TROMS〔35〕サクラ咲く墓苑

 きのうの内容と関連します。

 創価学会のお墓。大きな墓苑ですが、行ってまいりました。自転車で。

 標高800メートルほどの高地です。キツかったです。

 傾斜としてはユルいんですが、行けども行けども着かないな、という道のりでした。

 日付としては先月です。4月4日。

 雨が降った次の日でして、富士山に積雪がしっとりと、非常にキレイに積もったので出発を決意したのでした。

 桜の開花には1週間から10日ほど早かったです。日本の東北地方における開花時期と同程度だと思って良さそうです。空の青さは理想的でした。しかし雲がありました。

 富士山の積雪についてはこの日が結局、今季における最後のチャンスだったかなと思います。白くコンモリとっていうのはなかなか難しいですね。1年に何日もないです。

 入り口のあたりの写真です。

 正式な名称は「富士桜自然墓地公園」なんですね。

 知りませんでしたし、ここには初めて来ました。

 私が子供の頃にニュースで話題になっていた墓苑がココなんだと思うと感激もひとしおです。来てみると単にキレイな場所でした。

 この入り口あたりの桜は半分くらい咲き始めていましたが、けっこう奥行きがある敷地というか、墓地エリアはまだまだこの先。桜の咲き方に影響があるくらいの高低差があるようです。広いですね。

 橋がかかっていました。

 ため池の上に渡してあるという位置関係です。富士山の南側斜面、この標高に存在するため池って、私の知る限り珍しいと思います。

 小さな島の上でトリが羽を休めていてとても平和な雰囲気。

 静かな場所です。

 橋の名前は「池田大橋」でした。

 ご覧の通りでありまして、ホントにキレイな場所です。桜のつぼみが色づいている状態。

 この日は定休日で本来なら中に入れない日でした。

 警備の方がおっしゃるにはお墓まいりに来た人は別。その他に私のように桜を見に来たっていう人の場合、1周して帰ってくる程度の短時間ならいいよ。ということでした。

 長居はできませんけど、来場者が少ないので静かにしておごそかな雰囲気を感じるなら悪くないといったところでしょうか。

 梅が咲いていました。とにかくドコを見てもキレイといった印象。

 終点(行き止まり)の近くです。富士山が巨大に見えます。大沢崩れ(おおさわくずれ)のようすがこれほどまでにキレイに見えるとは。感激しました。

 おそらく自転車で登っていける地点としては最高点ではないでしょうか。高度的に申しまして。

 ちなみにですね。写真に写っている道。この道の名前は「広宣道路」です。

 墓苑が営業している日であれば、付随する休憩所なども開いていると思われるんですが、実は礼拝所のそばに「広宣流布の碑」というのも存在しているんですね。非常に創価学会っぽいですよ。

 せっかく来たので、そちらもゼヒ目撃しておきたかったんですが、何しろ定休日ですので自分勝手な行動は慎みました。

 とにかく富士山の見え方がスゴかったです。感動しますよ。近くに寄るほど富士山の全容は視野におさまらなくなります。それは当然ですけど、しかし近づけば近づいただけの迫力。細部の鮮明さはありますね。「すぐそこで崩れている」という気がしてきます。もちろん実際ははるか遠くなんですけど、空気もきれいでしたのでそんな気がしました。

 写真の色合い的には多少の修正はしていますけど、この空の青さ。素晴らしかったです。

 このあとトイレをお借りして着替えを済ませました。

 汗でビショビショでした。ちょっと寒かったです。

 帰りは、ほぼ全部が下り坂ですので、かなり厚着して体温低下を防ぎます。

 富士宮市と富士市を結ぶ道は狭い経路が多く、そのひとつを利用したんですが、お勤めの方の帰宅ラッシュの時間は危険度が上昇しますので、まだ日が高いうちに帰路につかないと自転車の私はヤバいです。

 上のお写真はもうあらかた下ってきた後のものです。富士宮市の観光地である「白糸の滝」の近隣。橋がかかっています。

 水はすっかり引いていますが、上流というか源流は富士山の大沢崩れです。

 つまりこの川「潤井川(うるいがわ)」は、富士山のてっぺんとつながっています。

 大雨の時には濁流がザンブザンブっていう河川です。もしかしたらこの文章を読んでいる方もニュースなんかで「大雨で富士宮の濁流がスゴい! 岩がゴロゴロ!」みたいな報せに接する機会があるかもしれません。私もいうほど詳しくありませんので断言はできませんけど、この川のもっと上流である場合が多いかと思います。監視カメラの映像ですよね。

 写真にもちょっと大きめの石が写っていますね。

 しかし普段はご覧の通りのカラカラの川です。

 この川は田子の浦港まで続いています。実は大沢崩れからの土砂で田子の港の入り口がふさがってしまって、川の水が排出できなくなり、農業や人々の生活に大きな被害が生じた。という歴史も度々あったのだと、今回の連載というか調査の過程で知りました。上の写真のような治水というか砂防というかその辺の配慮というのもかなり重要な対策なんですね。きっと。

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 話が前後するんですが、行きの行程で「若獅子神社(わかじし・じんじゃ)」という場所に寄ってきました。

 ここは「富士桜自然墓地公園」に行く際の通り道にあたります。

 いわゆる少年戦車兵を祀る神社です。

 この場所に戦時中は戦車兵を養成する学校があったんですね。演習場なんかとともに。かなり広大な敷地であったようです。

 近年になってからサイパンより移されてきたという当時の戦車です。

 かなり朽ちています。

 近くに寄る気にはなれず、礼だけしてこの場を後にしました。写真もこの1枚だけです。