ホラアナ物語〔06〕

 本日はラジオで三重県の「伊勢海老」について漁業従事者の方の生の声を聞きました。

 いつも聞いております。NHKラジオ第1「らじるラボ」にて。番組テーマとして今週も「食」。寄せられたメールの内容は「伊勢海老」に続くカタチで「カニ」。「マツタケ」と高級食材の目白押しでした。

 わらべ歌としては、「羽子板あそび」の際に歌っていたという歌を聞きました。広島の方だったかと思います。土地の言葉でしゃべる子供達の寸劇付き。昭和33年1月3日の放送だったようです。リスナーの方たちからの反応としては割と近くに住んでいる人でも知らなかったりして面白いです。

 私が住んでいる静岡のわらべ唄も過去に同コーナーで聞きましたけど、やっぱり私は聞いたことがないものが県庁所在地である静岡市には存在したんだな、という音の記録でした。

 しかし考えてみると昭和33年っていうと地域交流みたいな活動は限られていたのかもしれません。

 今では普通にあるものが無い頃の事情ってなかなか想像が及ばないものですけど自家用車がね。まだなかなか無い。そんな時期。

 ネットの動画サイトで昭和30年代の山梨は富士吉田市から静岡の富士宮は田貫湖までバスで遠足する動画があります。乗り込む時には冬服だったのにバスの車内から夏服になるという、当時の山梨県の極寒の様子。そして静岡県の常夏、極楽さ具合が良く理解できる内容です。やはり住むなら静岡県ですね。

 見どころは他にもございまして壮絶なデコボコ道。朝霧高原にさしかかったあたりでカメラを回している人が「牛だ!」って具合に草を食むウシ氏に焦点を合わせようとするんですけどなにしろ道がグワングワンですので、牛なんだか、酔って吐きそうになるんだかわかりません。当時の道路事情が五感に迫ってきます。カラダが痛くなってきそう。

 今ではもうああいった荒れ道路はありませんね。ましてや観光地を結ぶ国道においてはですね。将来に目を転じるといつまで今の状態が維持できるかは未知数ですけど。

 しかし「歌の伝搬」に戻しますけど、道が将来どれほど荒れ果てようともネット回線があればワールドワイドなのかなと思います。ちょうどきのうかおとといにラジオのニュースで海底の光ケーブルの敷設について聞いたばかりです。