ホラアナ物語〔21〕

 お花のユウレイに食べられるオバケちゃん。というシチュエーションを描いてみました。

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 近況ですがブログ用イラストの備蓄作りを進めています。

 明日くらいに今月いっぱいの分が完成する見込みです。

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 ラジオ日記です。

 NHKラジオ第1「らじるラボ」。短歌の歌人である錦見映理子さんによる短歌情報を聞きました。

 沼津に住んでいたという若山牧水氏について。短歌を幾つか。彼の短歌の世界では草花やムシがしゃべったりするらしいのです。イイコトいってます。教えられる思いなんですが、若山さんってお酒の飲み過ぎで早死にしたみたいです。もしかしたらアルコールの影響か、という疑念もあるワケですが結果的に良いモノ残せているならそれでいいのかなとも思います。

 短歌集を出版したものの、あまり売れなくて、寄稿してくれた歌人の方たちに沼津の名産であるアジの干物を送って原稿料の代わりにしたというエピソードもあるみたいです。私は大変に好感を持ちました。もしかしたら沼津を愛していたのはアジの干物で一杯やるのが目的だったのではと思うんですけど、どうなんでしょうか。

 私の住んでいる富士市から自転車で沼津まで、海岸線を走る道というか堤防(の整備のための道)があるんですけど、そのすぐ裏に若山牧水氏の記念館という施設があるみたいです。何度も通ってますよ。私。なんでも歌碑もあるんだとか。いやー。知りませんでした。

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 続きましてラジオ番組「ジャズ・マイルス」を聞いたよという感想です。

 第3夜も聞き逃し配信で聞きました。2回聞きました。今日は私がほぼ全く知らない「ブルーノート・レコード」の時代のコトガラ。

 時代的には50年代が主。この頃のデイヴィスさんについてはちょっと前にもジャズの権威である大友良英さんのラジオ番組で少し学んでいたのですが、もう少し詳しく知れて有意義でした。ドイツからやってきた人たちが運営していた意欲的なレーベルで、小さい組織であった為、信念に基づいた録音ができたということらしいです。

 ドラッグ問題を抱えていたデイヴィスさんにとってはありがたかったという。のちにドラッグから回復できたのも一因にはブルーノートの人の存在もあったのかなと思いました。理解者の存在っていうか。

 

 ついでに「ジャズ・マイルス」の第2夜の内容についても記しておこうと思います。テーマとしては「デイヴィスさんを取り巻いたヒトたちについて」。小説家の平野啓一郎さんを招いて(オンライン上での)対談という形式。ボクシングのチャンピオンの方の名前も飛び出しました。

 かかった曲としては私が最近に聞き返していた曲がよくかかりました。もしかしたら平野さんと私は好きなものの傾向が重なるのかもしれません。

 マしかしアルバム「カインド・オブ・ブルー」からの「ブルー・イン・グリーン」におけるデイヴィスさんとビル・エヴァンスさんの相性の奇跡的な良さというのにはとりわけ深く同意がいきました。私自身が“ジャズの良さ”をよく理解できているかっていうとあまり自信がないのですけど今まで聞いてきた音楽的な経験などに立脚しますとですね。これは本当によくできている録音だと思います。平野さんは「自分のお葬式にはこれをかけてほしい」というくらいお気に入りの様子でした。良い選曲ですねとしか言えません。

 番組中で他に語られた音楽家としては、ギル・エヴァンス氏の奥ゆかしい性格と非常な有能さ。これにはたまげます。個人的にはギル・エヴァンス氏の仕事に着目してデイヴィス音源を攻略していくっていうのが次に私が進むべき道筋かもと感じています。

 あと初めて知って面白かったのはドラムの若き天才だったトニー・ウィリアムさん。ベースのロン・カーターさんがバンドで活動するときの親代わりというかお目付役みたいな存在だったということ。なるほどねぇ。

 それとトニー・ウィリアムさんについてはお二人の対談を聞くにやっぱりジャズを聞き込んでいる人の耳でも相当にスゴいのだ、ということがわかりました。やっぱりねぇ。マそりゃそうですよね。

 

 個人的な音楽聴取活動につて記して終わりにしようと思います。

 ジェリー・マリガン・カルテットのアルバムを聞きました。チェット・ベイカー氏絡みってコトで私は1枚だけ持っているんですが。ドラムとベース。あとはバリトンサックスとトランペットという、コード楽器が存在しない編成。何曲か非常にポップな曲もあります。

 デイヴィス氏の演奏におけるセロニアス・モンクさんがピアノを演奏しない局面を欲したというエピソードも念頭に聞き返してみました。