タヌキくんとカッパくんが、とっくみあいのケンカをしている場面を描きました。
当ブログの目的の一部には「今まで描いたコトがない場面を積極的に描く」というものがあるんですが、こみいったカラダのかさなりでありながら比較的サッパリと描くことに成功できたかなと一定の満足をしています。今後も精進します。願わくばこのイラストを見た人がクスリと笑みを浮かべてもらえますように、と思う次第です。
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ラジオ日記です。今朝はルイジ・ノーノさんの作品をふたつ聞きました。それと解説の西村朗さんのお話ですね。どちらにも感銘を受けた。というような記述を以下にしてまいります。NHK・FM「現代の音楽」より。
非常にキビしい音響を伴うその作風ということみたいです。しかし聴く人を引きつけるパワーはすごくある人だなと感じました。
ルイジ・ノーノというお名前は覚えやすいものですから前から知ってはいましたが、中身を聴くのは初めて。イタリアのベネチアの人で、イタリアの共産党の人だったそうです。音楽にもその思想、考えが濃く反映されているとのこと。ビックリ。英ロック・ミュージシャンのロバート・ワイアットさんみたいですね。
特に番組の後半で聞いた最後に手がけた管弦楽作品だという「進むべき道はない、だが進まなければならない」という曲は打楽器の他には「ソ」の音しか出てこないというご案内でしたがホントでした。キビしさもさることながら音符としては非常に限定的なのに次々と迫ってくる音と静寂。「しかし前進するんだ」っていう前のめりな印象はビシバシと最後に残りました。かなりスゴい音楽でした。実は録音しておいて、先ほど聞き返しましたけど感想としては変わらず。この曲は日本からの委嘱を受けた来歴で初演も日本のサントリーホールであったそうです。1987年の秋。西村さんはその場で聞かれたということで、「音楽がここまで行っちゃっていいのかな」という類の感想。またホールを一歩出ると当時の好景気に沸く六本木の街並みとそこにいる人々の姿があったという状況。つまりノーノさんの主張とはかけ離れた様相。とても感じるものも大きかった。という具合の臨場感のある回想。
私自身の話に移行します。
現代音楽とは違うんですけど「スメタナ四重奏団」というグループのサヨナラ公演というのを私は確か88年だったと思いますが、そのサントリーホールに見に行っています。ですからちょっとだけその当時の印象はわかる部分もあります。がしかしとにかく私の場合はクラシックの一流ホール自体が初めてというか現時点における最後の体験でしたのでもう見るもの全てが新鮮でビックリするばかりでした。ヒトコトで要約すると「これは場違いな場所に紛れ込んだぞ」という「とまどい」ですね。なんかきらびやかな感じでね。飲み物を提供するバーみたいなのもあったと思いますけど、ライブハウスのそれとは全く違う近寄りがたさがあって近づくこともかなわずですよ。革ジャン長髪の私には敷居が絶壁でしたね。あんまりこういう場所には来るもんじゃないなって、当時の私が22歳なのかな。思いました。
その当日のお昼くらいまで、行くつもりじゃなかったんですよね。私は。まだサラリーマンとしてデザインの会社でグラフィック・デザインをしていたんですが、会社に妹から電話がかかってきまして。「お母さんと音楽を聴きにいく予定だったけど、お母さんが体調悪いからお兄ちゃんと行ってって」みたいな話で。母親は結局その数年後に亡くなりますので最晩年ですよね。年齢自体は若かったんですけど、50前でね。戻しますけど私は「そうなんだ」みたいな言われるがままに、私は妹とは1歳しか違わないんでノリとしてはあんまり上下関係みたいのもないんですよ。それで素直にサントリーホールに行きました。職場は市ヶ谷でしたから距離としては離れてませんけど縁としては絶無な場所ってことで右も左も分からないので周囲の状況などは覚えていません。心境の大部分は「ここから早く逃げ出したい」というのが主ですからね。
しかし収穫はありまして。第一には「クラシックのホールにはでっかいPAスピーカーが設置されていない」というもの。しかし響きは異常に良くて、せきばらいもはばかられる。あとは前の方に若い人たちが暴れて殴り合っても良いようなスペースが存在しない。これは当然ですが。違う場所に来たんだなと実感しました。
次が重要なんですけどスメタナ四重奏団の演奏ですよね。もう何の曲をやったかも覚えてませんし、当時も右から左だったと思いますけど、案外熱いんですよ演奏に対する態度が。動作もけっこう大きいし、チカラが入る局面では「ッダン!」と足を投げ出したりするんですね。ナマで見てけっこう衝撃でした。見るからに高齢の人たちで、そもそも「世界を飛行機で移動するのがそろそろしんどいんで最後の公演にします。今までホントにありがとう。」みたいな案内は何かで見て知っていたので、もうかなり枯れた人たちの所作振るまいっていうのを思い浮かべていたんですが、違ったというね。ましてやホラ、室内楽の権化みたいな編成ですしね。しかしマその音楽が呼び覚ます自然な大きいモーションっていうのはロックともさほど変わらないんだなと理解しました。これだけは本当に現場で見ておいてよかったなと思います。今でも。
書いているうちに思い出しましたけど、やっぱり音量は小さくて、音楽を聞き取るのに集中力を必要としましたね。普段の私は建物の規模としては数10分の1みたいな狭い場所で、音のデカさは100倍みたいな音楽鑑賞というか体験というか終わった後に耳がキーンって鳴ってて数日は耳が遠いみたいな極端な生活をしていましたからね。でも真逆の体験っていうのはとりわけ若いうちはしておいても良いなって、まぁ今振り返りますと思いますね。ちょっと長くなっちゃいましたけどね。
ラジオ番組としての「現代の音楽」に戻しますよ。西村朗さんのメッセージが非常に大切なことをおっしゃっていたので。いわくノーノの作曲、音楽に対する厳しい態度。苦闘のようす。学ぶべき点多し。まとめるとそんな感じですが、ヒトの一生。とりわけ優れた芸術家ですね。その生涯を折に触れて参照する。これは知性でありまた得るもの大きい。自らが作り出せるものを磨きあげる上でもこれは無駄にしちゃいけないと。返す言葉がないほどにその通りなんですけど、そのためには自分の状態を見極めることが大きく必要なんだろうなともうこれは自戒ばかりですけど思いますね。