フニャフニャしながら走る男の子のイラストです。
今回のポーズは勉強になりました。手前味噌ではありますが。
見る分にはほとんど伝わらないかもしれません。
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ラジオ日記です。
坂本龍一さんによるお話と演奏を聞きました。お正月のラジオ番組の再放送でした。
特に中盤から後半の演奏はもう美しくて美しくてほれぼれとしました。
坂本さんの声の調子はあまり良くなかったのですけど、去年に私はネットの動画サイトで坂本さんご自身のラジオ番組において斎藤幸平さんがご出演(これが大変に良い内容)の際の坂本さんの声の調子というのを聞いていたので、さほどショックはないというか、むしろ話す内容を前もっておおむね決めた上での録音に臨んだという感じで、つまり迷いがないというか直接リスナーに伝えるという立ち位置からの言葉であってまだまだ力強いものを感じました。
思うにこのあと急速に悪くされたんじゃないかと思います。大変に悲痛な思いです。
しかし裏返しますと録音の時点ではまだ全然あきらめてらっしゃらなかったということですから、ここを学んでいかなければならないと思いました。
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先日にネットの動画サイトで津田大介さんの番組を見て、この30年ほどの坂本さんの社会的な活動を概観したことはお伝えした通りなんですが、それ以前のことも知りたくなってネット上の短文SNSなどを見てみました。要するに坂本さんの新宿高校時代ですね。
すると作曲家の池辺晋一郎さんが坂本さんの死に寄せてのことばを発見しました。
大変に良い内容で、これからの人たちに向けてのメッセージだと思いました。中学とか高校の子でも充分に理解できる内容。
知らなかったんですが、池辺さんも新宿高校卒であって、しかも高校に管弦楽部を創設した人物であったという。池辺さんが大学生だった時に高校生の坂本さんが訪ねてきて数時間話し込んだとか。その後もちょくちょく伺っていたらしいと知りました。どうやらその頃からアフリカであるとかの民族的な要素をピアノ曲に持ち込むとかの試行は坂本さんにおいて始まっていたんだと知って唸りました。大学進学後に小泉文夫さんの教室によく通っていたということは知っていたんですけど、もうかなり若い頃からクラシック音楽の行き詰まりというか西洋音楽の潮流から離れたところからの素材との統合が頭にあったんだなとわかりました。当時の音楽的な版図においてご自身がやるべきことを見定めて動ける人だったんだと改めて知ったのでした。
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ラジオ日記を書いていたのでした。文を書いてるうちに忘れちゃいましたけど。
NHK・FM「世界の快適音楽セレクション」も聞きました。
高橋幸宏さんの歌声を聞きました。バート・バカラックさんの「ザ・エイプリル・フール」のカバー。高橋さんもバカラックさんも亡くなられたばかり。なんともまぁ。言葉もございません。「ルック・オブ・ラブ」でも聞きましょうかね。