きつね練習〔01〕

 今日からしばらく“きつねくん”の練習が続きます。

 いやー。「たぬきさんの連作」を終えた所感ですが。良かったと思います。なかなかタヌキの描写に決定打が打てずにいたんですが、これかな?というひらめきが生まれた後はドドドドと行けました。自分で意外なくらい、タヌキが爆発した感じでした。

 実は最近のことですが、思い描いたキャラクターを頭の中で立体的に動かす技量が自分の中で少し向上しました。イラストに出ているかわかりませんけど。やっぱり努力しているとこんな年齢でも成長するんですね。より良く描けるようになるとさらに描くのが楽しくなるということも実感しています。まだまだがんばりたいなという気持ちが湧いてきています。

 そんな最近の私ですが、「タヌキが描けるようになったのだから次はキツネかな」という簡単な発想です。しばらく「キツネさんシリーズ」が続きます。

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 今日は町内一斉の「側溝そうじの日」でした。寒かったです。しかしキレイになりました。2ヶ月連続でそうじができました。

 以下は全てラジオ日記です。

 NHKラジオ第1「子ども科学電話相談」。

 「隕石に生き物は乗っているのか? いないのか?」というお友達からのご質問。

 どうやらこの点については学者の人たちの間でも熱い注目を集めているみたいです。「(生き物が)見つかったら大発見だ」というご回答。「生命の起源は隕石に乗ってきたアミノ酸とかの物質なのかも」という説は私も何かで見た気がするんですけど、仮説の段階ということのようでした。なるほど。

 以下は音楽関係のラジオ日記です。

 きのうの夜の「クラシックの迷宮(NHK・FM)」は、サン・サースでした。私が知っている曲の他にとても幅広い作風とその興味を持って生きた人だったということがわかりました。中国や日本にも興味があったんだそうです。

 今朝の「現代の音楽(NHK・FM)」は、日本の作曲家による新作。「4人組とその仲間たち」の公演から。全音楽譜出版さんの企画。

 金子仁美さんの「H2O」。3Dモデルを音にした曲。以前に金子さんはもしかしたらヒトの消化吸収を曲にするという試みをされていたかもしれませんが、ちょっと自信がないですけど、それ以前は聖書を朗読した音声をスペクトル解析して楽譜に当てはめていくとか。とにかくいろんな手法をお持ちの方。今回の「H2O」を聴いた感想としては、コアに低いピアノの和音が鳴らされて、その周りをバイオリンの高音がきらめくような場面から出発。あたかもコンピュータの画面上で、水の3Dモデルをクルクルと回転させてみた時の印象。次第にピアノの音が動きを見せていって、水の水流を描いていくような感じもありました。しかし次に聴いた時の感想はまた違うかもしれません。

 次は西村朗さんの「極光」という曲。「オーロラ」の描写だそうです。ピアノとトランペットのための曲。私はトランペットと聞いて意外な印象を持ちました。私にとっての「オーロラ」ってボンヤリとミステリアスに空中に浮かぶ光の移り変わりっていうイメージでしたので、「かなり明るい音色で明確な響きのある楽器を持ってきたな」と思いました。朝の清掃活動が終えた私はちょっとリラックスしたい気分でしたので、「そうだ。どうせだからネットでオーロラの画像を見ながら、曲を聴こう」と思い立ちました。そして次の瞬間に「どうせなら動画のほうがもっと良い」と考え直してネットの動画サイトで「ラップランドにおけるオーロラ発生のハイライトシーン集」という非常に良い動画を参照いたしました。するとこれが非常に良くて。トランペットの音色は確かに明るいんですけど、オーロラにしたところで明るい時にはかなり明るいのだとわかりました。しかもけっこう金属的な質感もあると云えばあるなというワケでトランペットは案外合うのです。トランペットが一連のフレーズを吹き始めるタイミングでオーロラが不意に二重、三重に分離するように変化した時は、単なる動画上の偶然ですけどタイミングとしては。しかし息を呑みました。ものすごくキレイでした。そんなワケで期せずして良い体験になりました。ピアノの演奏もとても良かったと思います。

 番組としては最後に鷹羽弘晃さんの曲をふたつ聞きました。山田岳さんのギターと望月豪さんのマンドリン。「ガンマ・コレクション」という曲。これはとてもユカイで楽しい曲でした。リズミカルで。次に「マリー・アントワネットの音楽小箱」というちょっと現代音楽っぽくない感じのタイトル。前の曲の「ガンマ補正」から着想したという角度とはまた違う面をお持ちの方であるようです。聴いた感じとしてはバロック風というかチェンバロの演奏でしたが、おそらく単にバロックを模した時には鳴らさないであろうという激しい響きを聴かせてもらえました。これは嬉しかったです。バスティーユのツユと消えた時の激しいその心境なのかそのあたりを音にした、ということみたいです。