子&その他どうぶつ帝国〔20〕

 重い荷物の運搬をしました。今日は気温が高めでした。

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 ラジオ日記です。

 ニナ・シモンさんの歌や、RCサクセションの楽曲を聴いたりしました。

 NHKラジオ第1「ふんわり」より。

 木曜日は俳優の六角精児さんの担当ですが、今週も中座されてお芝居のお仕事のある劇場へと向かったんだとか。

 番組冒頭で「ペーソス」というバンドの「いそうろう」という曲を聞いたところで私は外出したのですが、帰ってきたら六角さんの代わりというか代打みたいな感じで、ふたりぐみバンドの「T字路s(てぃーじろす)」と、澤田彩香アナウンサーのやりとりで番組進行がなされていました。

 つづく番組「ひるのいこい」では、榊ひろみさんの「花の合唱(コーラス)」という曲を聞きました。初めて聞きましたが良い曲でした。

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 少しだけ昨日の当ブログにおける考察の続きを記述しようかと思います。

 「ブラジルにおけるシンセポップや、ニューウェイヴの産出数が少なすぎるのではないか?」という問題ですね。

 一体、今まで私はどれくらいを知りえたのか。ブラジル人民の音楽的活動において。まずはその数を確認してみました。すると10に満たない数しかないじゃないですか。

 ブラジルってとても大きな国ですから、やっぱりおかしいんですよね。

 ためしに他国の事情と比べてみました。ユーゴスラビアというか旧ユーゴ。するとこっちは50曲くらいあるんですよ。

 念のため申し上げますが、その数倍、数十倍の曲数を聞いて「これは捨て置けないぞ」っていう私にとっての重要曲の数です。

 ブラジルと旧ユーゴ。決して一緒にすることはできませんしモロモロ事情はあるにせよ、しかし単純に楽曲数だけでも同等に出てきておかしくないんではないか。そう思います。変な曲を作ってる人は一定の割合でどうしても出てきてしまうと思うんですよね。もうブラジルなんかであれば、あっちにもこっちにもいておかしくないんですよ。

 人口比で言いますと旧ユーゴとブラジルは10倍くらいの差があります。

 ただし旧ユーゴからの産出数の豊かさにはひとつの事情がありまして。ネット上の動画サイトに大変に熱心に旧ユーゴの80年代を中心とする変な楽曲の数々を紹介するアカウントがあるんですね。カセットテープで少量しか出回ってないんじゃないかみたいな曲まで網羅していたりするので。

 その人っていうのはアイコン画像がドイツの奇人ミュージシャンであったコンラッド・シュニッツラーさんがメイクしたお顔写真を借りてきていることからも「こいつは奇妙な音が大変に好きなヤツであろう」というその趣味性向が伝わってまいります。

 以前にも書きましたが私もこのコンラッド・シュニッツラーさんのことはかなり好きでありまして。

 ごく簡単に紹介しますと、「シンセサイザーをいじっていると、できてしまいがちな変なサウンド」「特徴的だけどこんなバカ目立ちする音色は楽曲制作に持ち込めないな」って多くの人ならそう思うような場所を取るサウンド。「ホゲー」とか「ピギャー」「ギョウオウオウン」みたいな音ですね。それらを組み合わせて曲にしちゃうのが上手な人で。元々は彫刻をやっていた人なので、おそらくこの人がやっているのは「音というカタマリの配置、構成」だと思うんですけど。そうした構造を貫く空気感であるとか色彩感、あるいは感情、風景描写とかも含むのかもしれませんけど、要するに単に変な音を並べるだけではなくて、楽曲を聴かせきるに値する「みなぎる何らか」を乗せて伝えるのが巧みな人であったんじゃないかと思います。変な音楽なんですけど吸引力がすごいんですよ。

 期せずしてまた演説しちゃいましたけど、シュニッツラーさんほどの巨人(作品数がメチャクチャ多い)ではなくても在野の若き変なシンセミュージックを作っていた80年代人との出会いが欲しい。その存在と楽曲的な成果を知りたい。そう考えている私です。

 で、きのうの夜の寝入りばなに「そういえばブラジルの歌手であるナラ・レオンさんは軍事独裁政権の樹立を嫌ってパリに亡命していたことがある」という歴史を思い出しました。パリ在住時にボサノバに取り組んだのが私も大好きなアルバム「美しきボサノバのミューズ」っていう作品なんですけど(Nara Leão Des Anos Depois)。

 それで改めてブラジルのそのあたりの歴史を読んでみました。すると確かに60年代末から80年代の中頃まで軍事政権というのは続いていたようです。その後、文民政権に転じたみたいです。ココまではわかりました。

 しかし私の知るブラジルの80年代のシンセポップであるとかの楽曲を見てみますと、別に80年代初めの方でも割と良い出来の楽曲はあるなっていうのが判明しまして。

 それとか以前にラジオ番組「世界の快適音楽セレクション」で知ったRita Leeさんの楽曲「Nem Luxo Nem Lixo」なんかはシンセとかニューウェイヴとか関係ない音楽性ですが、大変に素晴らしい。あるいはこちらも「快適音楽」で知りましたがガル・コスタさん。この人なんてその才能の奔出というのはモロに軍政権下にかぶるんじゃないかっていうマあんまり詳しくないので突っ込んだ結論みたいのは私には言えませんが。

 政情が与える影響がポピュラー音楽にどれくらいあったのか。ブラジルにおいて。というのは私にはまだ理解できていません。けっこうしたたかにみんなやってたんだなっていう感想もあります。

 あまり国情の分析に傾くよりは、音楽的な実例を積み重ねたいなと思いますので、またしばらくはひたすら聞いてみようかな。と思います。たぶんそういうのが私の流儀でしょう。おそらくいったんモロモロの事情は忘れて虚心坦懐に聞いていく接していくのが良いかなって思います。音に予断を持ちたくないみたいな。そんな気持ちです。