはスパッと切れるような痛快な思いを招くだけのものではないかもしれません。利害が対立する二国間の問題なんて結局うやむやに玉虫色っていうしかないと思うんですよね。日本においても昭和の政治家にはそういうのができた人が多かったと思うんですけど最近はどうなんだか。人命の損失っていうことを考えると決して快不快だけを価値基準の最上に置くべきではないなっていうのが私の考えなんですがどうなんでしょうね。ワッツ・ゴーイング・オンですよ。