ホッとしているタヌキのオジさんのイラストです。
直前に苦しい運動をした後、という設定です。
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話は変わります。
マダムギターって呼ばれる音楽家がいます。ご本名は長見順(ながみじゅん)さん。ギターを弾きながら歌を歌う人なんですけど場合によってはピアノも弾けるという方です。ブルースの系譜につながる人でして、旦那さんはドラマーの岡地曙裕(おかちあきひろ)さん。歌伴はまかせろって感じの名ドラマーなんですけどね。
マダム長見さんには「地域マンボ」っていう曲がございまして、その歌詞は「私に役割があるとしたら、周りのみんなを笑わせることだと思うの」と歌われるのです。
地域の人それぞれに役割があるんじゃないかしら、っていう歌です。
ここから個人的な記述に移りますけど、私も自分の描くイラストだったり文章だったりで見ず知らずの人にちょっと笑ってもらいたいなと思っています。
悲しいこととか、時事的なコトはあまり書かない方針でこのブログをやっています。
しかし今日は例外です。
悲しい気分になりたくないという方は、ここで読むのを止めていただければと思います。また明日きてくださいね。
あんまり強く悲しみをブワーっとブチまけても、読む方にとってもツラいかなって思いますのでなるべく簡単に記述しようと思います。
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2020年の11月に東京のとあるバス停で休んでいた家を持たない女性が殺害されるという事件がありました。その犯人である男性が数日前に自宅近くで自殺してしまったのだそうです。
社会的にも大きな衝撃を与えた事件だったと思います。女性の殺害については。
もしかしたらこの文を読んでいる人にも強く大きな感情を抱えていたり、中には私以上に重く受け止めている方がいるかもしれません。
私もこの事件を知った時はショックが大きくて、悲しくて仕方がなかったです。今でもかなり悲しくて、気持ちの整理がうまくつけられないでいます。いまだにちょっと涙が出ます。全く知らない人なのに。
上の写真はもうかなり以前の撮影です。私が東京に住んでいた時分のものです。
こまかい字ですけど、上の方の看板に「笹塚」って書いてあるのが読めるかなと思います。ここは笹塚という名前の交差点なのです。ラジオの交通情報だったら「笹塚交差点で道路工事。2キロ渋滞。迂回をお願いします」とかそんな感じですよね。たとえばの話ですけど。
女性が亡くなった地点は、この写真を撮っている私が仮にこの時に右腕をグーっと自然な形で肩と水平になるまで上げたとします。その際の指先から80メートルくらいの先。方角にすると北東になるでしょうか。あまり離れていない場所です。このあたりは私の散歩コースでした。私が西新宿3丁目に住んでいた頃の話です。
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次に私がこの写真をなぜ撮影したかについてです。
察しの良い方、あるいは私のイラストの作風をよく心得ている方ですと言わずともわかるかもしれません。上の方で座っている街灯のパンダくんですね。もうメチャクチャかわいいです。
このパンダくんは夜になると光るんですが、当時は街灯として歩道を照らすようにしてズラッと並んでいたのです。何体も。この道が私は好きでした。パンダくんに見守られて歩く感じがたまらないという。写真は南側の歩道ですけど、女性の亡くなった北側の歩道の街灯にもパンダくんはいたと思います。
上の写真を撮ったのは朝です。オジさんが写ってますけど出勤途中だと思います。オジさんとパンダくんの取り合わせが私としては気に入っています。
東京にいた頃の私はだいたい昼夜逆転していたんですけど、主に寝る前によくこの道を歩きました。手頃な運動だったのです。よく眠れるという。早朝の甲州街道をテクテク歩いて環七に突き当たったあたりで引き返す。スゴいクルマの量なんですよ。深夜早朝であっても。「この人たちは寝ないのかな」って自分のコトをタナに上げて安心して帰るという感じでした。
パンダくんの全貌は下の写真のような感じです。
おしりの方から見たパンダくんもかわいいと、私の中で評判です。しっぽが黒く塗られていることからも察する方がいるかもしれませんが、けっこう古い制作だと思うんですよね。昭和マナーのパンダくんです。最近のパンダくんだったらしっぽは“白”でしょう。
今、現在のこのあたりのようすはですね。幡ヶ谷から笹塚のあたりですけど、ネットの地図サイトで確認してみたんですが、もうパンダくんの生息数もかなり減ってしまっているようです。古いからね。
しかしピンポイントに「笹塚の交差点のパンダくん」はまだ現存しているみたいです。
思うに普段からあまり太陽が当たらなかったとかの比較的に状態が良かった他の場所にいたパンダくんを移動させて設置したんじゃないかと思います。交差点という場所は消耗も激しいと思うんですよね。角なんで日光も当たると思いますし。おそらく今いる笹塚のパンダくんも将来的にはわからないと思います。
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そろそろまとめます。
殺されてしまった女性なんですが、面識は全くないですけど他人と思えません。
このあたりは家がなくて道端で生活している人というのは多くいます。今は貧困ビジネスというのか、路上で見る分には数は減っているなんて聞きます。私が東京にいた頃はまだ多くいました。
別のことも書いておいたほうが良いかもしれませんね。
若い方ですと、街に多くホームレスの人がいたよりも前の時代というのはご存じないかもしれません。
私が西新宿に住み始めたのは80年台中盤です。この時はまだ“こじき”って言われていたと思います。私みたいな高齢者にとっては「ホームレス」ってちょっと新しめの言葉です。
その頃に公園に住んでいる、自分の家は無いんだっていう人は少なくとも新宿の中央公園にはいませんでした。いたとしても短期的に数名ではないかと思います。
しかし繁華街のゴミを集めてそれを売って生活しているとおぼしき人はいました。
朝に出勤するときによく出会いました。私の会社員時代のことです。
いつも同じテイストのボロボロのお洋服をお召しだったんですけど、おそらく家はあったんだと思うんですよね。体が丈夫そうな見た目の人で、いつも力強く歩いていました。ちゃんと寝ている感じがしたのです。
当時はかなり景気が良い時代でしたけど、景気はどうあれ、傍目からは「ナゼそんな仕事をしているのか」という人はいたんですね。かなり限られた「特殊」っていうワクに押し込めちゃいけませんけど、時代はどうあれスキマで生きる人。
そんな状況がバブル崩壊でそれはもう非常にわかりやすくドッと路上だったり地下道だったりで暮らす人が溢れるようになったというのが私が見たイキサツです。
それ以降、もう長年にわたり身近で暮らしていましたから、この人たちは元は普通の人たちだってわかりましたし、大ざっぱに「ホームレス」と呼ばれる人たちですけど、ひとりひとりはそれぞれが別の個性を持った人間なんだなっていうことですね。
注意点としてはたまに獰猛な人もいるし、そういう人の割合は普通の社会のありかたに比べると若干濃いということです。
ちゃんと働いているけど家はないっていう人も当然ながらいて、私がアルバイトをしていた建設現場にも来ていましたし、私が知っている以上におそらく現場なんかには多かったのではないかと思います。中には純粋に「居場所を他者に知られてくない」っていう事情の人もいましたし。そういう人は足がつくのを避けるために保険証を持っていないので大きいちゃんとした現場には入れない場合も目にしました。
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以上の通りなんですけど、笑い話としては、当時の私は非常に困窮していて食べ物が質素だったんですが、友達が遊びに来るとよく「ホームレスの人の方が食事の内容は良いよね」なんて言われることが何度かありました。全くその通りでした。しかし、とは言えですね。屋根のある自分の個室で暮らすのと、野外でテントを張って暮らすのは全然違います。それと内容はともかく回数はちゃんと3回食べてましたし、前にチョロっと書きましたけど銭湯にはほぼ毎日通っていたんで、献立の面で言い返す言葉はないにしろ「でもさ全然違うよ」みたいな反論はしていたと思います。
この場合、私がかつて西新宿5丁目とか3丁目の、それも中央公園というかなりなんていうかホームレスの本場っていうとかなり語弊がありますけど、非常に近隣。そういう立地に住んでそのエリアをウロウロしていたっていう来歴を明記しておかないとわかりにくいですね。
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「なるべく簡単に記述」するなんて書いておきながら長くなってしまいました。
長年の隣人だった人たち、そのおひとりが、私が好きな区域の路上で命を絶たれた。それが今でも悲しい。ということでした。
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バカバカしいことを書くようですが、女性の目に街灯のパンダくんが目に入ることはあったのかなと思います。絶望や不安にさいなまれながらも一瞬だけでもパンダくんの存在に心がやわらぐことがあったならと願うような気持ちです。「私とパンダは路上の友ね」なんていう心境が、もしも存命されている間にあったならと思います。
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最初に書いたことに戻します。「私の役割」について再考したいのです。
延々と述べました通り、今でもけっこう悲しい。ひとりの女性の死が。どうにもできないにもかかわらず。
であればですね。今までは生きている人に向けて「ちょっと面白くて笑ってしまうようなイラスト」をずっと描いていたつもりなんですけど、要するにこころならずも突然に命を奪われてしまった、その他の亡くなった方にも向けて、つまり大ざっぱに言えばやはり「見ず知らずの人も笑わせたい」ってことではあるんですが、今まで以上に非常にくだらないバカバカしいイラストを描いていきたいと、そう思います。
以上です。
いつもだったら「ここまで読んでくださってありがとうございます」って書くところですけど、「今後の私のイラストも見ていてくださいね」って書くのが今回は適切かなって思います。
もしかしたら私はイラスト界における路上の街灯パンダになりたいのかもしれません。