ハドロサウルスのなかま〔18〕

 なげき悲しんでいるオロロティタンさんのイラストです。

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 以下はラジオ日記です。

 「吹奏楽のひびき」。吹奏楽でバレエ音楽を表現するという特集でした。

 あくまで“表現”であって、実際にバレエ音楽として使われる例はないのだそうです。

 そうしたことから「架空のバレエ」。というテーマでまとめた50分でした。

 力強い表現というよりは、やはり軽やかなとか、刻々と移りゆく音の連なりとか、そんなことを感じました。

 今日は月イチの側溝掃除の日でしたので、20分ほど中座。

 「現代の音楽」は冒頭から聞けました。

 今日はコントラバスの独奏曲をひとつ、コントラバスと打楽器による曲をふたつ聞きました。

 近藤聖也さんの「コントラバス作品展」。放送としては今日が1回目。来週は2回目があるそうです。

 三善晃さんの「リタニア」という曲が良かったです。コントラバスの重厚というか、いかめしい音に多くのものをのせて表現しているように感じました。

 ネットの動画サイトにおそらく70年代に演奏された際の録音が残されていましたので参照しましたが、そちらも良かったです。

 3曲目は清水チャートリーさんの作曲で「変態ビートル」という曲。これは端的に言うとカフカさんの小説「虫」の音楽化ということのようです。

 不条理であったり、思うことがままならない。誰もが感じる普遍的なテーマ。これを誰も体験したことがないような「自分が虫になっちゃう」という事象を具体化してみることによって心の内の乱れや途切れ途切れに飛び交う断片的な思考の1枚1枚を舐めるように表現してみようというような。そんな曲になっていたと思います。

 こちらもネットの動画サイトで動画が、演奏シーンとともに視聴できるのですが、番組で西村朗さんがおっしゃっていた説明そのままなんですけど、なんとコントラバス奏者の近藤さんがステージ上に寝そべっていて、その体の上にコントラバスが乗っかっているという、しかし「虫」の不条理な状況を視覚化するに際しての試行としては最上、最良なのではないかと思いました。

 コントラバスのボディ形状が「甲虫」を思わせるというひらめきから来ているのであろうというご紹介でした。

 會田瑞樹さんが打楽器奏者として近藤さんの足元の方に腹ばいになっていて、コントラバスのお尻の方をマレットで叩いたり、その他の打楽器を叩いたり。そしてまた、虫っぽい仕草をしてみたりというアイデア豊富に詰め込まれた演奏のようすを視聴しました。

 私の思いとしましては、不条理を表現するにあたって本当に舞台に寝っ転がってみる。押しつぶされているんだって宣言してみる。これは正しいのではととても思いますね。

 ラジオ放送を聞いている時には「コントラバス奏者にとって下から手を伸ばして演奏するのは大変そうだ」と思っていたのですが、動画を見てみると意外に窮屈な感じはなくて、しかしつらいことはつらいのでしょうけど演奏するにあたっての制約は意外にも少なさそうなのだなと思いました。考えてみれば譜面を見られないのですけど、こちらは床の上にタブレットを置いて、頭を傾けるとその画面をのぞき込めるという配置で問題を解決していたようです。

 しかしこれは若い演奏家向けであって、トシをとった人だと体のスジを違えちゃって担架で運び出されるという譜面にない1幕を演じてしまうことになりそうです。

 近藤さんのお写真を拝見しますとこれはもうかなりお若いのでまだまだ大丈夫だと感じました。

 来週は松平頼暁さんの曲の演奏も聴けるようです。期待しております。

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 なんか文章が長くなっちゃいましたね。もうどなたも読んでいないかもしれません。

 「子ども科学電話相談」を聞きました。

 今日よせられた質問は、自分の目で観察して不思議に感じたことからくる疑問。それ自体はまぁ他の週にしてみても同様なのですけど、もう少し突っ込んだ観察というか体験からくるものが多くて「知りたい」の根元の確かさっていうのか、それだけにちょっと深い回答にも即座に理解しているようす。そんなものを聞けて嬉しかったです。

 カラスが餌を運んでいるのを見つけて追いかけてみて、餌を隠したり取り出してまた別の場所に運んでいるなどの行動を目撃した子の体験。とても良かったです。

 それとクアッカワラビーさんの生活に関する質問。彼らは夜行性なのに動物園では起きて餌を食べていたよ。なぜ。みたいなことでしたけど、夜行性にもいろいろあってどうしても昼間は起きていられない動物とそうでもない動物がいるという回答でした。

 回答者はさいたま動物公園の園長さんで、クアッカさんに髪の毛をギューギュー引っ張られた体験をお持ちの方ですので確かだと思います。

 またこの田中理恵子園長は、クアッカちゃん達の地元の島でお昼にうたた寝しているクアッカちゃんを目撃したとのことでとても羨ましいなと思いました。あと別の質問ではハダカデバネズミについても触れて「動物の毛の必然性、効用」などについての解説を聞きました。

 私が上野動物園で見た「ツチブタ」さんは、飼育員の人が「ごはんだよー」「起きてー」って繰り返し呼びかけてしぶしぶ起きてくる感じで、眠くて足元がよろけているのが面白かったです。半分くらい食べていたと思います。割と朝早くの動物園にも行ったことがあるんですけど、確かその時にはカラになった餌箱を見たと思いますので、夜にまた食べるんだと思います。

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 鳥の話題ということで、きのうのラジオ番組なんですけど「クラシックの迷宮」。

 毎週のように聞いていて唸らされるのですけど、きのうは番組の片山杜秀さんによる「音楽の起源に見る鳥から人間社会への影響の大きさ」というギョッとしますけど聞いてみるとなるほどそうなのかって納得しました。

 鳥の鳴き声の模倣から楽器の発明であったり、音楽の仕組みというか音のインターバルでいう4度とか5度の理解がうながされたとかを知りました。和音などもやっぱり森の中の鳥の声とかがヒントになったのかもしれないなと思います。

 翼を持たない人間達が鳥に寄せる憧れ。片山さんの論拠というのは幾度かそこに立ち返りながら、具体的な音楽表現の例を聞き、ときほぐしていくというような時間でした。

 私が思ったのは山田洋次さんの映画「馬鹿が戦車でやって来る」でした。

 劇中に、鳥に憧れるというか自分も鳥になりたいみたいな思いを持つ人物が出てきます。映画の最後の方で火の見ヤグラの高いところから落ちて死んでしまうのですけど、思うにまさに「鳥に憧れ」「人間は鳥じゃないと思い知らされる」その現実が描かれる。演じていたのは犬塚弘さんですけど、しかしどうでしたでしょうね。亡くなった時の表情が映し出されるところまでは記憶にあるんですけど、どういう表情だったかは忘れてしまいました。

 人と鳥の距離に納得したのかそれともまた別の表現だったのか。

 埋められない距離の大きさが芸術表現を生むのかな……という思いが湧き上がったところで本日の記述はおしまいです。ありがとうございました。