TROMS〔30〕名画との出会い

 今日からまた新テーマですよ。

 富士宮市で絵画のなんたるかを学んだ。そして新宗教の存在っていう感じです。

 参りましょう。

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 富士宮市のちょっと奥に入っていった土地に昔は美術館がありまして、10代の頃の私はそこでの展示にとても学ばされました。

 イラストはその美術館の外観です。とても立派な大きい建物。駐車場に車を置いて、テクテク歩いて行く感じで、けっこう歩かないと入り口にたどり着けなかった記憶があります。

 この美術館は、建物としては現存しています。

 今はもっぱら宗教的な物品を納める倉庫というか博物館というか。基本的には信者の人向けの施設としての存在なのだということです。

 大石寺という大きなお寺の敷地の中にあった美術館です。

 経営母体としては宗教団体だった、ってことですね。

 当時は大石寺と創価学会の関係が良くて、なぜか大石寺の中に創価学会の資本による建物っていうのが複数作られていたんですよね。正確なところは知りませんが。

 その後に仲が悪くなってしまって大石寺から創価学会は離れるということになったようです。

 それだけじゃなくてかなり険悪なムードもありましたでしょうか。

 ああいう宗教の中の対立ってよく目にしますけど、周りから見るに「大人げないな」って印象はありますね。

 悪意ムキ出しの双方のやりとりを垣間見る機会が私なんかにもごくわずかにありましたが残念ですよね。思うにそんなに距離がある双方ではないと思うんですが。以前まで仲良くしてたのにどうして。っていう驚きもありました。さらにそうした当事者たちがもう片方で宗教的なメッセージを説くって言うのも、なんか違うんじゃないかって思うんですが。オレ達不信心者たちの方がよっぽど仲良くやってるよっていうね。しかしこれは私に信仰心というものがほとんどないせいで、ネジ曲がったココロでそう見えているだけなのかもしれません。

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 1973年に当時の総理大臣だった田中角栄さんが、当時のソ連っていう国に訪問しまして、雪解けのイメージなんかが背景にあったと思います。

 翌年の1974年に池田大作さんがソ連を訪問しまして、コスイギン首相っていう方と会談されたんだそうです。このへんのイキサツは今回初めて私も知りましたが。まぁ池田さんってかなり活発にそういう活動はされていましたね。

 おそらくそこを起点にしたんだと思うんですが、当時のソ連。まぁロシアですけど、著名な美術館のコレクションがかなり多く富士宮市という決して開けているとは言えない土地の美術館に運ばれてきておりました。

 大変にありがたかったです。よく見に行っていました。

 理解できなくても、とにかく大量に優れた作品を見ることの有意義さってあると思います。感謝感激ですよ。ほんとうにラッキーでした。

 印象に残っている絵画を列挙しましょう。

・イワン・クレムスコイ「忘れえぬ人」

・イリヤ・レーピン「トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージェ・コサック」

・イリヤ・レーピン「ヴォルガの船曳き」

・スーリコフ「貴族夫人モローゾワ」

・アイヴァゾフスキーの海洋シリーズ、たぶん「第九の怒涛」

・ワシーリー・ペローフ「眠る子どもたち」

 ネットで調べてみて「おそらくこれは見ているだろう」みたいに収集しましたが、やっぱりドラマチックな画面のものほど確信はもてますね。印象に残るって大事です。

 特にイリヤ・レーピンさんの「ヴォルガの船曳き」は今のトシをとった私が見たら泣いてしまうかもしれません。万感胸に迫りますよ。

 確信は無いものの「イワン雷帝と皇子イワン」も見ているんじゃないかって思えて仕方ないですけどアヤフヤです。

 スーリコフさんの「貴族夫人モローゾワ」のハイテンションな表情とキメポーズのキレの良さ、指先に至るまでの意思の表れなどは、もしかしたら無意識に影響を受けているかもしれないと、今回はじめて気付きました。振り返ってみるものですね。

 ロシア正教会がらみの宗教的、歴史的な主題を扱った絵画であるそうです。これは初めて知りました。今回改めて調べてみて。

 この絵画については習作も併せて展示されていたと思います。部分部分のスケッチなんかも来ていたかもしれません。夫人の左手の素描を確か見たんじゃないかって思っているんですが。それも1枚ではなく2枚あったかなって思います。要するに手の表現についての推敲ですね。当然ながら本番の絵で採用された手のカタチががぜん良いなと私も子どもながらに納得しました。

 つまり全部を総合して非常によく練り上げて1枚の名画が生まれたっていう過程を学ぶことができたのでした。

 それらを眺めてけっこう長い準備期間が存在するものなんだなって学んだとともに、納得するまで努力したんだなと感じました。

 今の私が見るとずいぶん演劇的な絵画だったんだなって思いますけど、子供の頃の私は夫人の圧倒的な存在感に、絵を見ているというよりは、意思と気性をじかに感じたっていうそんな心境だったと思います。パワーのある絵画ですね。サイズもバカでかいですからね。

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 この当時っていうかつまり1970年代の「富士美術館」と申しますか「大石寺」周辺は、人がたくさん来ていましたね。私の家族が美術展を見に行くために敷地の外周をグルっと自動車で半周するんですが人が列になって何か歩いているというか、よくわかりませんでしたけど、それがいつ行ってもその沿道のところを歩いているといったようすでした。みんな割とちゃんとした服装をしていたように思います。なんだったんでしょうね。

 マしかし、もしかしたら当時を知らない世代の方がここを読むかもしれないので記しておきます。にぎわっていましたよと。