横笛を吹くアナグマおじさんです。
このイラストを描いたのは、ブログ公開時(今日)よりもけっこう前でして。
つまり中止になりましたけど夏祭りの予定があったので、「きっと忙しくなるだろうな。ブログは自動投稿にしておこう」というワケで、8月のアタマくらいまでの原稿はもうすでに用意してあります。
ではこの文章を書いたのはいつか、といいますと、ラジオ番組「現代の音楽」において福島和夫さんの回を聞いた後なのです。7月3日に放送がありました。イラストを描いたのはその後のことです。
実験工房における福島さんの存在であるとか世界的な評価であるとか。またよく演奏されている器楽曲のことなどが分かって有意義でした。
その回ではフルート作品を聞いたんですが、解説の西村朗さんのご案内通り、雅楽の篠笛ですね。上掲イラストにおいてはどちらかというとそちら、篠笛(しのぶえ)を意識しています。
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どうせですから書いてしまいましょうか。今回ね。
実は私はもうかなり昔の話になりますけど、篠笛であるとか雅楽の楽器を1枚の絵にしたテレホンカードの図案を描いたことがございます。
いろんな笛。笙。それと打楽器、例の「日本ってアジアだな!」って感じの意匠の凝らしてあるなんていうの、例えは変ですけどチンドン屋さんが持ってるみたいな何種類か打楽器が組み合わせてある感じのタイコですよね。
そんな感じのテレホンカード。
もう1枚、別の図案というかお能で使う能面みたいな仮面集。そんなテレホンカードの図案も担当しました。
一般で売られているテレホンカードではなくて、東京の皇居の横に二の丸庭園(皇居東御苑)っていうお庭がありまして、昔のお城の石垣とか、松の廊下のあった場所とかが今でも残っていて見に行けるんですが、売店がありましてですね。入口の門のそばに。お土産を売っている感じの。そこで売るテレホンカードですね。もう今はさすがに売っていないと思います。テレホンカードはね。歴史の遺物っぽい位置ですよね。
いきなり「皇居」なんてワードが出ましたので、たまげた方もいらっしゃるかもしれません。まさか私のブログでね。おどろきですよ。
よく知ってるわけでは私もないんですが、菊のハッパっぽい名前の財団がございまして。そこがどうやらそうした商品の立案制作をしているとかで、何点か手掛けております。正確に言うと「おりました」ですね。ほんの一時期やっていただけです。それも昔ね。くりかえしますが。
もともとは京都御所で売るお土産を買ってくれたお客さんに手渡すコンビニのシャラシャラ袋みたいなヤツね。それのための図案を描いたんですよ。
それが割合に好評だったみたいでして。控えのコピーが残っておりましたので掲載いたします。
それでテレホン・カードの図案を描いたりしたんですね。
そのうちテレホンカードを収める四角いちょっとした小さな封筒。それに添える単色鉛筆のイラストなんかの発注もありました。
皇居の脇にアンモナイトみたいなカタチのマルッとした噴水があるんですがそのイラストでした。あれはいつかゼヒ描いてみたいっていう感じのユーモラスな形状ですので、仕事として入った時にはうれしかったですね。
まだ建設現場でのアルバイトをやめられたかどうかって時期だった気がしますけど、そのバイトの帰りにワンボックスの車に揺られて通り過ぎていた例の噴水。それを描く。ちょっと不思議な気持ちでした。丸の内のビル建設現場とかに行ったんですよね。当時はオフィス街の角のところにタバコ屋さんがあったりして、休憩時に人数分の大量のジュースなんかを買ったりしました。今はもうカドのタバコ屋っていうのも無いですよね。ましてや東京の中心部ですからね。
楠木正成さんの像なんかも描いたかもしれません。「ひじくろさんがたまに描くチカラがみなぎった感じのイラストには楠木像のイメージに合いそうだな……」なんて、もしも思ってくださる人がいたら嬉しいですけどね。私は幼い頃にガッチャマンっていうか要するに九里一平ワールドに触れていますので、動物がワチャワチャしている場面を描いていても、どこかにああいうビシィッとキマった構図だったりを描きたいっていうのがあるんですよね。三つ子のタマシイ的なね。
以上のような感じであるんですが、何点か描きました。皇居の周りにまつわるイラスト。ありがたいことですよね。まぁイラストのお仕事ですからね。
ところが以前に似たことを書いたかもしれませんが、私はイラストレーターとして自分が何者であるか。それが長い間よく分からなかったタイプであります。この当時もまだモガいている最中でした。
今の私であれば悩むこともないんですけど、「普通に上手なイラスト」みたいな画風で評価されることに抵抗したい気持ちがあったんですね。「オレにはもっと別の良さがある」とか思ってたんですね。不遜にもね。もったいないことですけど、本人はモガいている最中ですのでまったく見えてないんですね。自分の姿さえも。それが迷うってことですよ。
ですんであんまり気乗りもしていなかった。もっと楽しめていれば良かったなと、後になって気づいても遅いんですが。
そんな反省でした。
余談としましてですね。以下に記しますが。
二の丸庭園のようす自体のイラストを描くお仕事もあったんですよ。立ち消えになったんですが。実地に見に行ったことがありました。取材と称して。
その時に私が当時のカッコといえば地獄のようなチュルンチュルンの長髪に絵がたくさん描いてある革ジャン。ボロッボロの迷彩柄のズボン。自分で懐かしいですけどスゴいカッコしてましたね。その風体で二の丸庭園に入場してしまうという。ていうか他に服も持ってなかったしね。
時代的にはオウム真理教ですよ。サリンの事後でありまして多数の逮捕者が出てはいたが、あの松本智津夫ね。教祖の。あの人がまだ逮捕される前でありまして「いったいどこにいるんだっ!?」って感じの非常におそろしく世間がピリピリしていたんですよ。そこにもってきて私のどうカテゴライズしていいかわからない独自のカッコですよね。そういう人が二の丸庭園にいるっていう。皇居の至近ですからね。
一応長髪っていう部分は松本某と似ております。私は天パーで髪色も若干薄い部類でしたので印象はかなり違ったかもしれませんが怪しいことに変わりはない。
要するに人生初の職務質問を皇宮警察のちょっとエラい人にされたと、長くなっちゃいましたが、以上のような感じです。私個人の気持ちとしては「オレみたいな感じの人は一応職務質問しておいた方が良いんじゃないの?」ってものでしたから職務質問に対して別段に腹を立てるとかはなかったんですけどね。素直にしたがいました。
私のそんなに長いとも言えないこれまでの人生経験ですけど、オウムね。あれの以前と以後はパキッと音を立てて変わりました。日本の社会のあり方がね。
サリンの時には私は西新宿の自宅アパートにおりまして外が騒がしい。今は無いですけど成子坂下の交差点のそばにコインシャワーがありまして。脱衣麻雀ゲーム機が置いてある感じのコインランドリー併設のね。そこで体を洗いながら「にしてもスゴいパトカーとかのサイレンだな」と思っておりました。中野坂上が大変な状況でしたからね。テロですよ。
今思うとテロの現場数キロメートルの場でコインシャワーでンワワ~とかやってサッパリしてたんだと思うとずいぶんにノンキな話ですが、現実ってそんなものかもしれませんね。爆撃とかだとまた別かもしれませんが、化学テロですと距離さえあれば影響があるワケでもないんだなっていう。こうして書いていてもちょっと他人事みたいな気がしてきます。あの件で健康を著しく害した。あるいは命すら落としたって方もおりますんでかなり不謹慎ですけど、しかし一方の私の実感はそんな感じでした。ちなみにサイレンの音それ自体はその後に起きた歌舞伎町ビル放火の時の方がスゴかったです。あれも大変な事件でした。夜中でしたけどね。たぶん幹線沿いの人は寝れなかったでしょうね。
オウムのサリンに戻しますが、当時はもう今と比べると格段に情報伝達の速度が遅かったので夜になってからでした。概形がつかめたのは。
マそれにしてもですよ。私が引っ越してきた頃(1980年代中盤)の成子坂下交差点って申しますと角の雑居ビルの3階くらいに「マイクロフィルム」とかの看板が出ていて「めちゃくちゃスパイっぽい!」みたいな感じにむじゃきに喜んでましたけど、もはやヒドく昔の出来事ですね。35年も前ですよ。なんともかんとも。まだまだ牧歌的な時代でした。
キリがないので今日はこの辺にしておきますか。