それを見つめるニワトリ氏〔04〕

 アゼンとするニワトリさんを描きました。

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 日記メモです。

 本日も自転車で坂を登る修行を決行いたしました。今日は暑さが戻りまして。大変でした。

 話題変わりますが。

 先週のコトになりますが、ラジオ番組「クラシックの迷宮」。衝撃的でしたね。「シュプレヒコール」を取り入れるといった動き。通常の歌唱では表現するコトが難しい領域にも歌の可能性を広げたいんだよ!っていう意欲ですよね。

 なかでもアイスラーという方のなんですか、共産主義的なね。社会的な機能を有する音楽のカタチなのだっていうコトらしいのです。いくつか聞かしてもらえたのですけど、私の耳にとっては音楽的に洗練されていないタイプのものもパンクロック育ちってコトもあって特に違和感ありませんで。楽しく聴けました。こんなのやってた人が居たんだなって思いました。

 それとドイツのテクノポップなバンドであるデア・プランね。彼らが映画のために作った3匹のヘビが出てくる音楽があるんですけど、あの感じに似ている曲もあってビックリしました。

 ドイツにはもしかしたら、ああいうのが確立しているのかもしれませんけどね。音楽の形式としてね。とにかく興味がありますよ。自分がよく知らないタイプの音楽につきましては。

 それで本日ですね。「へー」で終わらせるのも、もったいないんで、個人的に何曲か聞いてみました。ネットの動画サイトで。アイスラー氏の音楽ですね。

 反ファシズムの労働歌っていうヤツの動画での歌唱が非常に歯切れが良くてビックリしました。あんなに歌えるものなのかという驚きです。他にもアメリカ在住時に映画のお仕事もされてたみたいですので、そのあたりもちょっと聞いて確認しておきたいな、と考えております。

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 ラジオ日記に参ります。

 今日はいつもの「らじるラボ」も聞いたのですけど、お昼からの武内陶子氏の「ごごカフェ」ですよね。テクノポップな音楽を取り上げるというコトで。

 ゲストに藤井丈司さんと松武秀樹さん。

 特に松武さんが良いコトをおっしゃっておりました。

 「テクノポップは機械とヒトが、せめぎ合う音楽なんだ!」とね。私も大賛成です。ソコなんですよ。「極意だ」って断じてしまっても正解だと私は思いますけど。

 ヒトと機械。どっちもグイグイ行っててほしい。

 あるいはグイグイ行きすぎちゃってヒトがマシーン化。機械が逆に情感を奏でちゃって互いが行きすぎてみたり。これなんかおよそテクノポップな舞台でしか表現しづらい光景じゃないでしょうか。あるんですよ。マシーンがマシーンらしく振るまっているにもかかわらず涙を誘っちゃったりする境地ね。そんなのが聞きたいがために聴いてるって言っても過言じゃないかもなって思いますけど。

 私は本当に長い間をこの手の音楽聴取に費やしてきましたけど、どっちかが主体でありすぎたり、あるいは互いに遠慮していて絡み合いが足りなかったりすると、もう聴き進めるのがツラくなっちゃいますね。オレが機械なのか? ヤツがヒトなのか? みたいな異常な音世界ですよね。そんなテクノポップ・ラブな私の心境ですよ。熱弁しちゃいましたけどね。

 んでね。

 松武さんの名言っていうのは他にもあってですね。「テクノは忍耐だ」っていうやつね。松武さんの真意は知るところにないのですけど、私はかなり簡単にして理解しております。以下にルル語ってまいりましょう。

 例えばですよ。私がシンセサイザー等を使って自作のロクでもないミュージックを「そろそろ完成だな。録音しよう」みたいな段階。そうするとね。私の脳裏に松武さんが心配そうに両手をバタバタさせながら、やってくるんですよ。「大丈夫? その音色プログラミング大丈夫? 録音すると!………残るんだよ?!」ってな具合ですよね。私の心中としましては「うるせーんだよバカ。ソコをどけよブッ殺すぞ」ってものなんですけど、一応見直してみる。素直にね。すると明らかにもうちょっと調整しておいた方がよりその曲の行きたい方向に見合うようなポイントが見えてくるんですね。松武さんナイス。ウッカリ殺さないでおいて良かったって胸をなで下ろしますけど、つまりは松武さんの言う通りなんですよね。私の脳内の松武さんですけどね。

 以上のような活用法を見るに私にとっての松武さんの金言。これは有意義以外の何物でもない。これからも座右のメイとしてね。デリック・メイとしてね。大切にしていこうと思う所存です。「テクノは忍耐だ」。今日の放送を聴けて良かったなと感じております。感謝。感謝。