イヌくん〔13〕    

 ブログ更新が遅くなりました。もしかしてヤキモキされた方がいらっしゃったら申し訳ありません。おまたせしたかもしれませんね。メンゴメンゴ。

 このところの私はブログ用イラストの備蓄作りをしているんですが、割と調子が良くて止められない感じです。もうそろそろ切り上げてたまっている別の作業をするべきなんですけどイラストのほうが面白くなっちゃってあともう1日、イラスト作成をがんばろうかな。などと考えています。よくしたもので以前なら苦労したであろう難しいポーズも割りと思った感じに描けたりして楽しいです。

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 以下はラジオ日記です。どれもNHKのラジオ番組です。

 「子ども電話科学相談」を聞きました。「フラミンゴの池にお湯をはると両足で立つの?(あたたかいと片足で立つ必要がないという考えらしい)」であるとか、「卵から孵化させて大事に飼育しているウズラを抱くときに近づくと「ケケケケケ」と鳴くんだけど、なんと言っているの?」などという非常に可愛らしい質問が主にトリ方面に集中していました。大変に可愛らしかったです。聞いていて気絶するかと思いました。それと「惑星直列」についての質問など。私も記憶のどこかで気になっていましたけど、言われるほどピシッと直列にはなっていなかったみたいです。それで別段に何も起こらなかったのか。非常にそれぞれの惑星が複雑な運行をしているということで(仮想の)平面上にビターッみたいなことではなかったんだと。考えてみればそりゃそうだなって思いました。なったとしてもメチャクチャ離れてるしね。

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 朝のFM放送。「現代の音楽」。聞きました。良い内容。パウル・ギーガーさんの音世界。中世の音楽をテーマに活動されているというご案内。題材としては古いものですがその普遍的なパワー。聴く人の心に訴えかける音の連なりと響きですね。そのあたりを確認したというものでしたでしょうか。スイスの人なんですけど土地に伝わる古い旋律を基にした新たな創作。といったものを聞きました。私も聞いていてとても良いと感じたんですけど、一方で物足りないものも感じました。

 番組を解説する西村朗さんの20年くらい前の曲に「リチュアル」っていうやはり宗教的な音楽があるんですが、それをネットの動画サイトで聞き直しました。単純に好きか嫌いかで言ったら私はこちらが好きだなと思いました。

 実はこの曲も古い旋律から取材した音楽なんですね。エジプトのコプト正教会に伝わる「朗唱旋律」なんだそうです。

 この機会を活かしてもう少し深く聞きこんでみました。まずは元になった部分を確かめたいわけですけど具体的にどの曲かは明かされていない。しかし「朗唱」であると西村さんは曲への解説で述べているワケで。はたして「コプト正教会 朗唱(を英訳して)」検索してみると聞けるものがありました。これがもうモロに中近東だなって感じのあのなんですか、イスラム圏で聴けるような「お祈りの時間ですよ」っていう塔の上からの詠唱? 朗々としたやつね。それでいてコブシがきいているやつね。あれですよ。すごく近い。キリスト教だって聞いたけどエジプトとかあの辺では歌の感じってこうなのかな?って乏しい知識で思いましたがですね。その朗唱を聞いた後で西村さんの「リチュアル」を聞き返すと「なるほど!」って思えますね。ちょっとオススメ。そこからかなり離れて独自な歌い回しにはなっていくんですが出発点はここかって理解できるかなって思います。それと関係ありませんけどこの曲を公開している全音楽譜出版さんのアカウントにおける日本の現代音楽の大量ドロップの様子が目をみはるほどですので、私のブログにそういった方面のご興味をお持ちの来訪者がいるんだかわかりませんけどオススメしますよ。そっちもね。

 戻しますが、その前にこの曲はチェロとピアノのための曲であって、チェロの方がその古い旋律を担当するというものです。つまり微分音などを含んでいる関係と、“歌”をある程度反映するにあたってココはやはり自由な指板を持つチェロということなんでしょうけどこれがもう最適解というか実に良い。苅田雅治さん。調べてみたらチェロの偉い先生だっていうことみたいですけどそれにも納得。この録音がされた時はこの悲壮な曲を演奏するにあたって心技体のバランス十分っていう感じだったのではないかって音を聞く分にはそう思えます。特に取材の元になったであろう朗唱を踏まえて旋律を聞こうとすると、とても入りやすかったです。私は。そうやって聞いていくと大変な名演だなと思いました。特に中盤よりちょっと後ろのサステイン短いギコギコいうところなんかもうとても良い。

 対してピアノの方は西村さんおっしゃるに“鐘”の音を模したという、西村さん得意とするところのキビシイ梵鐘みたいな和音ですよね。これがまたイイんですけど。単にキビシイだけではないようですが私の聞いた感じでは。しかしあくまで作曲者としては特にメロディーは与えられないその象徴的な存在というか。というのも曲の内容というのが棄教、改宗という大変に重い内容をはらんでいるのですね。調べてみた感じでも焼き討ちにあったとかね。かなり昔のことであるみたいなんですけど当事者にとっては身が引き裂かれるような激しい心情です。同時になんでまたとも思いますけど。曲としての最後の場面は激しい弾圧。伸びようとする美しい旋律が激しく打たれる。しかし祈りは残った。いわく「すべての人に平安のあらんことを」みたいな、かぼそい情景を描いてスッと終わっているんだなと感じました。総じて大変にドラマチック。だからイイっていうんでもないんですけど、今日の「現代の音楽」。スイスの人、ギーガーさんの音楽に触れて、そこから私が思ったことのメモでした。ありがとうございます。