本日から「田子の浦(たごのうら)のヘドロ」についての記述をしていきます。
「田子のヘドロ」。日本の公害史の中でも有名な出来事だと思うんですが、私にとっては地元も地元。
田子の浦港の西側エリアを「田子地区」って言いまして、そのあたりに住んでいる学童あるいは乳幼児を指して「田子っ子(たごっこ)」って称するんですが、その分類で言うと私も元・田子っ子です。
田子の浦幼稚園に通っておりました。
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今の若い方たちにとっての「ヘドロ」の知名度、浸透度は私にはわかりませんが、怪獣が出てくる映像作品がお好きな方なら「ヘドラ」とか「ヘドロン」とかの諸作品を通してご存知なのかなと思います。
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私が田子地区に住んでいたのは幼稚園に通いだした頃までですので、ごく幼い頃までです。ヘドロを実際に肉眼で見た機会もたったの1度きりです。
ですが私にとっては強烈な記憶です。
その時の印象をつづります。
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今でも写真や映像として残っていますので、かんたんに参照できると思うんですが、私が肉眼で見た印象はですね。実はそれらよりもヒドいです。
ヘドロが海に浮かんでいるようす。それは悲惨でした。
こわかったです。
ミッチリと、すきまなく汚物が浮かんでいる感じでした。ボコボコいってる感じ。
写真で見ると、意外に海面がそれなりに見えるものもあります。けっこうキレイな部分もあるんじゃないかと、汚染はほんの一部分だったのでは、って思う方がいてもおかしくありません。
ヘドロ自体の見た目にしても、写真で見る分にはね。まぁ平坦に広がっている感じで色的には白っぽくね。案外と整然とした印象すらもたれるかもしれません。ンガしかしですよ。私の記憶とはかなり違います。
私にとっては圧倒的な死の世界でした。
幼児の視界は狭いですし、ショックが大きくて動揺したんでしょうか。
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写真では臭気は伝わりませんが、こちらもヒドかった。
ただし、今はあんまり言われなくなっちゃいましたけど「富士市(の平野部、特に海沿い、つまり工場が立ち並ぶ区域)は、クサい。悪臭がする。」っていうのは富士市に来る用事のある人などにとっては、ほぼ常識でした。
ヘドロ自体の問題があらかた解決した後でも臭気の問題は残っていて、工場の煙突の改良が完了するまで続いたと思います。
ですので、幼児期の私が嗅いだ臭気が全部ヘドロから発するニオイだったかどうかは自信がありません。
当時の富士市はとにかく汚れておりまして、いろんな要素が入り混じっていたので由来がそれぞれ何であるか、素人に判断できる状態じゃなかったんですね。
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本日のイラストは、私の記憶と、今に残る写真のようすを合成して、ちょっと海面も見える感じにしてみました。カエルくんがおどろいていますね。
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海面上にただよう、あるいは沈殿していくという「ヘドロ」ですから、日々刻々と見え方は違ったっていうのが一番ありそうかなと思うんですが、私が実際にヘドロを見たのは1回だけですので、その一瞬がずっと記憶の中に続いているという感じですね。
幼児にとってはショックな出来事。
私の記憶の中での一番最初の方は、鉄道や公害の風景で始まっていたんだなって。こうして整理していくとわかります。