TROMS〔14〕ソフトボール・チームのオジさんたち

 固いお話が続いたかもしれません。

 野球をしているタヌキのオジさんたちのイラストを描きました。

 昔のことを思い出す上で、色々と「そういえば!」なんていう本題とはズレたことも浮かんでくるんですが、一応それほどズレてもいないのかっていう話題です。

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 ヘドロの原因企業として主要な一角を占める旧・大昭和製紙ですが、功罪どちらもある存在です。富士市にとっては。

 ここは野球のチームを持っていまして、強かったんですよね。実業団野球です。

 地区対抗の優勝パレードを地元である吉原の繁華街で挙行したりしていたみたいです。私は目撃しておりませんが伝説的な出来事です。

 タレントの伊集院光さんが野球が好きで、実業団野球も見ていたということです。大昭和野球チームの応援歌っていうのがあったんですが、それも歌えるとか、そんなことをご自身のラジオ番組でおっしゃっていたように思います。

 そんなに昔の話じゃないんですよね。

 以前に当ブログで連載しましたマンガにおいて、東京の千駄ヶ谷に住んでいた時分ですね。当時ほとんど部屋のカギを施錠していなかったみたいな記述をしました。その頃のお話です。

 休日のお昼だったと思いますが、お部屋でくつろいでいた時にトビラがガラッと開きまして、ビックリして見ると友達のゴッピーが片手にメガホンを持って入ってきて、やおら大昭和の応援歌を歌い出すといった事件がありました。

 ゴッピーって私の小学生からのお友達なんですが、大昭和製紙に勤務していて実業団野球の応援のために上京したとかで試合が終わった足でいきなり私の部屋を訪ねたとかでした。何の予告も無く。

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 そんなゴッピーなんですけど、その後に富士に帰省した折の私に対して「最近は会社がダメで支給されてた作業着も今だと自腹さや」なんて語ってくれたのが20代も中盤か後半でしたかね。「さや」っていう語尾は方言でして、「なんですよ」っていう意味です。

 大昭和製紙といえば、クドいようですが、長く富士市の屋台骨でして。ゴッピーなどは高校卒業、就職の運びの際に先生に対して「大昭和にします」って申し出ると「え! ホント?! 大昭和でイイの?」という割とハゲしめの反応をされたということです。「それなら簡単よー!」みたいな文脈だったそうです。

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 ゴッピーは工業高校に通っていたんですが、その学校自体が大昭和製紙の創立した学校が前身なのです。だからもう就職はカンタンみたいな。

 ちなみにゴッピーが就職した頃の大昭和製紙というのはまだ調子としては良かった頃です。

 高校の他に幼稚園なんかも大昭和製紙は作っていたと思います。

 富士市における「昭和」って名前が付いている古くからある施設は大昭和の関与を念頭に置いて考えたほうが良い。そんな富士市なんですね。

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 実のところ私くらいの年代で地元の人ですと大昭和の負の部分も含めてペラペラと話す人は少ないかもしれません。

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 今日も結局また長くなりましたけど野球に戻して終わりにしたいと思います。

 富士市内でも大昭和の野球チームの活躍、その影響があったのかどうなのかわかりませんが、おじちゃんたちのソフトボールチームが結成されてリーグ戦とかやっていたよ、みたいな話、それがイラスト作成における動機でした。町内会別でやっていたような記憶です。