子&その他どうぶつ帝国〔09〕

 女の子の練習もすることにしました。

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 以下、日記的な記述をします。

 まずは個人的な音楽聴取活動について。

 「オール・ザ・ヤング・シンセポッパーズ in 80s」に関連する活動を継続しています。

 多くの曲を集積するアカウントの存在を知りました。ネットの動画サイト上において。英米以外のシンセポップやら、ニューウェイヴが豊富に公開されておりました。

 その中から百数十曲ほどをチェックしました。そのうちの2割くらいはなかなか良い曲でした。期間としては3〜4日かかりました。

 たくさんの曲を聴くのは大変ですが、2割程度が良いものであればそんなに苦ではないです。

 ウルグアイですとか、チリ、アルゼンチンといった、様相をまだ私がよく知らない国家の当時の若者文化の一端を知ることができたと思います。ありがたいです。

 ただし「どういうバンドであったのか?」というのは解明できないケースが多いようです。

 ネット上には「ディスコグス(Discogs)という大変に役立つデータベースみたいなサイトがありまして、手始めにはそこを参照してどんなバンドであるのか知る。という経路をたどることがもっぱらなんですが、当該バンドのページ自体が設置されていないことも珍しくないみたいです。

 ディスコグスは私の思うにネットにつながっている有志の人達が作っていくサイトであって、カセットテープで配布されたオムニバス作品に1曲を提供しただけのバンドなんかも網羅されていたりして頼りになるんですが、南米であったりの地域からの作品はまだ追いついていない部分もあるのかな、という感触です。

 それとメキシコの事情です。最近の私は特にメキシコ(の80年代の素っ頓狂なシンセポップ活動周辺)に注目しているんですが、目につくバンドの多くがアメリカの国境に近い「ティフアナ」という地域に集中しているのが気になっていました。

 ところが今回、メキシコの首都である「メキシコシティ」で活動していたバンドの楽曲を知れまして。大変に嬉しかったです。

 以前から知っていたバンドのメンバーとの関連を知ったりしました。

 当然なのかもしれませんけどメジャーな活動を目指したりそれに近い人たちなんかはやっぱり首都にいたみたいですね。そりゃそうだ。

 私の趣味趣向が狭くて、変なヒトたちが好きなんで、まず目に付いたのが国家のはじっこの都市下において繰り広げられていたアンダーグラウンドな活動であった。というだけなのかもしれません。

 継続してメキシコあたりを調べている私ですが、他に知りえたこととしては「1ヶのバンドがダメになったりしてもその後も活動している人が少なからずいる」ということです。

 この点というのは別に英米においても普通に見られる現象ではあるのですけど、後の活動になっても音楽的に薄くなっちゃったりしないで、面白い曲を残していたりするのが調べていて嬉しいです。ただし痩せていた若者たちがブヨンブヨンに太っちゃって行くのを見ると腹が立ちます。音楽性についてはシンセサイザーから離れることなくより発展していったりしていて興味深いなと思います。

 要因としては80年代から90年代くらいまではシンセサイザーを用いたポピュラー音楽が面白い時代ではありましたので、興味が薄れなかったのかなと予想しています。

 しかし他方、シンセサイザーな音空間を重視していたバンドなりが突如としてアコースティックな音楽性に転じることも当時においては珍しくなかったので、そうした動きに影響されたことはもしかしたら少なかったのかもしれない。

 まだ10ヶ程度の例しか知らないので仮説にしか過ぎないのですけど、今の私の心境としては「けっこうメキシコのシンセポッパーズも変態だな(褒め言葉)!」というものです。

 シンセを信仰しちゃう気持ちが強いと申しますか。

 できればなんでもシンセでやっちゃいたいというマこれとて良い面と良くない点があると思いますけど、しかし私自身もそっちに近い心情を持っているので嫌いにはなれないです。

 とても有名なバンドで自分が好きであっても電子的な要素を脱いでしまうと好きになれないことの方が私は多いです。

 日本のバンドである電気グルーヴの古い歌の歌詞に「いまだに生身じゃ恥ずかしい」という一節があります。

 ここに込められた真意であるとか文脈。そしてまた現在の心境がそのままであるのか等々、私は全く知りませんけど、しかし実のところこの「生身じゃ恥ずかしい」っていうのは私にとっては重要な感覚です。初めてこの歌詞を聴いた時からずっと私の中にはありつづけています。

 なんかテクノロジーをまとっていたい。

 それももはや現在の最先端の技術っていうともう追い越されちゃった感があって。ちょっと古い技術っていうんですかね。前時代的なこれ見よがしのテクノロジーっていうと近いのかもしれません。

 「ほどほど」とか「さりげなさ」を欠いたあり方というか。

 当ブログにおいての私はことさらに自己のニューウェイヴ愛みたいなものをクチにすることも多いと思いますけど、しかしその内容にはギャング・オブ・フォーとかのエレキギターの弦をぶっ叩く系のバンドへの言及は少ないと思います。そこなんですよね。加工感の薄い音をモロに出すのを好まないというか、逆になんでそんなに生身の自分に自信があるのかがわからない。さてはお前ら屈折というものを知らないなっていう疑念すら湧き上がる。私はそういう心情の持ち主なんですね。

 ニューウェイヴなんだから使うにしろひとひねりしようやっていう提案含みでもあるんですが。

 こうした流れを見るにジョン・マッギオーク氏であるとかヘリオス・クリード氏への愛情をもしかしたら理解していただけるかもしれません。ユワンユワンしたのが好きなんですね。シンセサイザーの音作りにしろユワンユワンさせたい気持ちは濃くて。素朴な音を使うにしろ背景音はウニャウニャさせて対比させたいかなって思います。

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 予定していなかった演説をしてしまいました。軽い気持ちで読み始めて巻き込まれてしまった。ヒドい目にあった。困惑された方には申し訳ないです。

 ここまで読んでしまった方がもしもおられましたらすみません。つい興が乗っちゃいました。前にも書きましたけど私のブログはイラストを見にきて下さるだけで全然オッケーですので文章は気にしないでください。

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 もうこの部分を目を通している人っていうのはほぼいないと思いますけど、ラジオ日記もいっておきましょう。

 日曜の朝ということで「吹奏楽のひびき」です。今日は「ラフマニノフの音楽を吹奏楽で鳴らす」というようなテーマ。きのうの夜の「クラシックの迷宮」もラフマニノフさんでした。私は知らなかったんですが、生誕150周年なんですね。各地で様々な演奏会も行われている、あるいはその予定だということで、かなりよく愛されているんだなと知りました。私にとってのラフマニノフさんというのは、名前はよく聞くけど、作曲家なのか、ピアニストなのかがよくわからない。というレベルでしたけど、きのうから今朝にかけての学習でよくわかりました。「どっちもラフマニノフさん」なのです。

 「吹奏楽のひびき」に戻しますが陸上自衛隊中央音楽隊によるラフマニノフさんの曲なんかも聞きました。

 じつはきのうの夜のことになりますが、録音しておいた過去の「吹奏楽のひびき」を聞き返しておりました。去年の10月の放送ですね。

 曲は西村朗さんの「秘儀Ⅷ 地響天籟(ちきょうてんらい)」です。こちらも中央音楽隊の演奏でした。もうこれが非常に素晴らしい演奏。であってまた曲のスケールが大きい。こちらは吹奏楽用の曲なんだと思いますが、管弦楽曲の西村さんの近作「華開世界」なんかにも近い巨視的な大きな曲でした。あやしくうごめきつつ炎のように燃えさかる噴出であるとかね。とくに最後に近いところでのティンパニーの連打。大変な見せ場です。ここを中央音楽隊の人がなんかもうさすが自衛隊って感じの体幹の強さって言いますか人以上の存在になっていたなと思います。

 実はこの「秘儀Ⅷ 地響天籟」については、北海道教育大学函館校の吹奏楽部による演奏も聞きました。やっぱり難しい曲だなと思いましたが、良い演奏になっていると思いました。ティンパニーの人も見せ場を作っていて立派だと思いました。

 西村さんの作品については「樹霊 II」を光ヶ丘女子高等学校吹奏楽部の五人が演奏してコンテストで賞をいただいたというこれもとても良い演奏だったと思いますが、そちらのことも書くとさすがに文章量としてマズい。去年からいつかは書こうと思っているんですが繰り延べになっちゃってます。

 そんなわけで西村さんが解説するラジオ番組「現代の音楽」。

 現代音楽100年の歴史を「その広がりなんかも含めて見ていきたい」という周辺にも気を配ろうという態度の表れなんだと受け止めています。興味のあるところです。

 まだ新年度から始まったばかりですので最初はシェーンベルクさんから。今日聞いた「ピアノ組曲 作品25」は良かったです。

 来週からの展開も気になるんですが、音列主義というか12音技法に続くというかシェーンベルクさんの弟子筋の方を取り上げるという。ウェールベンさんとベルクさんだったと思います。予定としては。

 この最初の方が大事かなって思いますので、私としても丁寧にやっておこうと思いまして、録音しておいたベルクさんをとりあげた「現代の音楽」の回を聞き直しました。これが普通に感動しちゃいまして。西村さんも「美しい」でしたかそれと「エモーショナル」って感想を述べていた通りですが、音列主義からこうした風景を引き出したという作品は当時においても大きな衝撃があったという紹介でした。なるほどね。また、放送の中では「短3度で音列を組んでいく」「それによって調性もかんじられるフレーズなりが組み上がっていく」という、音と音のインターバルのお話。それと「曲の中に暗号を封入することも可能」みたいなお話でした。数学的な取り組みって言いますかね。

 本日のシェーンベルクさんの回の最後でも聞いたことですが、作曲家が曲作りをする時の態度の違い。その分岐点であったのであろうみたいな話にも通じるのかなと思います。

 以前に西村さんと久石譲さんの対談の中で久石さんが、純粋に音と音の相互作用に興味があるなんてことをおっしゃっていたと思いますけど、そうなるとやっぱり久石さんはまぁ大きく言ってシェーンベルク以降の人なんだなと改めて思ったり。

 散らかった感じですけど、現在の私の理解なんかを交えてここに記しておこうと思います。

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 もうこんな文章長すぎて読んでる人はいない。「子ども科学電話相談」も聞きました。

 きょうは「恐竜」「鳥」「動物」の回だったでしょうか。しかし生き物が住む環境(自然)までの回答や質問を含んだ包括的に知る楽しさを伝えるような良い内容だったと思います。質問を寄せた子供達の普段の実践の様子もしれて胸が熱くなりました。

 恐竜の先生は小林さんと田中さんのおふたりが揃うという豪華な内容。

 また今回から番組アナウンサーが柘植恵水(つげえみ)さんになりました。この方も他のアナウンサー諸氏と同じく非常に言葉が聞き取りやすい方。

 面白かったのは骨の細部における腱の基部をなす箇所のお話でした。腱って不思議ですよね。トリのもも肉を食べるときなんかに「よくこんなに骨に密着しているな」と思います。

 ゴリラの頭が長いのは強靭な筋肉を支える腱というか筋というか、そしてまたそれが骨にくっついているという仕組みですね。これを考えると骨であったり頭蓋骨の形状といった部分が変化する発達するのだという視点を学びました。すごく重要なことですね。

 私は先週に動画サイトでミナミコアリクイが岩と岩のすき間に頭を突っ込んでアリを探しているところを見ました。思っていた以上に細いすき間にも頭が入るみたいです。

 アリクイというのはクチがほとんど開閉しなくて舌ベロがビヨーーーーンと伸びたり縮ませたりするだけの動きでお食事をするんですが、考えてみたらアゴの関節をちゃんと作っていたらすき間に入るようなスリムさというのは実現しないなって思いました。思うにおそらく舌の大きな動きを支える頭蓋骨における構造というのもアリクイは有しているんじゃないかと思います。

 骨ということでいうと、番組中には、恐竜の小林快次さんによるご紹介で「恐竜の喉にあった鳥とも共通する骨の存在」のお話もありました。恐竜の鳴き声の解明には私も興味があります。夢がありますよね。コミュニケーションに直結するお話です。

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 今日は統一地方選の投票日だったんですが、私の住んでいる富士市においては無投票でした。

 富士市においては、おととしでしたか。「市長選」も無投票でした。論戦はあったほうが良いなと思います。

 そのかわりと言ってはなんですが、「市議選」ですね。こちらは長大な候補者ポスターの看板が設置してあります。逆に混戦模様なのかなって思っています。状況としては健全ですけど候補者的には気もそぞろというのかもしれません。